歴史・文化のまちづくりニュース NO.17

発行・歴史・文化のまちづくり研究会
発行日 1999年12月4日
文京区本郷4-1-7-3F(エコプラン内)
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●「佐藤重夫先生(広島大学名誉教授)講演会」が開催されました

第6回歴史・文化のまちづくりセミナー開催
 10月29日(金)18時45分から東京大学山上会館大会議室に於いて「第6回歴史・文化のまちづくりセミナー」が開催され、多数の参加がありました。今回は、本年度日本建築学会大賞を受賞された広島大学名誉教授の佐藤重夫先生に、「瀬戸内海のこれから」と題して御講演をいただきました。三船康道氏(エコプラン)の司会で、初めに藤島幸彦氏(綜芸文化研究所)から御挨拶がありました。
 先生は明年1月11日にはめでたく米寿を迎えられます。

「瀬戸内海のこれから」
 御講演では、瀬戸内の海やそこに点在する島々、また人々の営みが歴史をかけて築き上げてきた町並みや庭園の美しさを、岡山の後楽園、竹原の家並等を例にスライドを交えお話いただきました。
 中でもその中心は、世界遺産にも登録された厳島神社で、船着き場からの参道や、瀬戸内の対岸は観光目的の施設が年々建設され、神社の周辺は景観破壊の波にさらされている状況を御指摘されました。貴重な文化財とそれを取りまく環境が、社会共有の財産と認識されていない厳島の現状を、イタリア山岳都市の模様とも比較され、瀬戸内での広域的な景観保護の必要性を訴えられました。
 「厳島の問題は、すなわち瀬戸内全体の問題である」との先生の御発言は、経済成長の名の下に利益本意の開発が、瀬戸内ひいては日本各地の景観風土を荒廃させている現況を深く反省すると共に、将来に向けて、その地域固有の歴史や文化、自然を大切にしたバランスのとれた開発のあり方を訴える貴重なお言葉となりました。
 講演の後、山崎弘氏(日本民俗建築学会理事長)、三船康道氏が加わり、瀬戸内の環境の保全をテーマにパネルディスカッションを行いました。

懇親会
 21時30分からは赤門前のレストランに場所を移して懇親会を行いました。日本民俗建築学会の皆様にも多数お集まり頂き、和気藹々の中に楽しいひとときとなりました。
(報告:上原英克)




■碑 文 谷 の そ の 後

 前回、前々回とお伝えしてきた目黒区碑文谷の第一勧業銀行碑文谷グラウンドにある旧日本勧業銀行本店の別棟とクラブハウスはこれまでに各団体による要望書の提出や見学会が行われてきました。
 その後、10月30日(日)には地元住民による見学会が行われ、130〜140人もの人たちが参加しました。この時にとったアンケートでは参加者中、回答があったのは99人で、二棟とも解体と答えたのはわずか19件でした。残りは両方あるいはどちらか一方を保存すると答えており、圧倒的多数の人が保存に賛成していました(11月17日付読売新聞記事参照)。また、11月27日(土)には地元説明会があり、住民が多くの質問をしましたが打ち切りとなってしまいました。
 こうした地元住民の声にもかかわらず、目黒区議会は11月30日(火)に「クラブハウス」は解体を前提として購入することを全会一致で可決しました。また、「別棟」については調査の最終報告を待って決める方針とのことです。



■ブックレット好評発売中

 歴史・文化のまちづくり研究会が主催するセミナーでは第3回から記録集としてブックレットを作成してきています。これまでに以下の3冊が出版されております。

第3回 藤島亥治郎先生白寿記念『道と宿場町−中山道』
第4回 西村幸夫先生『歴史を活かしたまちづくり』
第5回 「歴史ある建物の活かし方」出版記念『歴史ある建物の活用に向けて』

 いずれも売れ行きが好調で、残部が少なくなってきています。また、まもなく『第6回 佐藤重夫先生日本建築学会大賞受賞記念「瀬戸内海のこれから」』も出版されます。予約・購入ご希望の方は電話あるいはFAXでも受け付けていますので、お早めにどうぞ。(1冊 会員:500円,非会員:800円;送料:200円)



