土木計画学


はしがき
  「土木計画」の名を冠した大学講義がはじめて開設された昭和33年からちょうど半世紀、その間、土木計画を取り巻く社会情勢は大きく変動した。当時は、道路も空港もダムも圧倒的に不足していた戦後復興のただ中にあり、「土木の仕事」は最低限必要とされるそれらの土木施設・社会基盤を整備していくことであった。それ故、当時の土木計画は、(少々極端な表現ではあるが)さながら「白地図」の上に道路や水路の線を引く様な感覚に、少なくとも現代よりは近かったのではないかと思われる。

 そのような土木計画上の公共選択において、「数理的な方法論」が大いに役立つものであることは間違いない。例えば「白地図」の上のどの都市間に高速道路を整備すべきかの公共選択の際には交通需要がどの程度かを(いくつかの単純な仮定を設けた上で)数理的に算定することが決定的に重要であるし、上下水道をはじめて整備していく際にも、(特定の制約条件下で整備費用を最小化するという様な)数理的な最適化問題の考え方を援用することは極めて有益となる。こうした背景の下、土木計画学黎明の頃においては数理的な計画論は大いに発展せられ、それにあわせて土木系学生が学ぶべき土木計画学の、今日における標準的な教科書や授業カリキュラムが整備されてきたのであった。

 しかし、「土木計画学」が果たすべき役割は時代と共に大きく変化していった。そして今日では、「合意形成」や「環境」「まちづくり」「景観」、そして「マネジメント」といった諸問題が、土木計画において無視せざる重要な位置を占めるに至っている。これらの問題はいずれも、「白地図の上に線を引く」様な種類の数理的な基礎理論では対処しづらいという大きな特徴を持っている。いうならば、かつては、対象とするフィールドを「白地図」であると見なしていたが故に、さながら摩擦係数が“ゼロ”の平面上の質点の挙動を表現するにおいてと同様に種々の数理的方法論が有益であったのだが、よくよくそのフィールドを眺めてみれば、そこは摩擦係数ゼロとは言い難い様々な社会的慣習を胚胎する「社会」だったのであり、質点と見なしてきた存在は合意したり良質な景観を求めたり非協力的/協力的に振る舞ったりするような「人間」だったのである。それ故、社会に資する土木計画を志す土木技術者は、かつての教科書と授業プログラムの中で取り上げられてきた数理的な計画論のみならず、「人間」や「社会」に関する基礎理論を学ばねばならぬ状況に至ったのである。

 本書は以上の認識の下、こうした「土木計画を巡る今日的現状」と「授業カリキュラム・教科書」との間に見られる乖離を幾ばくかでも埋めることを目指したものである。そして、土木計画が対象としてきたフィールドの上に「生身の人間と社会」が存在するということを見据えた上で、現在の土木計画上の諸問題を包括的に捉え得る土木計画学の基礎理論を提示しようと試みたものである。そうした狙いの下、本書は、第T部において土木、土木計画、そして土木計画学とは何かを改めて論じ、その上で、第U部においてこれまでの教科書でも取り上げられてきた内容を簡潔にとりまとめた「数理的計画論」を、そして第V部において心理学、社会学、政治学、社会哲学等を基礎とした「社会的計画論」を論ずるものとなっている。

 なお、例えば心理学的計画論ならばそれだけで優に一冊の分量が必要とされるところではあるが、本書が学部学生の教科書を意図したものであることから、各章の内容は一回の講義で解説可能な程度の限定的なものとなっているという点は予め断っておかなければならない。しかし、横断的視点から様々な領域からの「計画論」の要点を論じ(各章末には当該章のポイントと、必要に応じて練習問題を掲載している)、土木計画学の全体像の理解を促そうというのが本書の狙いである。そしてそれを通じて、生身の人間と社会を取り扱うことの多様性と難しさ、さらにはそれを扱う学問の深遠さを僅かなりとも指し示すことできればというのが著者の願いである。ついては本書は、学部学生のみならず、大学院生、研究者、実務者の方々にもお目通し願えれば、著者としては望外の喜びである。

 なお、最後に、土木計画の講義が我が国においてはじめて開設された京都大学の土木計画系の飯田恭敬先生、北村驤齔謳カをはじめとした先生方からのご指導、ご鞭撻無くして、そして西部邁先生やTommy Gärling先生からの思想・哲学、社会科学全般にわたる幅広いご教示無くして本書は構想することすらあり得なかったことを明記しておきたい。また、土木計画学の講義を担当する機会を得た東京工業大学の屋井鉄雄教授をはじめとした諸先生方との議論が、本書にとって重大な意味を持つものであった。東京工業大学の羽鳥剛史助教、博士課程学生の太田裕之君と鈴木春菜さんには本書の取りまとめに大変なご協力を頂いた。雑談混じりに申し上げていた本書の構想を真剣に取り上げていただいた学芸出版社の井口夏実さんのご尽力無くして、そして麻生子、咲良、大志、正志の家族の支え無くして、本書は日の目を見ることはなかった。その他、数え切れない方々の直接、間接の多くの支援があって、本書を出版することができたことをここに記し、心から皆様に深謝の意を表すこととしたい。

2008年5月 河口湖畔にて 
藤井 聡