ヴィヴィッド・テクノロジー


物とストーリーを巡る方法について――あとがきにかえて

 1年間の講演会シリーズを任されて、毎月ゲストの作品や言説に関して予習をし、当日、本人にお会いして若干の事前ミーティングのあと本番に臨むというリズムは、プレッシャーではあったがとても充実した経験であった。初対面の講演者も多く尚更緊張度は増したが、大概控室での談笑で打ち解けることができた。各ゲストはみなさん入念に準備をしてきてくださり、毎回大変密度の高い内容となった。

 かねてより構造的・工法的試みが主題のひとつとして表現されている建築や住宅には関心があったが、ここ数年はかつてないほど百花繚乱の若手構造家の進出と貢献がめざましい。しかもかなりカジュアルに(と言ったら語弊があるだろうが)住宅規模でも様々な構造的・工法的試みが行われており、その軽やかで柔軟に見える構造的工夫について実践的な話をお訊きして私たちの設計活動にも活かしていきたいと思ったことがそもそもの企画の発端となっている。
 しかし、そのことを含みながらもう少し敷衍して建築における「技術」の機能について建築家からの論考を得ることでさらに描く線を増やしその先に「行為」の可能性が浮かび上がってこないだろうか、と考えた。そこには何か生き生きとした活動があるような、そんな空間が生成しているような可能性について。“行為の可能性/技術の機能”というシリーズタイトルの副題にはそのような思いを込めた。
 構造家のレクチャーは、何を作ったかではなく、どのように作ったか、どのように成立させたかに焦点が当てられる。そこでは、できてしまったら隠れて見えないあるいは気づきにくい秘密が吐露されるがゆえに、学ぶところが大きい。思えば建築家は「見えない風景を見えるようにする」(松山巌)ことが役割だとしたら、可視化した風景とその後こそが建築家の責務が問われる部分であろう。一方構造家は(建築家が見えない風景を見えるようにするために)見えるモノ(素材)を使って見えないコト(力の流れ)を構成することにこそ役割があるのだろうから、その本質は自明性の背後に秘匿されることにある。
 ここで言う「自明性」とは端的に建物が「建っている」ということだ。建築はひとたび実現すると、自明な環境として、つまり自然として受入れざるをえない。しかし、受け入れられ易さのためか諦めのためかあるいは無自覚のためなのか、新しく建つ建物も往々にして既存の自明性をトレースしがちである。「見慣れた風景」――そこを支配するのは惰性であろう。しかし、自然さとは本来惰性へと向かうものではなく、新鮮でありつづけることではないだろうか。もし、自明性の怠惰に陥ることなく日常を常に新鮮な目で見ることができるきっかけとなるような、そんな「新たな自明性」(=新鮮な自然さ)を析出することができていたら――つまりそれが見えていなかった風景を見えるようにするということだが――それはほんの少しでも人びとの意識を自由にすることに貢献するだろう。しかも人は、人の身体はそのことに一瞬にして気づく。つまり「(身体が)見たかった風景」なのだ。  そのような「新たな自明性」(=新鮮な自然さ)の獲得の背後には少なからず「新しい構造デザイン」が見え隠れする気がしてそのことを確めたかったのである。結果としてもちろんやはりそこでは新たな構造・工法の工夫が大きな役割を演じていることは分った。しかしその工夫にかけるエネルギーと同じだけの力で構造家たちからは「それを決定するのは建築家のあなただ。その決定は妥当なのか?」という問いかけが返されたように思う。さらに建築家たちからは「建築家として生きるために建築家の職能を問いただす」厳しい姿勢が示されたように思う。
 ところで、少し前に佐々木睦朗さんの講演会を聞く機会があったのだが、その中で「ものづくりは知識ではなく知恵だ」と強い調子で述べられていたのが印象的であった。伊東豊雄さんの〈瞑想の森〉の施工に携わった型枠職人の知恵を賞賛する文脈上であったと思う。振り返ると当然のことながら構造家の言説は徹底してモノを巡る、モノの性質に即したアレンジメントについてであった。意外なまでに構造家は物とぶつかり行動し汗水流しているのだと再認識した。観念の世界にいるのではないのだ。満田さんが述べられているように「実際には物は物理法則で壊れ」るのでありそれに反して建築は成立しない。その前提の上で建築家の言説はそういったアレンジメントを導き出し決定するストーリーについてであったように思う。重松さんの言葉にあるように「最終的には美しいものが、あるストーリーに則って生まれればよい」ということだとしても、その試みの妥当性は人びとが不可避的に投げ込まれている状況に対して、その只中において徹底的に相対化する営みを経なければ獲得できないことだと言えるかもしれない。もしテクノロジーが幽閉するなら解放の方向へ、テクノロジーが分断するならつなぐ方向へ、制度が幽閉するなら解放へ、分断するなら連帯へ。しかもそれらは反動的―受動的に為されているのではなく、あくまでも内在的な推進力によって突き動かされて為されているということ。シリーズを通してそのような透明な力を感じた。
 おそらく池田昌弘さんの先鞭のあと、2005年ごろから『新建築住宅特集』でも「鉄のつくる構造」や「適材適所の構造」などアフター池田の世代をピックアップした特集が見受けられるようになり、その後2006年には『TOTO通信』(2006年夏号)や一般誌の『PEN』(2006年5/1号)でも若手構造家の特集が組まれた。本シリーズはそれに並行するように行われていたのだが、同時に背後にはひたひたと大きな黒い影が迫ってきていた。2005年末に明るみにでた耐震偽装事件は、その本質的な問題点が解決されることなく、丁度本シリーズが完結した1ヵ月後の2007年6月に施行された改正建築基準法によって社会に大混乱をもたらすに至っている。そのあたりについては往復書簡にも記されているが、日本の建築文化の大きな停滞につながることを懸念する声は多方面から聞こえてくる。そうした状況において本書は抵抗の書としての意味も持ち合わせているのではないかと思う。
 オリジナルの講演順とタイトル、開催日は以下のようになる。開始時には未定の人選も後日生成的に決まっていった。
  今村創平 「ポスト9・11テクノロジー」   2006年5月27日
  有馬裕之 「『J/G/I/M』近作を語る」   6月24日
  岡村仁  「構造デザイン―集積の方法」   7月29日
  名和研二 「ちゃくみこうほうくらしとかたち」   8月26日
  木村博昭+白髪誠一 「スチールシートの建築について」   9月23日
  重松象平 「形態と罪、構造と装飾―OMAでの近作から」   10月14日
  大野博史 「日常の構造」   11月25日
  横山太郎 「NO GRID- NO GEOMETRYの中の思考」   2007年1月27日
  小西泰孝 「誰もが持っている構造的センス―構造のアイデアは身近なところに」   2月24日
  佐藤淳  「構造は自由を失わない」   3月31日
  満田衛資 「だから構造家は楽しい」   5月26日
 尚、本書での再構成にあたり、各講演者あるいは講演内容から端的に特徴を示すと思われるひらがな一語の動詞と、同じく漢字二文字の名詞を使用した「〇〇の方法」とを新たにタイトルとして付した。それらをまとめて、第T部を「構造家の方法」、第U部を「建築家の方法」とした。「方法」という言葉に収斂するまでにも紆余曲折があったが、この場合の「方法」は「method」であろうかと思う。調べてみるとmethodとはmeta+hodosつまりafter or beyond + way or road or journey ということらしい。それを目的に沿ってものごとを導くこと、という(実務的な)意味に解釈するのもよいが、ギリシア語のmethodos(メトドス)の本来の意味―「探求の行程」(藤沢令夫)ととらえるなら、まさにここに集結した12人の取組みを照射している言葉と言えるだろう。