■臼杵と文京区 臼杵紀行

 臼杵、初めてではあったが、その坂道と武家屋敷に代表される情緒にすっかり魅了されてしまった。その魅力の原点を探っていくと、街がただ、旧いだけでなく、そこに現代の生活が息づいていることに気が付く。「昔は街がもっと暗かった」と誰かが言っていたが、その街が明るく変身しているのである。
 町並み保存運動がこれほどうまくいっている要因は二つある。今回二度目の全国大会を成し遂げたS氏を中心とする強力な指導力の存在と町の指導者層の支援である。これには行政のみでなく市民や醤油醸造業を営んでいる有力者K氏の存在が特筆される。
 この二つがあいまって、臼杵は大分県だけでなく九州全域にも影響力をもちつつある。私は日本ナショナル・トラスト協会の一員として、この全国町並みゼミの活動も広くナショナル・トラストの運動として考えられないか、という問題意識をもっており、歴史・文化のまちづくり研究会のセミナーも同様のテーマを胸に秘め、楽しく参加させて頂いている。
 今後この研究会が文京区における強力な発信基地となり、九州における臼杵のように東京全域に影響力を持つように発展していけば素晴らしい。臼杵はそういう勇気と夢を与えてくれた。
(報告:中村一行)




■「日光の社寺」が世界遺産に

 この度、「日光の社寺」が世界遺産(文化遺産)に登録されました。国内では原爆ドーム、古都奈良の文化財などに続いて8件目となります。登録が決まったのは徳川家康の廟として江戸時代初期に創建された「日光東照宮」のほか、日光山岳信仰の中心として崇拝された「二荒山神社」、日光山の中心寺院の「輪王寺」の計50.8haです。遺産保護のための緩衝地帯を含めると計424haに及びます。江戸時代の特徴を伝える建造物が多く、東照宮の陽明門など国宝9件、重要文化財94件が含まれています。



■最近の登録文化財

 10月15日の文化財審議会では全国で35ヵ所の建造物が登録文化財として答申されました。そのうち埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県のもの13ヵ所についてご紹介します。
★遠山記念館(旧遠山家住宅)(埼玉県比企郡川島町)
 川島町出身で日興證券を創設者した遠山元一が、生家を復興して建設した別邸。
 主屋以外にも土蔵や茶室等を含め、優れた近代和風建築で構成されている。
★選擇寺本堂(千葉県木更津市)
 木造3間仏堂を忠実に再現したRC造の寺院本堂。
★香雲閣(千葉県佐原市)
 唐破風造の玄関をもつ均整のとれた和風建築。
★前田育徳会(東京都目黒区駒場)
 旧加賀藩前田家伝来の典籍・文書を保管する尊経閣文庫の一連の施設。
 事務棟は高橋貞太郎の設計になる本館。いずれもRC造で、窓やスクラッチタイ
 ル張の外壁を巧みに扱った意匠が特徴。
★守屋家住宅主屋(東京都大田区大森北)
 良質の材を用いた質の高い和洋折衷住宅。
★高橋診療所(東京都大田区山王)
 昭和初期に流行したスパニッシュ風の外観を残す。
★河原家住宅主屋(東京都大田区南馬込)
 学校建築を活用した時計台のある特異な住宅。
★萬屋酒店(東京都大田区池上)
 池上本門寺の門前町にある伝統的町屋形式の店舗。
★鳳凰閣(旧清明文庫)(東京都大田区南千束)
 簡明なデザインの外観だが、正面4本の柱型が特色。
★鈴木家住宅主屋(東京都大田区田園調布)
 木造2階建で複雑な屋根の構成に特色がある洋館。
★吉川家住宅主屋(東京都大田区田園調布)
 映画撮影用に建設されたと伝える平屋建の洋館。
★萩原家住宅(東京都世田谷区三宿)
 木造大壁造、水平を強調した外観で、遠藤新の作品。
★奈良屋旅館本館(神奈川県足柄下郡箱根町)
 箱根で最も古い由緒を持つ老舗旅館で、広大な敷地に庭園と離屋を点在させた
 分棟形の配置をとる。明治から昭和にかけての多彩な和風建築群で構成されている。



■文京のまちを歩いて

 10月2日(土)に「文京のまち歩き−登録文化財を探訪しよう−」と題して本郷、根津を中心としたまち歩きが行われました。当日は9時45分に丸の内線の本郷三丁目駅に集合し、簡単な説明があった後に出発しました。
 まず始めに向かったのは本郷中央教会とさかえビルでした。本郷中央教会ではエントランスホールを中心に見学しました。この教会は関東大震災後の昭和4年に復興されたゴシック形式のものです。さかえビルは昭和9年に建設された外壁やテラコッタ装飾に特徴のあるビルです。いずれも戦火をくぐりぬけて、現在では登録文化財となっています。
 その後、東京大学の本郷キャンパスへと移動しました。東京大学は近代建築の宝庫で、7件の登録文化財があり、それらを中心に見学しました。また、キャンパスが広くとても数時間では見ることができないので、来年にでも東大のキャンパスのみの見学会を開催してほしいとの提案もありました。
 最後は、根津のはん亭でしたがその途中にも興味深い建物がいくつかあり、あちこちと寄り道をしながら向かいました。はん亭では実際に中へ入って見学することもでき、品格のある木造三階建の外観ととても落ち着いた内部とを楽しむことができました。
 今回は、いろいろな建物と同時に街を見ながら歩くという、これまでの見学会とは少し違った趣を楽しむことができたのではないでしょうか。



