2 こだわりを持った和風旅館
小池邦夫(鳳明館)
和風旅館の鳳明館
地元、鳳明館の小池です。よろしくお願いします。最初にJRの駅もないようなところでよく宿泊業をやっていられるな、ということで不思議に思われるでしょう。一体どういうところなのだろうということをまずお話ししたいと思います。
本郷の街は、坂の上の方が金持ちの、平たく言えば豊かな人、坂の下のほうは水が出るし、貧しい人という時代があったそうです。
左側は戦時中、戦前下宿だったのですが(写真1)、祖父が毎日新聞の記者に大蔵省に貸した方がいいか、軍需省にに貸したほうがいいか質問したところ、この戦争は絶対勝てっこないから軍需省に貸せと、そうすれば負けたと同時に商売を始められるよと、と言われました。そして、その当時からしてみれば、非常に非国民だったと思うのですけど、その言葉を信じて軍需省に貸して、敗戦と同時にすぐ、その頃でいう一円宿を始めまして、その当時の一家を支えたということを聞いています。それであっという間に2、3年で借金も返しまして、右側に自分の自宅を造り始めたのです。ここは、勝手に石を持って来たり、木を持って来たりして、宝塚女優の天海祐希のおじいさんがそのときの土建屋の大将でして、それで2人で「ああでもない、こうでもない」といいながら、自宅を造り始めた。ところが、常連たちから宿屋の親父ごときが客よりもいいところに住むとは何事だということで、急きょ右側の方は自宅から宿屋に改装を始めました。畳数にして176畳造るのに2年以上かけています。
本館の左側にある灯篭など、私は人に価値をいわれるまで気付かなかったのですけど、なかなか価値があるということで喜んでいます。これが台町別館の階段のところです(写真2)。これはお年寄りが多いので、ここのところだけ新しい手すりです。階段に使っている材料は桧がほとんどだと思います。そして一枚板です。こちらのトイレの丸い窓のところにある彫り物ですとか、そういうものがまだ十分残っているのが台町別館(写真3)です。この下のところに、全部那智石を持ってきまして、それに桧を全部渡している感じになっています。
鳳明館では、だいたいすべての部屋が違っておりまして、それが昔は料金設定をするときにネックになっていたところです。これは後でもお話しますけれども、風情をとるか、最低限の備品設備をしていくかというときにいつも、金庫や電話やクーラーをどのように処理していくのか悩んでしまうところです。
旅館とのかかわり
私は生まれたときから学校を卒業するまでずっと、旅館に住んでいたわけですが、はっきり言いまして、自分のところが価値があるなどとは夢にも思わなくて、むしろ修学旅行で自分が行った宿でも自分のところよりもボロいところはなかったというのが現実的な感想です。木造であることと駅から離れていることが非常に恥ずかしいというか、これでよくやっているなと思い、自分が卒業したら旅館だけはやるまいと思っていました。
しかし、中小・零細の宿命ですけれども親族の不幸で突然人生変わってしまうわけで、それで突然サラリーマンをやめまして、入って営業やれと言われてやっていたのですけれども、たまたまその頃はバブルのスタートの頃で、今では考えられないような状態でした。ある日突然旅行会社が菓子折持って、この何ヵ月かの間に150人入れるような日があったらすぐこの場でお金払いますというような信じられない話があるほどでした。その頃が逆に我々の方向性を失わせた部分が多々あったのではないかと思います。うちがたまたま今回取り上げられていますけれども、本郷にはもっといい造りの旅館も多々あったはずなのです。それが、子供が増える、旅行客がどんどん来るという中で、収容力競争をやってしまったのです。それでいい庭を壊してロビーにしてしまったりとか、変に若い人に媚びようとして床の間を壊してクローゼットにしてしまったりとか、そういうことをやってしまったわけです。
我々の業界で「ババアの厚化粧」という言葉がありまして、見た目は若いですけども、近くから見てほんの10秒くらいでもうボロ屋ということがわかる。見た目は若い子にそっくりでも、ちょっと、ほんの2、3秒見ればもうおババだということが分かるということで、ババアの厚化粧みたいな旅館が増えてしまいました。それでいかに旅行業者に受けるか、いかに旅行業者に贔屓に、喜ばれる宿にするかということが主眼になってしまったために、日本中みんな同じ旅館になってしまったのです。そこでもっと悪いことに、みんなで見栄の張り合いをしてしまいまして、みなさんも温泉場に行かれて思ったと思いますけれども、大きければいい、豪華であればいいという時代が一時期ありまして、その結果、小さくても味わいがあるとか、手作りのサービスを残しているというようなものが想像し得なくなっていたときがあったのです。
木造旅館の問題点
