フラノマルシェの奇跡
小さな街に200万人を呼び込んだ商店街オヤジたち

はじめに

 携帯メールの着信音が鳴った。帰省中の娘からだった。
 娘がメールをよこすときは、おおかた金銭にからむ相談事と相場が決まっている。今日はまたどんなお願いメールなのだろう。おそるおそる読んでみると…
 「今、旭川に向かう電車に乗ってるんだけど、たまたま向かいに座った観光客風の親子が、『富良野、良いところだったねえ。景色がとてもキレイで。でも…まちなかにはなんにもなかったねえ』って話してたの。パパ、まちづくりに関わってるんでしょ。頑張ってね」。
 娘からの思わぬ内容のメールに心が揺さぶられた。
 富良野には毎年200万人もの観光客が訪れる。だが、彼らを惹きつけているのは美しい田園風景と郊外の観光施設であって、まちそのものの魅力ではない。まちなかの商店街はと言えば、どこのまちともさして変わらぬ閑散とした状況ではないか。富良野は本当にこのままでいいのだろうか。次世代に自信を持って渡せるまちだと胸を張って言い切れるのだろうか。
 子どもたちに誇れるまちをつくらなければ…。
 まちづくりに懸ける私の思いは、この日の出来事を境に劇的に変化することとなった。

 あれから6年。「フラノマルシェ」がオープンして早3年の月日が流れた。
 衰退する一方の富良野の中心市街地をなんとか復活させたい。責任世代の一人として、子どもたちに誇れるまちを残してあげたい。行政頼みのまちづくりから、官民一体となったオール富良野のまちづくりへ。
 そんな思いの中でスタートさせた富良野市中心市街地活性化計画であったが、第1期事業となった「フラノマルシェ事業」を実現するためには、乗り超えなければならない数多くのハードルがあった。新たな法定協議会の立ち上げ、活性化基本計画の作成、コンセンサスづくり、まちづくり会社の資本および組織の強化、経産省補助事業の認定作業。まちづくりの素人オヤジ軍団が、わがまちに対する熱い思いと使命感だけを心の支えとして、実現に向け必死で取り組んだ。
 ノートパソコン片手に、様々な団体に出向きプレゼンする日々。賛成派と反対派が相半ばする状態からのスタートだったが、頑張りの甲斐あって次第に理解者も増え、またマスメディアの好意的な後押しもあって、市民からの期待の声は徐々に高まっていった。
 2010年4月22日、市民対象にプレオープン。まちなかは、新しい施設を一目見ようという市民たちでにぎわった。
 そして、4月28日、待望の本オープン。ゴールデンウィークまっただ中の5月3日、マルシェ周辺は1万人近い観光客でごった返すこととなった。国道38号線にはあの「北の国から」以来の大渋滞が生まれ、市内のガソリンスタンドでは燃料切れとなる店まで出た。インターネットのツィッターでは「救世主現る!」と最大限の賛辞で評価する声もあった。
 初年度入場者数は、当初経産省と約束した年間入場者数30万人をはるかに超え、55万5000人強にのぼった。震災の影響が心配された2年目も66万8000人、3年目も74万5000人(106・4%)と右肩上がりの状況が続いている。「フラノマルシェ」が誕生する以前、まちなかを観光する人々はわずか8万人足らずだったことを思えば隔世の感がある。

 「フラノマルシェ」の成功は単なる商業施設としてのそれではない。「まちづくり」という文脈の中で生まれた本施設誕生の背景には、富良野を愛する多くの人々の英知と情熱と行動があった。
 ここに記すのは、「フラノマルシェ」開設に向けて寝食忘れて取り組んできた、責任世代を自覚する中年オヤジ軍団と、それを支えてくれた数多くの仲間たちの涙と笑いのストーリーである。
 本書が、まちづくりに取り組んでいる全国のみなさんの、活動の一助、心の支えとなることができれば幸いである。