ヨーロッパ環境都市のヒューマンウェア


はじめに

■ますます進行する温暖化の実態
  夏の都心のヒートアイランド現象。長い夏と短い冬。暖冬と早まる春の花の開花時期。中緯度にある日本では、極地や高緯度地域に比べ、温暖化や気候変動の実感が乏しく、ややもすれば地球環境問題への危機感が鈍りがちだ。しかし、温暖化や気候変動は間違いなく進んでいる。

 「2050年までに真剣な温室効果ガス削減対策が行われないと、世界規模で富がGDP(国内総生産)で最高で20%減少する」と発表して衝撃を走らせた「スターン・レビュー」(世界銀行の経済部門の元チーフエコノミスト、ニコラス・スターン博士の報告書)の最新版(2006年11月1日発表)は、「気候変動の無視は経済に損害を与えるため、2050年までにCO2の現在の排出量レベルの少なくとも25%削減が必要」と謳っている。

 2007年2月に発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第四次評価報告第一作業部会報告書でも、地球の温暖化が確実に進行していることが、詳細な図表で明確に示されている。

 また同じく2007年2月に、国立環境研究所、京都大学、立命館大学、東京工業大学、みずほ情報総研などで構成する「2050日本低炭素社会」プロジェクトチームが、『2050日本低炭素社会シナリオ:温室効果ガス70%削減可能性検討』報告書をまとめ、それを実現するための技術の直接費用は年間6兆7000億円〜9兆8000億円で、想定される2050年のGDPの約1%といった予測などを盛り込んでいる。

 国立環境研究所前理事の西岡秀三氏は、「産業革命前と比べて『二度』の気温上昇が地球の生態系や農業に引き返せない深刻な影響を及ぼす『危険ライン』と見なされている。このまま温室効果ガスの排出が続けば、あと40年で危険ラインを超え、そのあとには、大部分のツンドラや北方林の消滅、3分の1の生物種の絶滅、農業生産力の減少による飢餓人口の増加を招くだろう」(日本経済新聞2007年4月18日)と警告している。まさに地球破産だ。

 北極の氷は年々溶ける量が増え、2040年の夏頃にはほとんど消滅し、氷上で狩りをして生息している北極熊が絶滅すると言われているが(産経新聞2006年12月13日)、前述したように中緯度に住む日本人には危機感がまだ薄い。

 しかし、先進国の中で地球温暖化と気候変動に最も危機感を持っているのは、北欧を含むEU諸国である。

 なぜか?

  その理由の一つは、北欧はじめ、イギリス、ドイツなどのEU諸国の高緯度地域は、現在、温暖なメキシコ湾流の上昇で、高緯度だが温暖な気候に恵まれている。

 ところが地球温暖化で、北極の氷が溶けて北極海の温度が下がり、その海流が流れ出し、メキシコ湾流を押し下げると、北欧諸国や高緯度のEU諸国は一気に寒冷化する。いわゆる映画「The Day After Tomorrow」のように、氷に閉ざされた世界になり、食料の生産もできにくくなるという危機感があるのである。

 北欧諸国やドイツで環境意識が高く、環境保全活動が活発な理由の一つは、温暖化に伴う寒冷化への危機感が極めて強いことによっている。

■環境活動の実践に必要な“ハードウェア”“ソフトウェア”“ヒューマンウェア”
  では日本はこのままでよいかというと、地球上の人も物も、グローバル化で一体となっており、例えば食料の自給率がカロリーベースで40%と、世界の先進国一低い日本は、気候変動で日本に食料を供給している国が洪水や旱魃で穀物や肉類が不作となると、たちまち飢餓に見舞われるといってよい。

 すでに2060年には、地球上の現在の耕作適地の46%が失われ、現在の北米のコーンベルト、東欧、ロシア、中国、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチンなどの穀倉地帯も多くが温暖化で消滅する可能性があると指摘されている(独立行政法人農業環境技術研究所生態系計測研究領域上席研究員・岡本勝男氏http://www.niaes.affrc.go.jp/researcher/okamoto_k.html)。

 EU諸国の気候変動への危機感の強さに感心する前に、日本の今の危機感の薄さを猛省せねばならない。

 本書は、北欧を含むEU諸国が環境問題への意識が高く、環境対応が進んでいることを、各地域社会の実例を取り上げて示すものであるが、なぜ地域社会の市民の環境対応活動を取り上げるのかの理由から示したい。

