はじめに このインタビュー集は、現在社会の第一線で活躍する建築家の生身の声の記録である。多分に個人的な話題ばかりであるが、子供の頃の記憶を掘り起しながら、直近の関心ごとなども交え、気さくに語ってもらった。前著においても手応えとして強く感じたのは、建築家としての理論武装を超えた原体験の重要さである。時代が大きく方向転換しようとするときには、鋭利な武器でもある理論よりも、クリエイターとしての生理的な判断、「勘」のようなものが重要なのではないだろうか。 今回のタイトルは「カケル建築家」である。カケル建築家とは、翔る・架ける・描ける・書ける・賭ける・駆ける・欠ける・加計る・懸ける・掛る・×(乗数)建築家。カケル建築家、まだ若いけれど、そして完成していないけれど可能性を探求する建築家達である。ここに登場するのは建築家以外に建築計画者の小野田さん、そして構造家の陶器さん、金田さんも含まれている。しかし、本文を読み進むとわかってもらえると思うが、彼らの思考は建築家と同じ方向性を示しているものと確信する。どの場面で賭けて、どの状況で架けるか、どの段階で駆けるのか、様々な建築的可能性を発見する、翔る建築家達なのである。 少し抜粋すると、少年時代から大阪万博や「メタボリズム」にどっぷり漬かっていた千葉少年。メンコ勝負で勝つために微地形を発見する長坂少年。「鋳物の共同作業」に興味を抱いたことが計画者としての現在のポジションを彷彿させる小野田少年。ブラスバンドでトロンボーンを担当し音の響きに共鳴するチームワーク曽我部少年。レゴの街づくりでルールと逸脱に熱中する乾少女。ハラッパ遊びで足場丸太の構造的な美を発見する陶器少年。学校の授業から脱線し野菜づくりと竪穴住居の手づくりに取り組む肉体派芦澤少年。塀の上を歩き重力との微妙なバランスを楽しんでいた金田少年。子供時代の小さな体験、そのときどきの感性が今日の活動をどこかで方向付けているように感じられなくもない。 この本は建築を志し、これから建築の可能性を探っていく人たちに読んでもらいたい内容が詰まっている。建築論の理論構築の役には立たないかも知れないが、日常的なこと、誰にでも経験としてあったことと建築の接点を見つけ出してもらいたい。一見プライベートな話題ばかりで、建築のコンセプトや方法論などはあえて聞いていない。プライベートな体験こそ社会にとって重要な意味を持ち、概念的な設計論などはむしろプライベートに秘められたほうが魅力的である。このような逆転の視点でとらえるほうが、近未来の可能性を垣間見ることができ、現代の社会がかかえる様々な抑圧、不完全な制度の限界や乱用を乗り越える力の源泉にもなるのではないか。こんな視点で読んでもらえればと願っている。 二〇〇九年七月二六日 遠藤秀平
|