三船先生には非常に好意的に、和風にこだわりを持ったためにこれを残した、というのはかなりよく言ってもらっていることです。バブルの時代になぜ改装もできないかといいますと、ひとつには建築基準が厳しすぎることがあります。今うちを改装すると収容力が減るのです。皆さんは木造に対して非常に愛情を注いでくれるけれども、消防署と保健所は木造に対してはあまり歓迎していないようです。保健所と消防署のいうとおりに宿屋を造ると、都心部では趣きのあるものはできなくなるのではないでしょうか。最低限の機能と言われたとおりの廊下の広さというものを確保しますと、泊まっていてもコンクリートの塊の中にいるようなものとしか思えないでしょう。
そこで私がそのときになぜ改装できなかったかといいますと、旅館というのは予約があっての商売です。大変暇な時期も連日、団体が来ているわけですから、工事する期間が取れないくらいです。旅行業者へいって「頼むから俺んち全館休業くれないと住込みの従業員が死んじまうよ」と言って、お客さんを入れないでと頼みに行ったことが10年前にはあります。今とはまったく、180度違うことを平然と言っていた時代です。
以前、本郷は修学旅行で有名でしたけれども、現在は問題が発生しています。歴然としたデータの一つは少子化の問題です。修学旅行である学校に好かれて、来年も鳳明館さんお願いするよといわれるけれども、そのたびに一クラスずつ減っていきます。そうしますと、喜ばれる食事を出し従業員が一生懸命やると来年必ずその日は売り上げが下がっていくという、商売人としてみたらこれ以上嫌なことはないという状態がおこるわけですね。それにあわせて文部省がわけのわからない自主性を重んじようということでバスに乗っての物見遊山はいかんと言い出したわけです。
そうしますと旅行業者は1年間先生をお世話して挙句の果てにバスは使わない、弁当はみんなで食べてくれない、みんなで劇場には入らない、これでは儲からない。そこで出てきたのは「バス代使わないのだから先生、ディズニーランドの隣りの豪華なホテルに泊まれますよ、そうすれば夜中までディズニーランドで遊べますよ」ということだったわけです。「鍵だけ渡して、朝レストランで会えば先生大丈夫ですよ。先生、本郷の旅館の時代は終わりました、あれは木と紙でできています。木と紙と正確に言えば土ですけれども、火事になったらどうします」と、これでもう一遍に流れていきました。学校の先生もこれは楽だなという、楽したい先生のニーズと儲けたい旅行業者のニーズとこの二つが合ってしまったのです。
しかし、何名かの子どもが同じ空間で一晩過ごすことで得るものは多々ありますし、先生と生徒のふれあいがあるのが旅館です。このような良さもあるのですが、同じ大きさの学校が舞浜あたりのホテルに泊まるのとうちあたりに2泊するのと旅行会社の収入は3倍違います。そういうところもあったのだろうと思います。
新たな方向性
そのようなときに営業の責任者としてどうやっていくのだと、従業員の雇用を守っていくという問題があるのです。宿屋の親父の趣味だけで生きていける、給料も出せる、自分も生きていけるというほど実際甘くはないのです。その中で出てきたのは、毎年ドイツから建築家だとか写真家のグループが泊まっていて、「一体あんたら何でこんな尺と寸でできていて、鴨居に頭ぶつけるようなところで布団から足をはみ出して寝て楽しいんだ」と言いましたら、「俺の事務所はヒルトンにあるんだ。何で東京に来てまでヒルトンに泊まらなきゃいけないんだ。この旅館というのは日本にしかない宿泊形態じゃないか。当たり前の日本人が住んでるから、お前のとこは日本人だけ住んでるから泊まるんだ」というように言われました。都心部の人に宴会をPRしようといろいろな手を打ちましたけれども、なかなか無くて開き直ったのがその短冊になっている外人向けのパンフレットです。それは必要性があって作って客を呼ぼうというよりも、多くなってしまったので仕方がないから作って、キャッチフレーズが私のつたない英語での開き直りの一文だけです。
旅館の歴史からいいますと、結局私のひいじいさんが大変な金持ちだったのですけれども、何しろ派手好き、選挙、女、相場大好きで大借金を作ってしまって、それを返すためにじいさんが出てきて、スタートしたというのが本当のところです。ただどうしても、木造である程度注目を集めるとか、地元の行政が補助金を出してくれるとか、何らかのヘルプをしてくれるのは、今日の読売新聞にも京都の俵屋さんが文化財登録されるということが出てましたけれども、歴史的な大人物が泊まっているとか、歴史的な事件が起こったとか、そうでないとなかなかやってくれないのが現状ではないかと思います。鳳明館についていえば、ミズリー号の艦上で終戦の署名をした重光全権大使という方が下宿されていたというくらいしか有名人というのはありません。今、宿屋のほうとしますと一番いいのはお宅がいいからお宅に行くんだよ、お宅のなんとなく漂っている空気だとか、従業員さんの雰囲気だとか、そういうものが好きだからJRの駅がなくても本郷3丁目から歩いて10分かかろうと、お宅に泊まるんだよという人だけで商売ができれば一番いいのですがそれはあまりに理想すぎる話です。今はその比率を上げながらやっていこうということで頑ばっています。
