にぎわいの場 富山グランドプラザ
稼働率100%の公共空間のつくり方

はじめに


 皆さん、毎日、ワクワク、ドキドキしていますか?
 いま、日本で足りていないもののひとつに「ワクワクする出来事や、気持ち」があるのではないでしょうか。富山まちなか賑わい広場「グランドプラザ」では日々、その貴重なワクワクする出来事がうまれ、人々のなかにワクワクする気持ちが育まれています。それではなぜそうなっているのでしょうか。
 グランドプラザは、何も消費行動をおこさなくても、居続けることのできる中心市街地にある「まちなか広場」です。この場所によって、近年の消費社会で私たちが失いかけている大切なものを取り戻せるように感じています。広場には、余白の大きな広い空間があり、そこで過ごす時間をたくさんの市民が持ちはじめています。そして、この「空間」と「時間」こそが、これからの時代に必要で大切なものを創造したり、日本人が本来持っているものを思い出すきっかけを与えてくれるように思うのです。
 2007年9月に誕生した「富山市まちなか賑わい広場」(愛称:グランドプラザ)は、まちなかに広場空間を形成しているガラスの建築物です。富山市役所は、市内に唯一ある百貨店と中心市街地で一番大きな駐車場ビル(駐車台数630台)の間に広場を整備しました。そして、北陸の雨雪の多い気候風土であっても安心してイベント開催ができるように、また、人々の交流、憩いの場所として機能を維持するために、ガラスの屋根をしつらえました。
 まちなか広場は、中心市街地の賑わい創出のための中心的な役割を果たすとともに、新しい時代を迎える都市での暮らしにおいて必要な、新しい価値観を育むための公共空間でもあると考えています。グランドプラザでは開業以来、年間100件以上のイベントが開催され、休日のイベント実施率はほぼ100%を維持し、平日も市民の様々な活動や交流の拠点になっています。言わば、都市の生活を豊かにするための文化を育むインキュベーターであり、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)を高める空間となっているのです。
 もともと私は、人と人の出会いの場の創出や、その場でしか味わえないものがある「ライブ」に興味があり、音楽家の演奏会やものづくりをしている作家の個展等を、趣味として企画し運営していました。そのようなライフスタイルをはじめて5年目のある日、お客様の一人であった市役所職員の方から「グランドプラザ活用委員会」(2004年発足)に誘われ、市民代表として参加したのを機に、2007年から現在までグランドプラザの運営に関わる仕事をしています。
 グランドプラザは、市営の公共施設でありながら市有地と民有地に敷地が股がり、屋根の片側の荷重は隣接する民間投資で建設された百貨店ビルが支えています。また、開業から2年7ヶ月の間(2007年9月〜2010年3月)は市役所の直営でありながら、市役所と人材派遣会社とが連携し、公務員不在の組織として事務所を運営しました。その後、2010年からは指定管理者制度が導入されるのに伴い、第3セクターである「株式会社まちづくりとやま」(市役所出資率50%)の運営に移行しています。どちらの時期も2〜4人体制であることと、公共施設でありながら平均年齢30代前半の若者が運営を担っている点が共通しています。
 「しかるべき行政の人がいて、しかるべき市民がいて、はじめて「協働」は、はじまるのです。グランドプラザは「協働」の結晶であり、奇跡のような現象である」と、大森彌先生(東京大学名誉教授)は語ります。
 本書で、私がお伝えしたいことは、「まちなか広場」という場所の鮮烈なまでの可能性と、「まちなか広場」を整備し運営するために必要な場づくりの方法や、そしてその場によって育まれるネットワークをより円滑に楽しく拡げていくための感性についてです。
 ポール・ズッカーは著書『都市と広場』の冒頭で「広場は、疑いもなく、絵画、彫刻、あるいは個々の建築作品と同様、「芸術」である。広場の開放された空間、周囲の建築物、その上に広がる空が織りなす独特な関係は、他のいかなる芸術作品から受ける感動にも劣らない本物の感激を味わわせてくれる」と描いています。グランドプラザが誕生して以来、この場所で繰り広げられる様々な現象は、まさにこの言葉を彷彿とさせます。
 そして、広場のある都市での暮らしは、ヨーゼフ・ボイスが語る「どんな人間も芸術家である(中略)どんな人間も社会の変革のために働ける(中略)誰もが、自分自身の考えによって、本当の意味で自らの創造力を共同体に提供することができるのです。」※2という言葉を実感する場面が、日々の営みのなかで繰り広げられているのです。
 私は、公務員ではなく市民としての素朴な価値観を根幹に抱いたまま、公共施設の運営に関わることができる貴重な機会をいただきました。この仕事をはじめて感じたことは、市民と行政の愉快なくらい性質の異なる価値観の違いです。お互い自分の常識にどっぷりとつかったままではなかなか通じ合えませんが、逆に言えば、お互いにまったくないものを持っており、刺激し、補完し合うことができるのです。例えば「市民の力」とは、いま必要とされている新しい事業を立ち上げる発想力であり、それを実現するための実行力であると感じます。また、「行政の力」とは全体のマネジメントを可能とするための分析能力であり、枠組みをつくり組織を動かし政策を進める総合力であると感じるのです。
 わかりやすく言えば、例えば行政職員は書類の作成は得意ですが、意見が異なる人と対話をするのは一概に得意とは言えません。一方、まちなかで活動する市民は書類の作成は不得手ですが、自らの活動に対する思いや、困難を乗り越えようとする気持ちはとても強いように感じます。
 私の周りの行政職員は「市民の生活をより良くするために全力を尽くしたい」と、本気で考えている人が多く驚いています。そして、彼らの仕事に対する姿勢から彼らの心持を垣間見るたびに尊敬の念を抱きます。決して私利私欲のためではなく、自分が暮らす地域のことを、この地域で生活を営む人々のことを本気で考え、行動し、取り組み続けているのです。その気持ちに負けないよう、私も全力で取り組もうと日々気持ちを新たに励んでいます。
 本書では、中心市街地において「新しい公共」の要の施設になると考えるまちなか広場について富山市の現状をお伝えし、広場の素晴らしさを少しでも感じていただきたいと思っています。そして、あなたの暮らす地域でも中心市街地にできた空地を駐車場にするのではなく、まちの元気を創出する拠点となる「まちなか広場」として整備しようとする動きが生じたなら、それは私の稚拙な文章が何らかの役割を果たすことになるのではないかと夢みるのです。