書 評



『庭』(龍居庭園研究所) 2001.11
 「ランドスケープデザイン」という言葉は、日本語では、庭をつくる意味にも当たる「造園」と訳されていることもあって、きわめて曖昧だ。しかし造園(狭義における)を初めとして、土木、建築、生態学、環境芸術など多方面の分野とも重なり合うその実像を、簡潔かつ正確に言い表すことは、専門家でもなかなか難しいことらしい。
 そこで、ここではランドスケープデザインを、「造園、モダニズム、素材、エコロジー、アート、コラボレーション、制度、風景モデル」という、関連する八つのキーワードから読み解こうとする。
 造園とランドスケープアーキテクチュアの領域の間に横たわる「目に見えないズレ」、ランドスケープデザインの初期における「モダニズム」との関わり、「エコ・シンボリック」な素材がもたらす豊かな表現の可能性。「エコロジーとどう向き合うか」、「アースワーク」など、環境芸術との接点、様々な分野とのパートナーシップ、制度の功罪、モデルとする風景の多様化。
 八つの視座からは、ランドスケープデザインを取り巻く過去、現在、未来が浮き彫りにされる。しかし、それぞれのテーマは、独立しながら完結しているので、読み手は、その全体像を各自で組み立てなければならないだろう。
 それにしても、ランドスケープデザインの普遍的理想像といったものは、果たして存在するのだろうか。最終章、使命を終えた工業施設そのものが風景の形成要素となっている公園「ガスワークパーク(シアトル)」は、その答えはノーであることを象徴しているかのようだ。

『建築文化』(鰹イ国社) 2001.12
 今日のランドスケープ・アーキテクチュアの基礎を築いたアメリカとは異なり、日本において「ランドスケープ」とは、その概念の欧米からの輸入過程や都市計画の制度などの問題から、言葉としても職能としても常に曖昧性を伴うものであった。さらに、近年は、建築をはじめさまざまな領域で、「ランドスケープ」という言葉自体が多義的に使われるようになり、状況をより一層複雑にしている。
 本書では、設計だけでなく教育・執筆活動においても、日本のランドスケープ界の第一人者のひとりである宮城俊作氏が、8つの「視座」を提示しながらランドスケープを紹介していく。日本古来の造園と欧米から輸入されたランドスケープ・アーキテクチュアの狭間で揺れ動いた大正・昭和初期の動向や、都市計画におけるランドスケープの位置づけなど、日本のランドスケープ独自の問題、近年ランドスケープがもてはやされるようになったひとつの要因でもあるエコロジーに対するアメリカでの取り組み、あるいはピクチュアレスクからテクノスケープまで風景の受容のされ方の変遷など、ランドスケープをめぐるさまざまな視座が提示される。またシンドラーやノイトラの住宅に見られる屋内・屋外空間の連続性やモダン・ランドスケープ・アーキテクツのひとり、ジェームス・ローズの自邸における空間概念、マイケル・ハイザーなど1960年代のアースワークの作家の動向など、建築やアートとランドスケープの境界をめぐる記述は、建築関係者にも興味深いところであろう。
 ランドスケープ・デザインに関する基礎知識も十分に盛り込まれていて入門書としても適しているが、むしろここで提示される8つの視座から読み取るべきは、建築や生態学などから自立したひとつの領域としてランドスケープがいかにあるべきか、という宮城氏の問いかけではなかろうか。ブリュニエやWest8などの登場で新たな地平が切り拓かれるように思われたランドスケープであるが(特にここ日本では)こうした根本的な問題が留保されたままである。

『學鐙』(丸善株ュ行) 2001.9
 ランドスケープデザインとは何か。著者は関連する八つの分野─造園・モダニズム・素材・エコロジー・アート・コラボレーション・制度・風景モデルから、その職能の全体像の提示を試みる。日本の近代造園デザインとランドスケープデザインとの相違、使用する素材への意識、科学に属するエコロジーと美的概念としての風景の区分、建築基準法・都市計画によって変質してゆく歴史的街並みや空間など、さまざまな視座と問題点を展開している。


『環境緑化新聞』(潟Cンタラクション発行) 2001.7.15
 ランドスケープデザインという言葉の普及は、イメージの拡散とさまざまな葛藤を現場にもたらし、実像は今一つ掴みきれない。そこで、8つのキーワード“造園、モダニズム、素材、エコロジー、アート、コラボレーション、制度、風景モデル”から、そのプロフェッションの現状と可能性に迫る。150点に及ぶ図版を掲載。筆者の宮城俊作氏は「植村直己冒険館」「岡崎市美術館」などのランドスケープ作品で常に話題を呼ぶ。



学芸出版社