また、そのヒントとなったのは、やはり町並み保存連盟の皆さんがお泊りいただいたときに、我々が気付かなかった部分の価値を教えていただいたということです。したがって目を見開かせてくださったのは町並み保存の皆さんであり、何年間も毎年続けて泊まっていたドイツの建築家・写真家の皆さんです。結局はお泊りいただいた方とそれから常日頃からそういうものに対して愛着を持っている皆さんの声から教えていただいたということが現実だと思います。したがって宿屋の言いかたからすれば、何でもいいから100人やるよという仕事よりも、あんたのところが気に入っている、でも3人なんだという方が間断なく来ていただくほうが従業員にとっても気持ちよく接しられます。これは理想だとは思いますけれども。
もう時間も少なくなってきましたけれども、今は結局、田舎の駅の食堂みたいな旅館にはなりたくない。カツ丼もある寿司もあるスパゲティもあるけれどどれもおいしくない、そういう旅館にはなりたくないというのが心意気ではあります。もうひとつは、最近アカウンタビリティ、説明責任という言葉があります。うちは確かに静かな環境だと思います。のんびりもしています。ただ、小学生が50人も泊まったらこれはとても騒々しい宿になります。防音性の問題においては最新のビジネスホテルなどに比べたらやはり弱いですから。そこで予約の段階からきちんとものを申し上げていく、「悪いけどこの日は小学生が100人いるから絶対静かに寝られないよ」と、これを言ってあげることはやはり宿屋の説明責任ではなかろうかと常々思っています。これからは、何といいますか、皆さんが結婚25周年のときに食べに行くレストランと昼間の仕事中に食べに行くレストランとそれから駅の乗り換えのときに慌ててかけこむ食事というように場所を変えるように、旅行する時にもケース・バイ・ケースで宿を使い分けていく、そうした多様化した時代が来ればうちも生き残る道が出てくるのではないかと考えています。
インターネットを使った宣伝
今、ありがたいのは、海外からのお客様が増えていることで、最新のテクノロジーの発達のおかげだと思います。ビジュアルに鳳明館が国際観光振興会のウェブサイトで見れて、そこに対してEメールであんたのとこどうなっているのと訊いて、それに対してこうだと答えても、通信コストが横浜のお客さんと宴会の打合せするよりも安い費用になるわけです。うちあたりの宿泊料でFAXとか国際電話で外人とやっていたらこれはもう損するためにやっているようなものになります。だから、その辺のところはいい時代になってきたな、小さくても個性のあるところはインターネット、Eメールといった新しい電脳の世界によって生き残れる芽が出てくるのではないかと、これは私が強く感じるところです。
あとは、きっとこれからは温泉場もまた良くなってくると思いますけれども、昔のいい温泉場はもう二度と戻らないと思います。今、北陸のほうの大型の温泉旅館が、射的場も飲み屋も土産物屋もみんな自分の館内に取り込んでしまってその結果、温泉場の町を壊してしまったことに気がついて、慌てて自分のところの資本でまちに射的場や飲み屋を作ったりいろいろしていますけれども、一度壊してしまうとその風情は二度と同じものにはなりません。日本の温泉旅館はこれから我々都心の旅館よりもっと厳しい状態になるだろうと思っています。日本のマスコミがいけないのだろうと思うのですけれども、皆さんのほうで、熱海はみんなほとんどつぶれてしまったみたいな乱暴な言いかたがされていますけれども、宿屋の女将さんや親父さんの目の届く範囲で常連さんに支えられている小さなお宿さんというのは熱海や伊東でもまだきちんといいサービスを続けています。ただ、これが皆さんのほうへ旅行会社が「「旅行会社の方いませんよね「「旅行会社さんがおすすめしないだけなんです。コンピューターの画面に出てきて、高い手数料払ってくるところから売りなさい、紹介しなさいというのが旅行業者の考え方ではないかと思います。だから、その中で旅行業者に手数料払いません、常連さんの紹介で充分ですというお宿さんは皆さんのところにどうしても紹介されません。そういうところに限ってマスコミの取材お断りが多いですから、本当にいいもの、皆さんの探しているものがなかなか取れないという悲劇があります。私は旅行業者の会合でもそういうことを発言しています。
これからおもしろいのは、旅の窓口というインターネットのホームページがあって、新しい予約のシステムでこれは双方向です。旅行業者の窓口のお姉さんが「小池さん、あなたにはこのホテルがいいですよ」と言ったときには、僕は疑ってかかるわけですけれども、新しいインターネットの世界で出てくる双方向のシステムというのは実際に泊まった人が自分の感想をいくらでも書き込めますから、それを読んでおけば本当に泊まった人が何を感じて、何が良かったか悪かったか全部わかったうえで行くわけですから、自己責任で宿が選べて旅行できる、大変面白い時代が来たと思います。しぶとくしぶとくこれからもがんばって旅館業をやっていこうと思います。
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