 講演者のみなさんには多忙ななか講演後の二次会でも遅くまで付き合っていただいた。また本書をまとめる際には校正や図版提出に尽力いただいた。加えて7人の構造家のみなさんに往復書簡という慣れないであろう作業もお願いしてしまった。忙殺されていると思われる実務の最中、煌くような書簡をしたためていただいた。書簡には時空を超えた話題が散りばめられ、それらを読むだけでも楽しい。しかも各構造家のキャラクターがくっきりと刻まれている。読者の皆さんは本書を技術書として読むとともに是非とも各講演者が「〜したい」と述べている部分を抽出してみてほしい。何気ない一言のなかの、性格や経験に裏打ちされた志の高さから学ぶことは多いだろう。私たちコーディネータの拙い司会に意味があるとすれば、少しでもそういう側面を引き出せたかどうかにかかっている。
 アーキフォーラムのルーツは1993年に大阪の建築専門書店柳々堂が発行した同名の雑誌だそうだが、その柳々堂さんが97年からの講演会シリーズをずっと支えてここまで至っている。10年目にして初めてここに書籍の形で結晶できたことで、会場準備や誘導も含め様々なセッティングに尽力いただいた同社の松村智子さん、松村隼さん、前田克巳さんに幾ばくかでも感謝と激励の意が表現できれば、と思う。また運営事務を継続的に行っている今井敬子さんはこの会にとって無くてはならない存在である。その節目の年からアーキフォーラムは新たにTOTOテクニカルセンター大阪を会場として開催された。同センターの伊藤智幸さんには熱い情熱と深い理解をいただいた。
 企画段階から、私を含む、門脇哲也、乾陽亮の3人のコーディネータに加え、複数のコア運営スタッフ体制を組織した。企画、スケジュール管理、連絡、記録、会場設営、そして大変なテープ起こしの作業を行ってくれた、殿浦俊明さん、日高香織さん、日高奈々恵さん、森本明雄さん、そしてそのほとんどに関わってくれた先述の今井さん。彼らとは毎月の勉強会や時々の見学会も共にし濃密な時間を過ごすことができた。さらに、井上和子さん、笠川由美さん、下田仁美さん、福西聡子さんにもテープ起こしには尽力いただいた。
 会場には延べ699人の聴衆のみなさんにお越しいただいた。繰り返し(もちろん1回でも)参加していただいた多くの方々、京都造形芸術大学通信教育部建築デザインコースおよび通学部環境デザイン学科の学生および卒業生のみなさんには大変支えてもらった。また、会場では毎回活発で鋭い質問が発せられ、会を盛り上げてもらった。その一部も収録されているが、名和さんの指名による建築家谷尻誠さんの発言をのぞいては文中では名前を省略させていただいた。  学芸出版社の井口夏実さんには当初から私たちの企画に確信的に興味を持っていただき、ぶれることなき推進力と幾度かの共振のもとに出版までご尽力いただいた。さらには佐々木睦朗さんには帯に激励の言葉を寄せていただいた。みなさんに心から感謝の意を表したい。

2007年10月

小野暁彦