サステイナブル・スイス
未来志向のエネルギー、建築、交通

はじめに

 サステイナブルなスイス、環境も社会も経済も長持ちするようなスイスづくりをテーマとした本書を貫く一つの筋は、エネルギーである。スイスでも、日本でも、エネルギーの扱い方をサステイナブルなものにしてゆくことが、社会や経済のあり方をもサステイナブルな方向へと導いていくからだ。そのため本書では、はじめにスイスのエネルギー政策について、次いでエネルギー消費の大半を占めている建築と交通の分野での取り組みについて、市民や産業、行政といったさまざまな側面から紹介していく。その際に、スイスの革新的な面も問題のある面も含めた、現実に近い全体像を描き出そうと試みた。
 スイスを含む中央ヨーロッパでは、建物でも自動車でも、普通の消費者の手に届く価格で、エネルギー消費量を少なくとも半減させたり、日常生活に必要なエネルギーを再生可能エネルギー源で供給する技術やノウハウは出揃っている。それらを普及させる取り組みは、地域経済を促進し、健康で快適な暮らしづくりや活気あるまちづくりにもつながっている。そして、そうした取り組みの先には2000W社会というスイスのオフィシャルなビジョンがある。それはエネルギー消費量を現在の3分の1に減らし、その75%以上を再生可能エネルギーでまかなう豊かな社会。CO2排出量は、現在の6分の1の社会である。
 筆者が原稿をまとめ始めた2007年は、温暖化問題がスイス市民の関心事ナンバーワンに躍り出た。そして原稿を書き終えた2009年頭には、世界的な金融危機がスイスでも将来に不安の影を落としている。その間に、スイスのエネルギー・環境分野での施策は急スピードで進展してきた。そして現在、従来型の経済のあり方が危機にあるからこそ、この危機をチャンスと捉えて、エコノミーもエコロジーも同時に射落とすような政治への気運が高まっている。限りある資金を産油国に注ぎ込み続けるのではなく、省エネルギーや再生可能エネルギー対策により国内の経済に流通させる方が賢い選択であることが、誰の目にも実感を帯びてきた。また社会と経済が持続可能であるためには、国や行政の強いリーダーシップが不可欠であることを、それを足蹴にしてきた勢力も渋々見直さないわけにはいかない時代になった。
 これまでに景気対策として、スイスは総計10億フラン(約1000億円)を2009年度の予算に追加した。その用途の大きな柱はエネルギー対策である。これまで長年行ってきた建物の省エネ総合改修、太陽光発電設備、再生可能エネルギー源を用いた地域暖房網への補助を強化する。その他にも以前から計画されていた鉄道網更新プロジェクトや景観・自然保全も追加予算で強化されている。また先進的な市や州は、国を力強くリードしている。たとえば2008年11月末には、チューリッヒ市が76%の可決票で脱原発と2000W社会を政策目標とすることを市の憲法に定めた。さらに16の州では2009年から建設基準法を改訂した。新築の建物の省エネルギー性能は1990年の規制値と比べると2倍以上に向上し、再生可能エネルギーによる給湯も義務づけられている。また電力浪費源として問題となってきた暖房用電気ボイラーの禁止も全国的に実現しそうだ。暖房を中心とする熱エネルギー分野では90年比でのCO2排出量が11.2%減っているが、京都議定書の期限に向けてさらなるラストスパートがかかりそうである。
 スイスがこうした道を選択した背景には、自らの文化や経済の構造、そして直接民主制や全政党政府、26州の連邦制といった独自の政治システムがある。そして日本には日本が選ぶべき道がある。だが、人口750万人の小国スイスのチャレンジ、成功、失敗といった経験の中に、日本の未来づくりに役立つエッセンスも少なからずあると確信している。それが読者の皆さんの日々の活動への刺激と勇気につながれば幸いである。