 日本人の環境問題への関心がまったく低いというわけではない。環境省の「環境にやさしいライフスタイル実態調査」(2004年実施、全国20歳以上の男女、有効回答は1267人)では、関心の高い環境問題として、“地球温暖化”が最も多く82%、次いで“オゾン層破壊”が60%となっている。しかし、市民/生活者を環境保全行動へ促すための仕組みが、日本は遅れているのだ。

 では、環境保全のためにどういう仕組みや市民/生活者の活動が必要かを考える上で、筆者は「ハードウェア」「ソフトウェア」「ヒューマンウェア」の三つに分けて考えたい。

 「ハードウェア」「ソフトウェア」については、元来コンピュータ用語で、ハードはコンピュータの機械、ソフトはそれを動かすためのプログラムなどを指す。

 環境問題解決のためのハードウェアとは、環境問題をクリアするための国のインフラ(国の政策・骨組)などを指し、ソフトウェアとは、環境問題を解決するための法制度、社会システムや、国際協力のあり方などを指す。

 ヒューマンウェアとは、地域社会に住む市民/生活者が、行政、企業などとコラボレーション(協働)し、自らの思いや意思で、環境保全活動を具現化していく知恵で、環境保全型の地域社会を構築していく(ローカルアジェンダ21とも言い換えられる)基盤となる。

 環境保全のためのハードウェア(インフラ、国の政策・骨組)とソフトウェア(法制度、社会システム)の整備は、市民/生活者サイドから、NPO/NGO活動などを通して、提言/提案される必要があるが、その実践の多くは主として国、行政が担うことになる。

 しかし、ハードとソフトが整備されているだけでは、環境保全型地域社会は生まれない。

 環境保全型社会は、そこに住む市民/生活者の環境保全への思いや意識や夢を実現しようとしていくライフスタイル、行動が必要で、それを筆者は「ヒューマンウェア」と呼んでいる。

 そして、このヒューマンウェアは、環境への危機感が強く、環境悪化を防ぐという意識、思いが強く、実践能力の高い、北欧を含むEU諸国が日本より先行している。

 本書では、スウェーデンとその自治体(ヴェクショー市)、デンマークとその自治体(ヘアニング市、サムソー島)、ドイツとその自治体(フライブルク市、ベルリンのポツダム広場の再開発地区)などを取り上げる。

 いずれも、環境保全型社会への市民/生活者の思い、ビジョン、実行力などのヒューマンウェアが具体的で、成果を上げている地域社会である。その詳細は、本編で述べることにして、なぜ日本のヒューマンウェアの発揮が十分でないかに触れてみたい。

■日本に足りない「ヒューマンウェア」
  日本では、1960年代、70年代、公害問題を環境問題と位置づけ、地球環境問題への認識や取り組みが遅れた。1972年、スウェーデンのストックホルムで開かれた「国連人間環境会議」に出席した日本代表は、公害を環境問題と認識していたため、少なからず顰蹙を買ったとされている。

 しかし、92年の地球サミット(国連環境開発会議)で、日本の国としての環境対策の枠組みを示す法律がないと気づくや否や、93年に環境基本法を施行し、94年には環境基本計画を策定した。

 また、21世紀に入ると、循環型社会づくりへテイク・オフし、2001年に循環型社会形成推進基本法を施行。この基本法は、使用済み製品の引き取りや利用を企業に義務付ける「拡大生産者責任(Extended Producer Responsibility=EPR)」を織り込んでおり、EPRを謳っているのは、世界ではドイツの循環経済・廃棄物法(1996年施行)と日本のこの基本法だけとされている。

 循環型社会を具体化するための関連法規の改正や新法の成立と施行が続いた。

  「廃棄物処理法」(改正)、「資源有効利用促進法」(再生資源利用促進法の改正)が2001年に施行された。「建設資材リサイクル法」「食品リサイクル法」「容器包装リサイクル法」「家電リサイクル法」「グリーン購入法」などが、2001年から2002年にかけて施行され、一方で「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律(通称、PRTR法=Pollutant Release and Transfer Register法)」も施行されている。

