設計おばさん兼ふつうのおばさんを長い間やってきた。住宅なら1年に1軒か2軒が最適なペースである。ところが、求道学舎再生では、一度に10軒分。当分は設計おばさんに徹した生活をすることになった。建築が好き。住宅が好き。だから、設計の仕事はいくら難問が立ちはだかろうと一向苦にならず、むしろ楽しんでしまう。食器を洗いながら、洗濯物干しながら、電車のなかで、あれこれ難問と遊んでいる時間が好きだ。それも、工事が終わってしまえばあっという間に忘れてしまう。失敗だけは覚えているが、それとて年齢とともに保証の限りではなくなりつつある。
さて、求道学舎リノベーションを本に、というお話を頂いてから2年になる。文章となると葉書一枚書くのにも四苦八苦する私が、なぜそれを引き受けたかといえば、求道学舎再生事業に関しては、次世代のために少なくとも定借期限の62年間は、記憶に留めておかなければならないと考えていたからだ。募集を始めた頃から新聞や雑誌に取り上げられ、十分に記録されてきたとも言えるし、きちんとした竣工図も作成された。だが、忘れてしまわないうちに、内側から眺めた顛末をメモ程度でもよいから残しておきたいとの思いがあり、記録ならなんとか書けるかと安請け合いしてしまった。けれども、求道学舎南庭に建設中であった庫裡の工事が捗らず、それを理由に全く手をつけられないまま1年が過ぎた。やっと作業を開始したのは、庫裡竣工後の2007年3月になっていた。
できるだけ正確かつシンプルな記録にしたいと思ったが、事業の全貌を語るとなれば、その前提として求道会館のことも、近角常観のことも語らねばならず、武田五一について素通りするわけにもいかない。そんなわけで、本題に入る前の作業にかなりの時間を要し、ページ数がどんどん膨らんだ。
私は、設計者・土地と建物の所有者(の女房)・住人、を兼ねていたため、三者の本音を嘘偽りなく語ることができるのではないかと思った。とくに、所有者が抱く不安や心配事、所有者とその周辺に振り回されていく家庭のストレスは、求道学舎・求道会館のような、個人所有に近い小さな建物の保存または再生にはつきものだろう。いつもは物言わぬ者の声が多少なりとも聞こえたとすれば本望だ。また、改修・再生の実際に関心を持たれる向きには、正確な数字を挙げ、表を付けた。実務の参考にして頂けることが少しでもあれば幸いである。
私にとって、「求道会館・求道学舎」との関わりは、人生の前半には全く予想だにしていないものであった。降って湧いたような役割、つまり、求道会館の裏方仕事を、実はしぶしぶ受け入れて何とか凌いでいるうちに、求道学舎の再生事業に取り組むことになった。たくさんの人々の知恵と協力のお蔭で事業は成功し、思いがけず評価された。その結果、求道学舎再生を物語ることにもなった。再生事業の主人公・近角真一は、しつこく繰り返された私のインタビューに誠実に回答し、常観関係の古い資料をごっそり提供してくれた。近角の全面的なサポートによって、より正確に記録することができたと思う。記して感謝したい。
いうまでもなく求道学舎再生事業は、非常に多くの方がたのお世話になった。ここであらためてお世話になった皆さまにお礼申し上げたいと思う。なによりも居住者の方、居住者の参加がなければ再生事業は成り立たなかった。また、再生を現実のものにする「しくみ」作りを支えて下さった方、貴重な研究成果をもって難問解決に協力して下さった方、実測調査をし、図面にまとめて下さった皆さま、苦労を分かち合った大勢の工事関係者、共に試行錯誤したコーディネーター・設計スタッフの皆さん、心から感謝申し上げます。
本書執筆にあたっては、近角親族への聞き取りを含む求道会館修理工事報告書・卒業論文・修士論文に助けられました。皆さまありがとうございました。また、写真の使用を快諾してくださった皆さまに感謝申し上げます。本書を企画編集して下さった学芸出版社の井口さんにはたくさんのアドバイスを頂きました。井口さんの元気もこっそり頂きながら書き続けることができました。厚くお礼申しあげます。最後に、戦友・共同設計者の近角真一と家族の皆にも、ありがとう。大騒ぎして迷惑かけました。しばらくは静かにしていますね。
2008年3月 近角よう子 |