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大型店とドイツのまちづくり


あとがき―ドイツのまちづくりから学ぶこと

 この本を読んだ方は、ドイツのまちづくりに対し、いろいろなことを感じたことだと思う。これまでドイツの都市計画を理想と信じ、「計画なくして開発なし」が実践されていると信じていた方は、それが幻想と知り、落胆したかもしれない。また、議会の強さや個人の役割の大きさに驚いた方もいるだろう。またある方は、ドイツが都市計画の名の下で行っている大型店の扱いが、日本が大規模小売店舗法時代に行ってきた店舗面積の調整に似ていると感じたかもしれない。ただ、「これを行えば市街地活性化に成功する」という内容を予想していた方には、期待はずれの内容だったことと思う。ドイツの状況から考えても、「こうすれば活性化に成功する」という魔法の杖があるとは思えない。現在の日本で努力されているTMO(タウンマネジメント機関)や都心居住の推進も、活性化にプラスすることは確かである。しかし、「これで十分」という対策だとは考えにくい。

 わが国で市街地活性化の中核を担っているのは、中心市街地活性化法である。この法律を審議した衆議院の商工委員会と建設委員会の連合審査会(1998年4月28日)では、井上義久議員が次のように質問している。「いわゆる大店の郊外立地、これが市街地空洞化の一つの大きな要因になっているわけですけれども、(中略)本法律で用意されている各省庁の多様な中心市街地活性化施策、予算措置も、郊外への商業集積が無差別に行われますと、その効果は台なしになってしまうわけでございます。郊外型商業集積も住民のニーズによって成立していることを考えますと、一方的にだめだ、こういうわけにはいかないわけでございまして、バランスを考えながら的確な町づくりをしていく必要があると思うわけです。(中略)今度新しいこの中心市街地の活性化という大変な予算を伴う法律をお出しになって、大店の郊外立地ということが無差別に進んでいくと、せっかく出したこの法律、かけたお金もむだになってしまう。(後略)」

 この意見に対し、通産省の岩田満泰審議官は、郊外出店が論点になることは十分承知していると前置きして、「町全体としてのあり方ということの意味合いにおきまして、今回都市計画法の改正についてもお願いをいたしておるわけでございますけれども、(中略)もちろん最終的に言えば、これはともに市町村の御判断でございますけれども、そういう市町村それぞれの意思を反映していただくという政策的枠組みを提案させていただいている」と答弁している。この審議からすでに3年以上が経過するが、「大型店規制の枠組みを構築した市町村がある」という情報はまだ流れてこない。

 この本は、ルール地方とウルム都市圏につき、市街地活性化に努力している状況を伝えようとしたものである。紹介している内容は、「うまく進んでいる姿」より、「苦しんでいる姿」が中心である。ただ、弁解させていただくと、「うまく進んでいる姿」の場合、どこにどう学ぶのかが非常にむずかしい問題になる。外国とは様々な点が異なるので、同じものを目ざしたつもりで「似て非なるもの」になる場合も多いからである。それに比べ、「苦しんでいる姿」は、読む者の創意工夫を引き出す源となる。この本をじっくり読まれた方は、大型店対策と活性化に関し、日本にもドイツにも、それぞれ長所と短所があることに気づいたことだと思う。そこで、私なりに一応のまとめを試みたい。

 ドイツの都市計画的な大型店対策を、日本の大規模小売店舗法、および大規模小売店舗立地法と比較し、に示した。規制が行われない白地があることと、規模の共通尺度がないことはドイツの弱点だが、それ以外は日本より優れている点が多い。興味をひくのは、同じように市街地の活性化を目ざしているにもかかわらず、結果的に逆方向の対処となっている項目があることである。ドイツの手法は、「立地場所と商店街との関係」で大規模小売店舗法と、「駐車場整備への視点」では大規模小売店舗立地法と、方向が逆である。このどちらが活性化につながるのか、状況に応じて慎重に考える必要がある。この表に関連し、三つの点を述べたい。

 第一に、ドイツでは最近「統合型立地か孤立型立地か」が大型店立地で最も重要な論点となっていることである。統合型立地の典型は、交通の便の良い商店街への進出で、孤立型立地の典型は、アウトバーンのインターチェンジ近くへの単独進出である。ノルトライン・ヴェストファーレン州の地域計画ツールである市街地核は、この立地タイプの判断に有効である。なお、ツェントロ進出でオーバーハウゼンのマルクト通りが回復不可能な打撃を受けた原因は、周辺自治体が孤立型立地とならないことを求めた結果、ツェントロが諸施設や交通を整えた半統合型立地として登場したためだ、という見方もできる。もちろん、孤立型立地を侮ってはならない。孤立型立地こそは、都市の健全な発展を阻害する危険なものである。