 このように、法制度はかなり整備されていることは確かだ。しかし、国の環境政策、市民/生活者への動機づけは遅れているといわざるをえない。つまり、ヒューマンウェアを発揮するためのバックグラウンドが十分に整ってはいないのである。例えば、環境保全活動を促すために、環境省は「クールビズ」「ウォームビズ」などを打ち出しているが、省エネ中心の曖昧な目標で、社会全体で温室効果ガスを大胆に削減していく効果は乏しいのでは、と思われる。

 2005年に「クールビズ」を打ち出し、それによる同年のCO2排出量は46万トン削減されたとされるが、同年の総排出量の0.03%に相当するにすぎず、その予算を、別の用途(再生可能エネルギー開発、省エネ、森林の整備など)に使った場合はどうだったかの検討もされていない。

 このような本来市民/生活者の中から自主的に湧き上がってくる環境保全活動を、政府/行政が曖昧な基準で誘導することは正しくなく、極論すれば税金の無駄使いといえる。では、市民/生活者の中から湧き起こってくる力をどう引き出すか。それは本書で後述する、EU諸国の地方自治体や市民/生活者の活動で示したい。

■将来世代の環境権を「憲法」「環境法」で保障するスウェーデン、ドイツ
  ところで地球環境問題解決で最も重要なキーワードは、「持続可能な発展」を実現すること。この持続可能な発展の定義は、ユネスコの報告書では数百あるとされている(ユネスコ著、阿部治ほか監訳『持続可能な未来のための学習』立教大学出版会、2005年、32頁)。

 その中で最も一般的に普及しているのは、WCED(環境と開発に関する世界委員会。ノルウェー元首相グロ・ハーレム・ブルントラント女史が委員長をしたので、通称“ブルントラント委員会”ともいわれている)の発表した「将来世代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなしに、現在世代の欲求を満たすような発展」(WCED著、大来佐武郎監訳『地球の未来を守るために』福武書店、1987年、66頁他)、つまり、我々は資源を祖先から受け継いだのではなくて、将来世代から借りているのである。将来世代の環境権を侵害しない、つまり、世代間搾取をしてはならない、というのが持続可能な発展の哲理なのである。アメリカ先住民の人たちは、“常に七代先を見て考える”ということをモットーにしている。

 ところで、将来世代はまだこの世に誕生していないので、現在世代に環境権を主張することができないではないか──という問題が生じる。

 この点を見事にクリアしているのが、スウェーデンの憲法や環境法典、ドイツの憲法だ。つまり、憲法や環境法の中で、将来世代の環境権が保障されるということを謳うことで、この問題は解決されるのだ。

 スウェーデンでは憲法と称する一本にまとまったものはなく、四つの基本法(The Instrument of Government, The Act of Succession, The Freedom of the Press Act, The Fundamental Law on Freedom of Expression)で成り立っており、その中のThe Instrument of Government(統治法)第1章第2段落に「The public institutions shall promote sustainable development leading to a good environment for present and future generations」と謳われている。「公的機関は現在世代と将来世代を良好な環境に導く、持続可能な発展を推進すべき」と謳われ、将来世代の環境権が保障されている。

 またスウェーデンの「環境法典」(1999年施行)では、第1章第1条で、真っ先に「この法典の目的は、私たちと私たちの未来の世代が健康的で良い環境で生活できることを保障する……」(訳レーナ・リンダル)と謳われている。

 また、2007年3月26日に東京・帝国ホテルで「日本─スウェーデンワークショップ2007」が開催された時、スウェーデン国王カール16世グスタフ陛下は、「我々の世代と子供、孫の世代のために、持続可能なシステムをつくる緊急かつ重要なトピックのシンポジウムです」と挨拶され、持続可能な発展の意味をスウェーデン国王は身をもって強調されていることに感動した。

  ドイツは、1994年に憲法(ドイツ連邦共和国基本法)第20a条に「将来世代の環境権は国の責務」との条項を入れた。

 このように、将来世代の環境権を国が保障する、ないし持続可能な発展(世代間搾取をしないこと)を憲法や環境法で謳っているスウェーデンやドイツは、さすが環境先進国であり、市民/生活者サイドの環境保全活動の盛り上がり、つまりヒューマンウェアの活性化を促しているものといえよう。

