5 これからの活用

大河直躬(千葉大学名誉教授)

大河直躬先生


活用の効果
 こんにちは、大河でございます。今日は活用の興味深い実例の報告をたくさん聞かせていただき、とても感銘を受けました。私は歴史的な建物の活用は、非常に豊富な内容や役割を含んでいると思います。
 一般に言われている歴史的な建物の活用の効果は、まず古い建物を保存し、使いつづけることによる資源節約、それから文化遺産を保存して地域の歴史と文化を人々に理解していただくということ、それから観光や商業の振興、あるいは資金の節約という経済的な効果です。しかし、それ以外にもいろいろな重要な役割を含んでいると思っています。その一つは、これからの時代の建築という文化をつくっていくための、重要な手がかりがそこに含まれているのではないかということです。ここは私も学んだ建築学の教室ですので、その点について少し話をさせていただきます。
 例えばその一例として、「ギャラリー・エフ」の活用をみますと、二間半に二間で2階建てという非常に狭い土蔵の空間ですけれども、とても多用な活用がされています。保存された重厚な扉は喫茶店のよい背景であり、また人を招き寄せます。この土蔵の空間は、私たちに何か新しい楽しい活動を促す潜在力を秘めていると私は思います。村守さんのお話でもこのことが裏付けられると思います。
 次にこの工学部1号館の図書室ですけれども、内側の開架式の書棚のある空間は学問的な緊張を生む空間です。一方、元の外壁に沿った外側の空間は人をとてもリラックスさせます。いつ行ってみても、あそこには学生さんが椅子の上で気持ちのよさそうな顔をして寝ています。他の図書館、図書室でも休憩室を併設したり、中には和室を併設した例もありますが、このように私たちをある行為に誘い込むような空間を現代建築では見出すことが大変難しいと私は思います。
 それらと対照的に、優れた再生や活用がされた建物にふれると、建築に対する私たちの感覚が活き活きと働き始めるという感じがいたします。活用には単に古い建物を利用するということだけではなくて、そのような積極的な働きが含まれているのではないでしょうか。活用の目的や方向には、そのような働きを引き出すことができる無限の可能性が含まれていると私は思います。


新しい活用
 歴史的な建物の活用の形態はこれまでの常識的な分類によると、従来のままの目的に使うか、あるいは現在の社会の中に既に存在している別の使用目的に使うかに別れます。この二つの活用方法がそれぞれ有意義であることはいうまでもありません。しかし、その他に、活用が現代社会にはまだ存在しないような新しい使用目的をもつ場合があると思います。つまり、新しい種類の建築を作り出していくというような活用です。そのような活用の例も日本では最近いくつか挙げられてきました。今日発表された事例の中にもそのような要素を含んだものがあると思います。次に、皆さんあまりご存知ない一例を紹介させていただきます。
写真1 移築された茅葺き農家の外観
 これは愛知県岡崎市の吉村医院の裏庭にある古い茅葺き農家を移築した建物です(写真1)。ここでは現在、妊婦の自然分娩のためのトレーニングが行われております。この建物は今年4月の週刊朝日のグラビアで紹介されましたからご存知の方も多いと思います。また、その隣りで伝統的な木造で建てた「お産の家」と呼ばれる、分娩のための建物が現在建設中です(写真2)。この建物のことも昨年5月の東京新聞で紹介されました。古い農家や伝統的な木造建築を現代の医療に使うということは非常に斬新なアイデアで、私はこのような民家の活用方法があるとは想像もしませんでした。そのようなことで、今年6月に吉村医院を訪ねて、建物の活用状況を見学するとともに院長の吉村正氏からこのような試みを始められた動機についてのお話をうかがいました。次にそれについて簡単に紹介をいたします。
写真2 工事中の“お産の家”の外観


