日本型まちづくりへの転換

ミニ戸建て・細街路の復権

まえがき―下降シナリオ時代の生活環境づくりを目指して

 私はかねてから、日本型まちづくりを提唱している。その目指すところは、昨今の東京都心を賑わす都市再生大型プロジェクトとは対極をなすものである。

 本論で述べるように、それは、道路は狭くて良い、敷地やその上に立つ個別の建物は小さくて良いという基本理念に立っている。道が狭いとクルマの走行には不向きなので、歩行者中心のヒューマンスケールな空間が生まれる。小さな敷地と建物の集合によって構成される街は、各々の建物所有者の顔と個性の見える多様性に富んだ、賑わいのある街になる。さらに、このような小さな単位の集積によって構成されている街は、小さな単位ごとの小さな投資によって維持・管理が可能であり、また仮に不具合が生じても、ピンポイント的な修復・更新措置によって不具合の改善が可能となるという持続性の高さを具備している。

 お気付きのように、これは伝統的な日本の街、都市生活者の多くが暮らす日本の普通の街そのものの姿である。外国からの旅行者が賞賛する「路地」とその沿道に立ち並ぶ「町家」に代表される街につながるものである。

 しかし、わが国の都市計画論理の主流的考え方は、まったく逆のものを志向している。広い道路と大きな敷地、その上に立つ大きな建物を良いものとみなし、日本型の街は悪いものとみなしている。したがって、狭い道は拡幅して広げ、小さな建物は取り壊して、より大きな建物に建て替えることが善とされ、政策的な後押しも受けて推進されてきたのである。それは国家開発から高度経済成長へと続く20世紀の100年には必要なものであったかもしれない。

 しかし、地球規模での気候変動の兆しが現実のものとなり、人類社会全体の持続性に対する危機感が高まりつつある21世紀の日本そして世界は、あくなき成長拡大の世紀であった20世紀とは、はっきりと異なったまちづくり原理をもたなければならないはずである。

 にもかかわらず、脱“高度成長”、親“持続”型のまちづくりシナリオを描くべき時に、最近の中国やインド等の後発国の高度経済成長と対抗して、過去の高度成長の再来を望むかのような議論がいまだに絶えないのは残念なことである。平成不動産バブルで煮え湯を飲まされたにもかかわらず、不動産投資ファンドというカンフル剤を得て、再びバブルに浮かれているように思えるのも残念なことである。

 目先の利益のことだけを見ていると、物事の本質は見えてこない。10年、20年、50年の単位で将来を見据えなければ、未来の方向性を誤るのである。社会全体が、人口規模においてであれ、CO2排出においてであれ、長期の下降ラインを辿る(あるいは辿るべき時に)、当面の成長上昇ラインの実現にこだわれば、その先に待っているのは急降下とクラッシュである。逆に、長期の下降ラインに逆らわず、それに沿ってなだらかな軌道修正を実現することができれば、21世紀の日本社会はクラッシュなしに軟着陸できる。

 私たちが向かうべき(一歩進めて、向かわなければならない)方向は、ほぼその姿を現してきている。それは「持続性の獲得」への道以外にない。

 20世紀後半の日本は、どんな無駄であろうが、どんな誤りであろうが、経済成長の果実が、すべてを帳消しにしてくれる時代であった。まちづくりの分野でも、道路でも、ニュータウンでも、再開発ビルでも、箱物公共施設でも、どんどん造れ、どんどん立派にしろと皆が声を合わせて叫んでいた。高揚した気分は人々の目を陽の当たる部分に集中させ、その裏側にある陰の部分は忘れ去られてしまった。

 21世紀初頭の今、実際の需要を見誤った過大な投資のツケは財政赤字や不良債権となって次代の子供たちの肩に大きく圧し掛かっている。飲酒運転やアスベスト建材等、陰の部分の綻びも、もはや看過できない状況となっている。これからは、潜在するリスクや不都合な事実に目を向け、その解決を図るという姿勢が重要になる。さらなる成長拡大ではなく、既存システムの安定持続化へ向けての軌道修正が必要となる。

 そしてその新たなまちづくりの担い手は、従来のような公的な主体や大手の不動産開発事業者のみではありえない。親“持続”型のまちづくりにあっては、都市に暮らし、都市で働き、自らの住宅やビルに投資するすべての個人や企業、さらには近年その存在感を増してきているNPO等が、主人公として主体的に取り組んでゆく必要がある。

 また、従来まちづくりを担ってきた公的な主体や、大小に関わらず不動産開発、建設事業、建築設計、その他の建築・まちづくりビジネスを展開する関連企業やそこに働く専門家も、この新たなまちづくりの動きを対立的なものとして捉えるのではなく、むしろ積極的に、この動きを支え応援する役割を担っていくことが期待される。

 このような多主体の協働的な活動の積み上げによって、日本の街を真に持続的な環境へと少しずつ近づけてゆく努力が求められているのであるし、また、そうすることによって近い将来必ずや持続型のまちづくりの成果を実感できるようになると信じる。

 本書は、私たちの暮らしの場としての街・住まい・生活環境を見つめ直すことを通じて、そこに残されたリスクを発見し、それに対処するための最適な方法が、従来考えられてきたような都市計画論理ではなく、その対極にある「日本型まちづくり」システムであることを明らかにするための試みである。