モビリティ・マネジメント入門

「人と社会」を中心に据えた新しい交通戦略

はしがき

 世の中にはたくさんの「社会問題」があります。例えば、最近では、食の安全の問題や、少子高齢化の問題等がよくマスコミ等に取り上げられていますが、古くからの社会問題としては教育や犯罪の問題が挙げられます。こうした社会問題に「先人達」はどの様に対処してきたのでしょう。
  まず一つ言えるのは、彼らは裁判所や学校や法律等の「目に見えるモノ」を作ってきた、ということです。しかし彼らはそれだけで十分だと考えた訳ではなかったでしょう。子供の適切な教育は、親や地域や学校の人たちがきちんと育てようという「意識」を持ち、それが「常識」として社会的に共有されてはじめて成し遂げられるものです。同様に、いくら立派な裁判所や警察を作ったところで、皆が悪いことをしてやろうと構えている社会では治安を維持することなどできません。つまり、社会問題を乗り越えるためには、目に見えるモノをきちんと作っていくと同時に、そのモノを使う人々の意識や常識が存在していることが不可欠なのです。
  本書で取り扱う「モビリティ・マネジメント」(MM)とは、そうした考え方に基づく、新しい交通政策の考え方です。地域モビリティの衰退や渋滞等の様々な交通問題を、単なる技術やシステムの問題として取り扱うのではなく、「人間」が引き起こした社会的な問題なのだと捉え、その上で対処していこうと考えるものです。もちろん、教育において適切な施設や教育制度が必要であるように、交通問題のためにも適切な交通システムは必要です。しかし、交通問題を本当に解消するためには、適切な交通システムに加えて、自動車や公共交通を使いこなそうと考える「意識」や「常識」が不可欠です。そうした意識や常識の存在を「前提」として、適切な交通システムを形作っていくことではじめて、「地域モビリティ」は本当に改善され、社会はより豊かなものとなっていくのではないでしょうか。
  しかし、読者の皆さんの中には、「クルマの利用をできるだけ控えたり、公共交通をできるだけ使うような“意識”を、行政の施策を通じて醸成していくことなど、本当にできるのだろうか」とお考えの方もおられるかもしれません。
  本書は、そうした疑問にお答えするために書かれた「入門書」です。その内容は、様々な地域で展開された事例を、そこで得られた様々な効果と共に紹介するものです。そして、それらを通じてMMの考え方、あるいはその「こころ」をお伝えしようとするものです。もしも、本書を通じてMMに興味を持たれたなら、各地域の事例を掲載している日本モビリティ・マネジメント会議(JCOMM)のホームページや土木学会の「MMの手引き」等をご参照いただければ大変有り難く思います。

 さて、本書の各章の内容の多くは、各事例のご担当の方々へのヒアリングやご提供いただいた各種情報に基づいています。特に、筑波大学石田東生教授、ならびに、福岡国道事務所、福井県庁、龍ケ崎市役所、京都府庁、秦野市役所、茨城県庁等の松藤隆純氏、加藤勉氏、村尾俊道氏、山崎剛氏をはじめとした行政関係の皆様、須永大介氏、西堀秦英氏をはじめとした関係コンサルタントの皆様には直接間接に様々な形でご協力いただきました。また、学芸出版社の前田裕資氏、知念靖広氏には、本書の企画段階から出版まで、大変なご支援をいただき、そして、齋藤綾さんにはとても素敵な装丁をデザインしていただきました。図版作成等では東京工業大学小松佳弘君、筑波大学浅見知秀君に大変助けていただきました。そして何より、本書でご紹介した事例はいずれも、MMの考え方に共感され、ご自身の交通行動、あるいは実際の行政施策のあり方を見直された一人一人のお取り組みがあってはじめて成立したものばかりです。こうした皆様のご協力を改めてここに記し、心から、深謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。


2008年1月
藤井 聡・谷口綾子