 残念ながら日本では、憲法や環境基本法に「持続可能な発展」の保障は謳われていない。環境後進国といってはいいすぎであろうか。

■国民の環境活動を確実に高めるスウェーデンの環境インフラ
  以上、特に北欧を含むEU諸国の地域社会、特に環境共生都市といわれる都市づくりの背後にある地球温暖化への危機意識や、それを防ぐための市民/生活者のヒューマンウェアの大切さについて述べた。

 日本と市民/生活者の意識がはっきり違うと思われたのは、2006年6月7日に、持続可能なスウェーデン協会の教育プロジェクト担当バルブロ・カッラ女史の「スウェーデンにおけるESD(Education for Sustainable Development=持続可能な発展のための環境教育)活動の状況について」を聞いた時である。

 カッラ女史は「スウェーデンでは、もし石油がなくなったらどうなるか──ということを毎日のように話題にしている。そこで、政府は“2020年に石油依存率をゼロにする”と決議した。それが実現可能かどうかでなく、それ以外に選択肢がないからだ」と明快に語っていた。

  2006年9月の総選挙で、長年スウェーデンの高福祉高負担を支えてきた社会民主党政権が敗北し、中道右派連合(穏健・中央・自由・キリスト教民主四党連合)のラインフェルト政権に代わったが、“2020年に石油依存率をゼロにする”という前政権の公約は、国として決めていたことだから、反故にはできないと見られている。

 環境意識の高い市民/生活者や企業のヒューマンウェアでの努力で、2005年にスウェーデンは、温室効果ガスを90年比7%削減(スウェーデンの目標は4%削減で、十分クリアしている。日本は2005年に90年比8.1%増加させた)している。この国民の環境意識の盛り上がりを受けて、ラインフェルト政権は“2020年までに、温室効果ガスを90年比30%削減する”という目標を打ち出した。EU全体としては、2020年に温室効果ガスを90年比20%削減することを、2007年2月21日に正式に合意しており、スウェーデンはその目標値を10ポイント上回る。

 一方、日本は環境より経済成長重視(EU諸国は環境負荷を下げることと経済成長をきちんと両立している)で、露骨な弱者切り捨ての経営者と株主利益最優先策をとっており、安倍晋三首相の1月26日第166回国会での内閣総理大臣施政方針演説でも、環境問題への言及はわずか数行止まりであった。

 その内容とは、「『健全で安心できる社会』の実現」の項目の中で、“2015年までに自動車燃費の二割以上の改善、バイオ燃料利用率向上のための工程表策定、アジア諸国への環境技術協力の推進、6月までに今後の世界の枠組みづくりで日本が貢献する上での指針となる「21世紀環境立国戦略」の策定を行うこと”などである。

 安倍晋三首相は、2007年6月(6〜8日)にドイツのハイリゲンダムで開催された主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)を前に5月24日、温室効果ガスを2050年までに世界全体で半減するという「美しい星50」を発表した。EU諸国に比べ遅れ気味の日本の温暖化対応を挽回し、温暖化問題で国際的なリーダーシップをとろうとの目論見のようだが、実効性のあるプログラムに基づいた実践が着実に行われることを望みたい。

 日本は人口減や団塊の世代の退職を、“技術”でカバーし成長していくとか、日本の環境技術(特に省エネ技術)を輸出する効用などがしばしばいわれている。しかし、途上国とのCDM(クリーン開発メカニズム=京都議定書第12条で謳われている、先進国と途上国が共同で温室効果ガス削減事業を実施し、その削減分を投資国〈=先進国〉が自国の削減目標達成に利用できる制度で、京都メカニズムの一つ)の実施で、日本の省エネ技術を活用したり、ESCO事業(Energy Service Company=省エネルギーの提案、設備・システムの計画・維持・管理など包括的なサービスを行う事業)などをしようとしても、途上国のインフラが遅れているので、実用化できないとの話も聞く(2007年2月10日の環境NPO「環境・持続社会」研究センターのセミナーでの三菱UFJ証券クリーン・エネルギー・ファイナンス委員会CDM/JI主任研究員・吉高まりさんの発言)。行政は施策を打ち出す時、現況をよく認識する必要があるのではなかろうか。環境技術などの技術立国のあり方は、もっと慎重に吟味されるべきであろう。

 以下、スウェーデン、デンマーク、ドイツの環境都市を構築している市民/生活者の環境ヒューマンウェアを探っていく。