鉄道でまちづくり


まえがき

  都市は働く場であると同時に,いや,それ以上に,生活を楽しむ場である.戦後大都市圏の人口が膨張し続けたという事実は,ただ単に都市に職があるからという理由だけでは説明しきれない.現に,働き終え通勤の必要もない退職者たちが,今進行しつつある都心回帰の担い手となっている.放課後の高校生がたむろするのも,若者が恋人への贈り物を買い求めるのも,サラリーマンが仕事帰りに同僚と歓談するのも都市である.
  都市は様々な機会へのアクセスを提供する.日用品を買い求めるといった基礎的な生活機能にとどまらず,娯楽・遊興にも,スポーツにも,文化活動にも便利な場所が都市である.都心回帰の流れの中,都市は働き,住まい,そして遊ぶ場として認識されつつある.都市は魅力ある場なのである.

  この都市の魅力はどこから来るのだろうか.ただ一つに絞り込むとすれば,それは都市に集まるおびただしい数の人である.多様な人々が多数集散する都市は,つねに意外性に満ちている.様々な人々が様々な活動を営み,絶えることなく新たな情報を発信し,知的刺激を放出する.
  人が集まるとき,それら人々を幸せにする仕掛けを考える人も集まる.人々の願望を満たす仕掛けがそこかしこに設けられる.高尚な願望もあれば下世話な欲望もあろう.それらをあまねく満たす仕掛けが街を埋める.これら仕掛けがさらなる人々を呼び,さらなる仕掛けを生む.都市は豊かな公共空間へと成長する.

  では,これらおびただしい数の人々は一体どのようにして都市を訪れるのだろうか.多様な人々が都市に集積することを可能とするのは何なのか.言うまでもなく,それは郊外から人々を都心部へと運ぶ鉄道である.鉄道と都市は切っても切れない関係にある.
  20世紀初頭,都市の成長を支えたのは路面電車をはじめとする鉄道であった.欧州の都市はもとより,自動車志向型の都市を代表するロサンゼルスも,あるいは新大陸オーストラリアの諸都市も,路面電車を軸に都市域を拡張した.日本の郊外を形成したのも鉄道であった.
  これに続くモータリゼーションは都市の性質を本質的に変えた.自動車交通に適さない都心部はその優位性を失い,商業施設は郊外へと移出した.中心市街地の衰退である.そして道路混雑が永続的な問題となった.まず混雑の問題から考えよう.

  道路混雑はクルマ社会化に固有の現象ではない.日本では古くは牛車が,あるいは荷車による混雑が,欧州の大都市では軌道馬車の混雑が問題とされた.健全な都市から道路混雑を取り除くことはおそらく不可能であろう.にもかかわらず,都市の自動車交通を円滑なものとすることが可能であるとひたすら信じ,道路混雑解消の願望に答えようとしてきたのが戦後の都市交通計画であった.
  この背景には,自動車が都市的な交通手段だと考えられてきたという事実がある.これは,一つには第二次大戦後の急速な都市化とモータリゼーションが軌を一にしていたからであろう.実際,戦後の都市化は郊外化の歴史でもある.そして低密度に拡散した郊外には自動車が不可欠である.
  さらに,ル・コルビュジエの「輝く都市」や,ゲディスがデザインし1939年のニューヨーク世界博覧会で展示されたジオラマ,「1960年の世界(The World of 1960)」は,林立する高層ビルを貫く高速道路を自動車が疾走するイメージを人々の脳裏に焼きつけた.自動車は都市的な交通手段であるとみなされていたのである.しかし,これらの都市概念は自動車交通の特性を正確に理解したものではなかったし,自動車が現実にもたらしたスプロールを予見したものでもなかった.
  実は,自動車は大量・高密度輸送に適した交通手段ではない.それは高密度な都市とは相容れないのである.自動車は郊外や遠郊部,さらには山間部などの非都市地域で本領を発揮する乗り物である.近年何かとそしりを受ける低密地域の道路であるが,実は「クルマの数よりヒグマの数の方が……」といった地域こそ,自動車道が重視されるべきなのである.逆に都市部では大量・高密度輸送に適した公共交通の整備が重要となる.

  さて,自動車が大量・高密度輸送に適さないということは,それが都市の賑わいを生み出すことはないということを意味し,自動車の普及にともない,都市の魅力が消滅することを意味する.人々が低密な郊外に吸収され,都心部での集積がなくなるとき,都市の魅力も失われる.現にクルマ社会化が進む中小都市圏では,中心市街地の衰退が深刻な問題となって久しい.駅前から百貨店が撤退し,商店街は「シャッター通り」となり,歓楽街には閑古鳥が鳴く.これらはクルマ社会化の帰結である.
  この流れを食い止めるべく都市再生が叫ばれるなか,鉄道が注目されている.大都市圏では鉄道駅を核としたメガプロジェクトが計画され,完成しつつある.駅の商業ポテンシャルが認識され,その機能も多様化した.自動車の何十倍もの輸送力を持つ鉄道こそ人の集積を可能とするのだから,これは極めて理にかなったことである.しかしこれら大規模商業開発は,魅力ある街を作り出すのだろうか.

  本書では,都市の魅力に焦点をあてつつ,鉄道と都市との関係を考える.ここで用いる一つの重要な概念が都市の「公共領域」である.これは社会学者オルデンバーグがいう「第3の場所」に代表される人々の交流空間に加え,広場,公園,遊歩道や景観など,人々が共有していると意識するものを含む.さらに,歴史,言い伝え,年中行事,風俗,風習など,形を採らない共有物も公共領域に含めて考える.
  以下の章では,都市の魅力はそれが提供する豊かな公共領域にあるという視座から,都市,特に鉄道駅を核とした繁華街の魅力を検討する.まず都市と鉄道の関係を歴史的に概観した上で,通勤と観光を題材として人間にとって移動がどういう意味を持つのかを考える.また,岐阜市を例にとり,クルマ社会化した都市をつぶさに検証する.続いて鉄道駅と繁華街に着目し,鉄道ターミナルとそれを核とした繁華街の特性を論じ,繁華街の魅力に踏み込んだ検討を加える.
  これらの議論を通じて浮かび上がる一つの結論は,多様性が尊重されることが豊かな公共領域にとって不可欠であるということである.ここで多様性は,多様な人々の混在と,多様な活動――特にハレの活動とケの活動――の共存という二重の意味をもつ.もう一つの結論は,都市には民主的な,開かれた公共空間が不可欠であるというものである.これらの視点から,どのように豊かな公共領域を,魅力ある都市を作るのか,そしてそこで鉄道の果たす役割は何なのかを考えよう.

北村隆一