木造軸組構法は、地域の気候・風土に適応して我が国の木造建築物の主要な構法として発展してきた歴史を有している。軸組構法木造建築物の構造設計は、概ね、建築基準法施行令ならびに告示等による壁量規定と、関連する仕様書的規定のもとに行われてきた。平成10年に建築基準法が改正され、仕様規定から性能規定への方針が示され、平成12年には建築基準法施行令が改正・施行され、壁量計算による設計法のみならず、許容応力度等計算および限界耐力計算などが適用できるようになった。本書は、軸組構法木造建築物、特に伝統構法を生かすことができる新しい限界耐力計算による耐震設計ならびに耐震補強について理解を深め、広く活用していただくことを目的として、限界耐力計算による設計の考え方、計算方法ならびに設計上の留意点をまとめるとともに、具体的な耐震設計・耐震補強設計の設計事例を示したものである。
耐震設計においては、耐震性能を設定し、それに基づいて設計された建築物の耐震性能を評価・検証し、耐震性能を確保することが基本となる。木造軸組構法は、地域特有の構法に加えて木材のばらつきや木組み接合部の複雑さなどから、構造解析は極めて難しく、詳細な構造解析がなされず、耐震性能の評価も不十分な状況に置かれてきた。木造軸組構法、特に筋かい等の斜材や合板等の面材に加えて金具等による補強などがほとんどなされていない伝統的な木造軸組構法建築物は、しなやかに変形することによって耐震性能を発揮するものであり、従来の壁量計算は、耐力重視型の設計法であるため伝統構法には適していないことが指摘される。一方、木造建築物のなかでも軸組構法建築物については、建築基準法で要求されている構造安全性を確保できていない建築物が多いことも指摘されている。
1995年兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災では、軸組構法木造建築物は甚大な被害を受けた。また東海地震、東南海地震、南海地震などの大地震の発生が予想される状況において、木造建築物なかんずく軸組構法建築物の耐震安全性が重視され、耐震性能評価に基づいた耐震設計法および耐震補強法の開発が急務となった。
このような状況のもとに、1999年に設置された(社)日本建築学会「木構造と木造文化の再構築」特別研究委員会(委員長:鈴木祥之)で3年間にわたり、木造軸組の振動台実験および静的加力実験を実施するなど木造建築物の動的特性に基づく耐震性能評価法や構造解析法の研究が進められた。WG2:木造建築物の構造設計法(主査:鈴木祥之)においては、伝統的な軸組構法にも耐震性能評価に基づく耐震設計法を適用するために、WG2-SWG1:終局強度設計法に加えて、WG2-SWG2:木構造限界耐力設計法(主査:斎藤幸雄)が設置され、限界耐力計算による耐震設計法の開発が行われた。また、2001年からは(社)日本建築学会近畿支部木造部会において、WG1:木構造の解析・実験的解明のもとに、動的・静的耐震性能評価実験に基づく木造軸組の解明が進められた。これに併せて、WG2:木造建築物の設計法(主査:斎藤幸雄)のもとに、限界耐力計算による設計法の開発が行われ、具体的な実用化への問題提起がなされた。これを受けて(社)日本建築構造技術者協会関西支部技術委員会(技術委員長:樫原健一)を中心とする設計実務者のグループが中心になって設計事例による検証を行い、設計実務者と研究者が一体となって問題解決に取り組んできた。このような取り組みは、研究者や設計実務者だけでなく、地域に密着した大工、左官などの技能者や地方自治体の行政担当者など多くの協力のもとに行なわれてきた。
このような限界耐力計算による耐震性能評価・耐震設計法の成果を木造建築物、特に伝統構法建築物に広く活用していただくことを目的として、「木造軸組構法の新しい耐震設計法−京町家の改修促進に向けて−」説明会を、主催:京都府建築士会、共催:日本建築学会近畿支部・京都府建設業協会京都支部・京都府建築工業協同組合・日本建築構造技術者協会関西支部、後援:京都府・京都市のもとに2002年7月3日にキャンパスプラザ(京都市下京区)で開催した。その後、近畿、東海、中国、東北、関東、北陸、四国地区15カ所において講習会を実施し、そのつど講習会用テキストを刊行して、多くの受講参加者から理解を得るとともに質疑事項を伺い、分かり易い解説や設計事例に改良する機会を得た。
そのような経緯のなかで、(財)日本建築総合試験所から、耐震設計・耐震補強設計マニュアル作成の共同研究とマニュアル編集委託を受け、「木造軸組構法建物の限界耐力計算による耐震設計・耐震補強設計マニュアル」第1版(2003年7月31日)および第2版(2003年10月30日)が刊行された。本書は、このマニュアルをもとに、上記の講習会と木造建築物の耐震性能評価実務から得られた知見を生かして再編集したものである。また、本書の編集委員会は、以上のような多くの講習会の講師や講習会テキストおよびマニュアルの編集にあたってきたメンバーで構成されている。
日本の伝統的な建築物である木造建築物が、今後も健全な形で継承されて行くためには、その特徴を十分生かせる耐震設計法の確立が強く要望される。
伝統構法の木造住宅に住むことを望む建築主も多いが、従来の耐力確保を主にした壁量計算による設計法のみでは伝統構法建物を建築することが大変難しい。また、工務店や大工も伝統構法の技法・技術を継承してきたが、金具等を用いない伝統構法による木造建築物の施工が、壁量計算を基本とする仕様書的規定によって難しくなっている。さらに、建築確認や中間検査を行う自治体行政等も伝統構法木造建築物への対応が難しい。このような状況から、伝統構法にも適した耐震性能の評価・検証法、耐震設計法・耐震補強設計法が要望され、現在の建築基準法の枠組みにおいては、本書で示す限界耐力計算による方法がそれに相当する。
本書で示した限界耐力計算を用いた耐震設計法・耐震補強設計法は、まだ完全ではなく未検討事項も残っており、今後も検討を続ける必要がある。木造建築物は、コンクリート系建築物や鉄骨建築物と比較して、まだ構造力学的に未解明の部分が多く残っている。木造建築物の軸組架構や耐震要素などの耐震性能に関する実験については、今後も継続して実施する必要があり、軸組架構のモデル化を含めた解析法に関する研究もさらに発展させる必要がある。実在の木造建築物を対象とする地震観測もまだ始まったばかりで、実際の地震で木造建築物がどのように揺れるのかは、実在木造建築物での大地震時の観測記録によるべきところが大きい。このような研究を背景に、常により良い新しい耐震設計法の開発が必要であり、木造建築物に最適な耐震設計法を目指して、研究者と設計・施工実務者との連携がより重要になると考えている。
当編集委員会は、本書が木造軸組構法建物の耐震設計および耐震補強設計のマニュアルとして設計・施工実務者等に広く活用され、木造軸組構法の技法・技術の継承・発展とともに健全な木造建築物が今後も建て続けられることを願っている。
2004年3月吉日 |