■藤島一郎氏ゆかりの品がNHKに寄贈される

 国民栄誉賞を受賞され、「青い山脈」などで有名な国民的歌手、故藤山一郎氏のゆかりの品が奥様のはからいでNHKに寄贈されました。
 藤山家(目黒区)では一郎さんが生前使っていたように室内を保存し、レコードや楽譜等音楽活動にかかわる物を保存し、受賞したトロフィや記念品などを飾っておりました。写真は使っていたピアノと室内。

 しかし、この度音楽活動に関するこれらの全ての品をNHKに寄贈しました。NHKでは博物館を増築しこれらの品々を後世に伝えるため永久保存し公開するそうです。来年以降の公開が待たれます。写真は当時の室内と記念品等。




■坂の見学会のお知らせ・・・“富士見坂から富士山を撮影しよう”

 −文京区内の知られざる富士見スポットへいざ!!−
 都内には富士山の見える富士見坂が2ヵ所あります。しかし、普段はなかなか見ることができません。
 そのため空気のきれいな正月中に、富士見坂からの富士山を撮影したいと思います。文京区の富士見坂と荒川区の富士見坂を撮影します。希望者は電話でご連絡下さい。

  日 時:2000年1月3日 午前10時〜12時
  集 合:「護国寺仁王門前」文京区大塚5丁目
      (最寄駅:地下鉄有楽町線「護国寺駅」)
  予 定:文京区の富士見坂で撮影し、その後荒川区の富士見坂へ行きます
      ★雨天、雪、曇りの場合中止



★ <連載企画>みんなのたてもの・まちなみ その5 ★

 『腕のいい大工が、三尺の板を削ると、削ったほうの鉋屑が三尺より長くなります。材木が生きているということなんでしょうね。木が薄く削られて羽二重みたいになって舞い上がる、その時ふわっと膨らむんです。良い道具と良い腕の関係ってそういうものなんです……、樹齢三百年の木を伐ったら、三百年は使えるものを作るのが木に対しての礼儀だ……』と、既に鬼籍に入った近所の棟梁が言っていた。
 東京では次々に風景が変わるそれが常態になっている。だから逆に、かつてあった建物や風景へのノスタルジー、懐旧への思いが強くなる。『オンリー・イエスタディ』(つい昨日のこと)がもうノスタルジ−の対象になってしまう。京都や奈良の古都では昭和30年代の風景が懐かしく思い出されることは余りないだろうが、東京ではそれがもう"想い出"になってしまっている。東京の町は本当に変化が激しい。ついこの間まで存在した建物が何時の間にか消え、新しい建物が次々に建てられて風景が一変する。そして何時の間にか新しい風景にも慣れてしまう。
 戦後50数年経過したが、その前半と後半、高度成長以前と以後では人々の暮らしは全く変わってしまう。戦前、戦中、戦後を経験してきた昭和シングル生まれには『一身にして二世を経る』の思いがある。
 昭和30年代は、日本の生活史上、重要な意味を持っている様に思える。昭和20年の敗戦は政治システムを大きく変えたが、人々の暮らしそのものは戦前も戦後もさほど大きく変わらなかった。相変わらず江戸時代から明治、大正、昭和へと受け継がれてきた生活用具(卓袱台、井戸、蚊帳、鰹節削り、リヤカー、ソロバンなど)が活躍していたが、それらを使う生活習慣も昭和30年代に殆ど消えていった。
 職人が丹精込めて作った昔からの台所用品は自分で使いこなしていくうちに段々使い勝手がよくなっていった。逆に機械の作ったものは使い始めが一番よくて、後は徐々に悪くなっていく。『木造建築』もそうである。その家に住み使い込むことで、段々といい家になっていく。戦後、都会に建ったビルは建った時が一番美しくて良いが、後は次第に汚れ傷み始めていく。
 その様な中で関東大震災と大空襲の被害を免れたと思われる木造建築三階建?"水上酒店"(台東区入谷一丁目)は長い間使い込まれてきたその姿が実に美しい。親方に徒弟制度のもとできっちり修行し腕を磨いた職人というか"匠"たちの仕事が随所に生かされているからではないだろうか。
(報告:高木 貞)


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