精神に安定を与える空間
 吉村医師は現在67歳で、名古屋大学医学部の大学院4年のときに産婦人科と外科の病院を営まれていたお父様が倒れられたので病院を受け継がれました。これまでの40年間に約2万件のお産を扱われました。茅葺きの農家は最初、吉村医師が仕事の合間の息抜きの場として1975年に足助町から移築されたものです。産婦人科医は陣痛がいつ起きるか分からないので息抜きのために遠くに出かけることが難しいからです。この農家は18世紀半ば頃に建てられた建物で、右側にあった座敷部分は取り去ってあります。最初はここに趣味の骨董品や民芸品を飾って楽しんだり、友達と息抜きをされる場所に使われました。
 そのうちに妊婦さんの息抜きの場にも使ってもらったらどうかということで利用が始まりました。そこで吉村医師が気付かれたのが、この建物が妊婦の緊張を解くのに非常に効果があるということです。お話によると、陣痛を感じて病院を訪れる妊婦は近代的な分娩室に入ると陣痛がやむことが多いのに、この建物は逆に陣痛が起きるということです。そこで20年ほど前からこの建物で自然分娩の準備のための拭き掃除、薪割、井戸からの水汲みなど各種の作業、自分たちがかまどで炊いたご飯を食べる昼食、ミーティングなどが始まりました。期間は普通の妊婦が1週間前から、逆子や難産の傾向のある妊婦は1ヶ月ほど前からと妊婦によって異なります。
 私がここにおられる妊婦の1人にいかがですかと質問したところ、最初に来たときの妊婦さんは緊張で顔が引きつっているが段々明るい顔になり、最後はルンルン気分でお産を待つようになる。相互のコミュニケーションも重要で先輩が教えてくれるので不安はないという答えが返ってきました。吉村医師のご意見では、最近は帝王切開が30%に達する、しかしお産は本来原初的なもので医学を必要とするのは特別に異常がある場合である、最近のお産の異常は文化的異常であるということです。
 このトレーニングの結果、帝王切開はほとんどなくなり、今は特別の場合にだけ行なわれるというお話でした。また、効果の医学的な根拠としては、このようなトレーニングは、もちろん心理的、生理的な面も含んでのことですけれども、ホルモンと自律神経系の状態が良くなる。自律神経系のうちの交感神経が緊張すると陣痛が止まるが、逆に副交感神経が緊張すると陣痛が促進される。民家のトレーニングはそのような効果を起こすのではないかというお話でした。交感神経というのは鳥肌がたったり、顔が真っ青になったりするほうの自律神経系で、反対側の副交感神経というのはそれとは逆のほうで、陣痛などは副交感神経のほうです。
写真3 茅葺き農家の内部で拭き掃除をする妊婦さん


お産の家
 この移築民家での経験から吉村医師は、現在ある近代的な病院の建築はずいぶん注意して建てたつもりの建物だが、分娩には適しない失敗だったと反省されて、97年に伝統的な木造による「お産の家」の建設に着手されました(写真3)。今年7月に完成する予定です。この建物の工事をされているのは地元の大工棟梁の石原良三さんで、石原さんは先の茅葺き農家の移築で初めて民家の工事をなされたそうですが、その後は足助町の三州足助屋敷の長屋門等も手がけられております。お産の家は延べ坪約100坪で、ベニヤ板やアルミサッシュは一切使っていない純木造で、大黒柱が立派な桧で1尺5寸角、土間の丸太の梁はチョーナ仕上げ、中廊下をはさんで南側は囲炉裏のある茶の間、和室の分娩室、診察室、産室などが並びます。上手の分娩室には床の間もついています。北側は助産婦さんの部屋、台所、便所、浴室があり、浴槽は桧で水中分娩もできるそうです。2階は最初は骨董品などを収める倉庫として計画されたそうですが、とてもよい木造の空間になったので母親教室に使われています。
 吉村医院にはもう一つ「かりがね荘」と呼ばれる建物があります。ここに値段表が出ていますけれども、昭和30年代に建てられた建物で、ここで家族ぐるみで1週間泊まり込んで助産婦さんの手助けで昔の自然出産が行われる。現在は残念ながら助産婦さんの都合で休止されているようです。見学の後、仕事をすまされた吉村医師と石原棟梁からお産の家の2階でいろいろな楽しい意見を聞かせていただきました。
 この見学で私が非常に感銘を受けましたことは、吉村医師の民家活用が非常に自然なかたちで発展を遂げてきたことです。最初に古い農家を移築されたときは個人的な休息場所でした。ご自分の民芸趣味で農家を選ばれたことだろうと思います。しかし、お産は自然分娩が一番よいと考えておられる吉村医師は、まもなくこの建物が妊婦に優れた影響を与えることに気付かれます。そしてここで本格的に自然分娩に備える妊婦の準備訓練を始められています。さらにその成果に自信を得て、次の段階としてお産の家の建設を現在進めておられます。この伝統技術を活かしたお産の家も、現在の産院の建築としては稀な試みだと思います。


可能性のある歴史ある建物の活用
 最後に簡単にまとめさせていただきます。先にも申し上げましたように歴史的な建物の活用は古い建物を使いつづけることによる資源節約や経済的な効果、あるいは文化財の保存に貢献するという面だけではなくて、私たちを新しい行為や新しい社会的活動に誘う効果を持っていると私は思います。今日これまで紹介されました優れた空間やそこで生み出されている行為とか感覚は、近代建築が長く忘れてきたものではないかと私は思います。歴史的な建物の活用は現代社会で非常に広い範囲の役割を持っていますが、建築の分野でも今申し上げましたようなかなり重要な問題を提出しています。そのようなことから歴史的な建物の活用にぜひ多くの方が関心を持ち、また積極的に参加していただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。
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