 第二に、上の点とも関係するが、ドイツでは、大型店の孤立型立地を防ぐことが、市街地活性化の大前提だと考えられていることである。商店街との統合が無理なところに立地する大型店を放置したままでは、都心の空間的な整備やタウンマネジメントにつぎ込んだ努力は報われない、これがドイツの常識であり、わが国と大きく異なる点である。

 第三に、都心や近隣商店街と郊外店で役割を分担し、共に繁栄するため、ドイツでは販売する商品の制限が重要なポイントとされていることである。1986年改正後の建築利用令第11条3項は、最後の部分で店舗が販売する商品を考慮できることを示している。この観点は、郊外店に委ねてよい分野を明確にする点でも意義が大きい。わが国には、販売する商品で小売店を区別するという発想がないが、ドルトムントの全市商業構想はこの点で参考になる。

 以上は、市街地活性化という計画技術的な側面に注目したポイントである。さらに、「まちづくり」という観点から、日本とドイツの違いをいくつか指摘したい。

 一つは、自治体の意思決定において、議会と議員が果たしている役割の大きさである。実は、この本がドイツのまちづくりの動きを解明できたのは、議会が深く関与している点にある。とくに、1999年市議会選挙後のドルトムントのように、過半数を制する政党がなく、話し合いなしには動けない場合は、マスコミ報道で詳しく状況を知ることができる。もちろん、議員が支持を獲得しようと積極的に住民のなかに入り、議論を巻き起こしていることを見逃してはならない。一方、わが国のまちづくりには、よく「学識経験者」が登場する。しかし、学識経験の内容は人によってまちまちであり、学識経験者の尊重は、まちづくりの最終責任を曖昧にし、知らないうちに大きな流れに呑み込まれていく恐れがある。わが国も、住民から選挙された議会の権限を強めるべきであろう。なお、専門的な検討が必要な場合、ドイツでは経験豊富なコンサルタントに費用を払って依頼するのが普通である。

 もう一つの点は、制度を改善することも大切だが、制度以上に「運用」が重要だという点である。ドイツにおける大型店進出例に接して感じることは、対処可能な手法が提供されているにもかかわらず、怠慢から、あるいは意図的に、手法を十分活用していない自治体があることである。Bプランという自治体主導の調整手法に慣れているドイツでも、この状況である。まして、地方分権一括法が施行されるまで「都市計画は国の事務」とされ、自ら考える機会をあまり持つことができなかったわが国の自治体には、運用が提供する多様な可能性はあまり知られていない。これが、「手法を与えたのだから、あとは利用しない自治体の責任だ」と考えがちな国との間に、大きなギャップを生んでいる。自治体は国が提供しているメニューを活用し、国は自治体の力量に見合った手法を提供するよう、努める必要がある。この点で、「延べ面積1,200m2」という明確な規定で大型店問題に対処したドイツ連邦政府の態度には、大いに見習うべきである。

 さらに、都市計画における受益と負担の関係も考える必要がある。わが国では、バイパス沿いに郊外大型店が集中し、迂回路として建設されたバイパスに交通を呼び込み、本来の機能を麻痺させる事態が各地で生じている。大規模小売店舗立地法は交通面にも注目したが、検討の範囲は大型店の敷地に直接関係する範囲に限られている。一方、ドイツでは周囲の交通混雑が問題とされ、必要に応じ、原因者負担の原則に基づく整備費用を求められる。交通は、もともと土地の利用に起因するものである。公道については公共側が責任をもち、多くの交通を呼び込む駐車場の整備だけを求める大規模店舗立地法の考え方は、いずれ破綻するであろう。

 もちろん、ドイツの手法にもいろいろな限界がある。とくに、ツェントロ建設時にオーバーハウゼンに対して設定された硬直的な条件や、ウルムの地域的調整手続の結果には問題が多く、地域計画レベルの手法はまだこれからである。「その場しのぎの個別対応」には限界があり、今後は自治体や地域レベルの商業構想を避けて通れないことは確かである。売上減少率の基礎とする商品グループをどのように考えるのか、近年増加している売場面積700m2未満での専門商品の供給にどう対処するのか、また都心における売場拡張をどのように位置づけるか等の問題も、自治体が商業構想を策定する過程で検討すべきであろう。

