都市・農村の新しい土地利用戦

まえがき

 新規住宅に対する強い選別の進行によって、人口減少時代の到来が遠い将来の話から日常生活の中で実感されるまでに迫ってきている。郊外部に“焼畑商業”が蔓延して都市中心部の核としての魅力が減衰する一方で、郊外団地の均質的環境に倦んで密集市街地の混沌を好む若者が少なくない。高齢者の都心への回帰傾向が具体的に見えてきている傍ら、自然の環境に包まれて「農」に親しむ中高年がじわじわと増加している。都市は今、骨格レベルで変質を起こしつつある。“住める場所に棲まざるをえない都市”から“棲みたい場所に住める都市”への変化を目指して様々な動きが進行している。

 こうした都市自体の変質に呼応して、都市計画制度の変貌も著しい。分権一括法による機関委任事務廃止、都市計画案申出制度の導入、そして区域区分制度の選択制移行、開発許可制度の弾力化、建築基準(形態規制)のメニュー化の徹底と続いている。一方で、自治体の自主条例によるまちづくり政策強化の動きもブームのように活発である。これらの動きを読み解く鍵は、「地域による自主的選択の拡大」である。

 都市計画は明治末期の市区改正条例によってそのシステムが構築されて以来、初期のころは国威発揚を目的とした「帝都の体裁」を整える側面が強かったが、戦後の復興期、高度経済成長期を通じて、安全・衛生・効率という基礎的性能の向上に邁進してきた。それも十分とはいえないが、高度成長時代が終焉を迎えた1970年代半ば以降、快適性を求める動きが少ずつ拡大し、ここにきて、快適性から更に一歩進めて地域・都市・地区のアイデンティティーを求める動きへと、質的な転換を遂げつつある。
 土地利用に関する都市計画制度は、1963年の容積地区制の採用、1968年の区域区分制度の導入、1970年の8用途地域・全面容積制への移行、1975年の日影規制の導入、1980年の地区計画制度の成立まで、計画性の強化とでもいうべき方向で―すなわち都市内の乱雑な開発行為・建築行為を計画性のもとに整序しよう観点から―制度改正が進められた。しかし、1982年に登場した中曽根内閣によって内需拡大・規制緩和路線が打出されて以降、流れが変わった。開発行為・建築行為の経済活動としての側面が重視され、その自由度を高めることが都市政策上のテーマとなり、台頭しつつあった地域アイデンティティの形成を重視する考え方との間で軋轢が生じた。この両者の折合いをどうつけるかをめぐって、国・自治体を通じて様々な模索が続けられてきている。国政レベルではほぼ一貫して経済活動を重視した規制緩和の方向性が強調されたが、制度改革としての着地はツールの多様化と自治体選択肢の拡大という形式が採られた。このことは、経済活動と地域アイデンティティーとの折合いは自治体レベルでつけるしかないと言うことを制度的に表現したと見ることができる。

 その象徴的なものが2000年の都市計画法改正による区域区分(いわゆる「線引き」)制度の選択制移行とそれに関連する改正である。このドラスチックな方針転換を自治体レベルでどう受け止めるべきか。2004年5月までが当面の方針確定のタイムリミットとなっている。本書は、2002年こうした問題に関心の深い専門家がNPO法人日本都市計画家協会の中に研究会(座長:蓑原敬氏)を組織し検討を重ねた成果を踏まえて、関係者が改めて稿を起して取りまとめたものである。自治体で都市計画を担当している方々、都市計画コンサルタントとして実務を担っている方々、大学で都市計画の研究に関わっている方々といった皆さんに向けて「一石を投じた」つもりである。関係者の皆さんの忌憚のないご批判を期待している。

 本書の執筆に当っては、全国的な状況を把握する必要から2002年11月全都道府県に対してアンケート調査を実施したが、年末を控えたあわただしい時期にも関わらず45都道府県から回答が寄せられ、自由回答欄にも多くの有益なご意見を頂戴した。その内容は巻末に「資料2」として収録しているが、ここに改めて感謝の意を表したい。

2003年4月
柳沢 厚(C-まち計画室 代表)