 残された問題があるものの、ドイツのまちづくりは、やはり日本より成熟している。わが国の市街地活性化問題は、まちづくりを軽視してきたことの結末でもある。単なる大型店対策でなく、「都市計画を成熟させる」という観点から活性化に取り組むことが必要である。

 ところで、この本は、多くの方の協力で完成したものであり、協力いただいた方々に心から感謝している。とくに、元ドルトムント大学教授で不動産経営研究所長のハルトムート・ディーテリッヒ氏と、ドルトムント大学に留学中の姥浦道生氏は、この本の完成に重要な役割を果たしている。1973〜74年のシュツットガルト大学留学中に都市計画制度を教えていただいたディーテリッヒ先生には、1981年に著書Bauleitplanung-Recht und Praxisを『西ドイツの都市計画制度』という名称で翻訳した縁で、いろいろ教えていただいている。今回も、イケアへの判決文とBプランLue171nを送って下さり、ドルトムント市都市計画局長のグラーザー氏とのインタビューを設定していただくなど、多大な協力を受けている。また、姥浦氏からは、ドルトムントのUfoプロジェクトや商業構想に関する情報提供を受け、ドルトムント訪問時は各地を案内していただいた。この本の5.1と5.3は、姥浦氏と共同で日本都市計画学会で発表した「ドルトムント駅への大規模商業プロジェクトをめぐる地域の動き」(日本都市計画学会論文集第35号、2000年10月)と重なる部分も多いが、執筆にあたっては原資料に戻って再検討し、私の責任でまとめ直している。また、1.1の多くと1.2は、『都市問題』誌に「ドイツにおける大型店問題への都市計画的対応―規制の変遷と司法の決定―」(『都市問題』83巻3号、1992年3月)として発表したものを基礎にしている。

 この他にも、日本やドイツの多くの方から協力をいただいている。なかには、私が公開しているホームページを見てドイツから資料を送って下さった方や、ドイツ出張の際に市役所で資料を入手し、郵送して下さった方もいる。また、質問に丁寧に答えると共に市議会の議案書等を提供いただいたドルトムント市のグラーザー都市計画局長、Ufoについての情報を提供いただいたドルトムント大学のカリー助手、ツェントロについて資料を提供いただいた州やオーバーハウゼン市の関係者にも感謝したい。

 ただ、この本の執筆に最も威力を発揮したものを一つだけあげるとすれば、それは「インターネット」になるだろう。当初はルール地方とウルム以外についても準備を進めていたが、最終的に二つの地域に絞った最大の原因は、新聞社がホームページに充実したローカルニュースを提供していた点にある。執筆の準備に取りかかってからは、毎日のようにインターネットで情報を検索し、各都市の最新の動きを知るよう努めた。なかには、過去に遡って情報を検索できる新聞社もあり、キーワードを工夫して何回も検索し、ようやく解明できた事実も少なくない。他にも、自治体、政党、デパートやチェーン店のホームページから、様々な情報を入手している。この本が従来の海外都市計画研究を進展できたとするなら、その最大の功労者は「インターネット」である。なお、ツェントロの進出経過は、インターネットで見つけて購入したルードガー・バステンの、"Die Neue Mitte Oberhausen"(Ludger Basten, Birkhaeuser, Basel, 1998)で能率良く調べることができた。2章の記述のうち、バステンの著書に依拠した部分は少ないので、ツェントロ進出に対する周辺自治体の動きなどをさらに詳しく知りたい方にはバステンの本を推薦したい。

 なお、当初の予定では、市街地活性化と大型店問題に加え、路面電車や住民投票についても執筆する予定だった。インターネットで調べるうちに大型店に関して多くの情報が集まったため、市街地活性化だけでまとめることに方針を転換したが、それでも最後は分量の削減に苦労した。このような長い経過をあたたかくみまもっていただいた学芸出版社の前田裕資氏、および細部にわたって原稿をチェックしてアドバイスいただいた永井美保さんに感謝したい。最後に、都市計画の基礎知識のない方々にも読みやすいようにと、阿部倫子が内助の功を発揮したことを記しておきたい。

2001年11月
阿部成治