都市アメニティの経済学

はじめに

 世界人口の半分以上は都市に居住し、今後もますます都市への人口集中は加速するだろう。人々は都市に住み、働き、憩い、遊び、学ぶことによって、活力を再生産し、付加価値を生み、経済を発展させ、文化を創造している。人々にとって都市は地球上の他の空間と比較しても、極めて重要な空間であり、長い歴史と膨大な費用を費やして創造されてきた巨大な人工作品である。都市が魅力的かそうでないかは、その国の歴史、文化、文明、政治、経済、地理、気候などさまざまな条件に依存していて、都市はそれらの諸条件の集積を反映した空間である。
 経済的な豊かさが必ずしも都市を魅力的にするとは限らないことを日本の都市の実態が示しているが、その原因はかなり複雑である。都市のあり方については多種多様な意見がある。専門家だけでなく、全ての人々が日常的に都市を経験しており、都市について論じることができる。都市に関わる専門も多岐にわたっている。巨大な都市空間を異なる角度から切り取り、分析することが行われている。たとえば都市計画、土木工学、建築学、造園学、経済学、社会学、法律学、地理学などである。この他にも、文化、芸術、歴史、政治なども都市と無縁ではない。さらに、都市空間には住宅、商業、業務、工業および公共主体など、行動原理を異にするさまざまな主体が存在していることも、都市の動向をわかりにくくしている。
 都市は人類がつくった最も複雑で巨大な空間である。これだけ複雑なシステムを持った空間は、蓋然性、不確実性など予測不可能な事象に満ちていて、完全に制御することなど不可能である。だが、もちろん都市に関わる規制を完全になくして、市場経済に任せ、多種多様な主体の自由な行動が結果として魅力的な都市をつくりだせるとは誰も期待していない。今ある都市は過去から現在に至る自由な都市活動の集積と、それに関わる規制誘導施策との共同作品なのである。それぞれが固有の目的を持って勝手気ままに活動することによって生じる変動をペナルティとインセンティブとによって、少なくとも望ましいと思われる方向へ誘導しようとした結果なのである。
 都市はそのすべてを計画管理することはできないが、規制のすべてを緩和するのは長期的にみて無謀に近い。せめてある望ましい方向へ向けて誘導することが必要だろう。誘導の方向は時代とともに変わり、戦後の日本では、都市は国土計画の一部であり、地方から流入する人口のための生活基盤の充足、効率的な生産の拠点としての社会資本整備など、開発による都市の拡張が優先された。この間そして現在に至るまで、計画、管理、誘導を決定したのは一貫して中央政府だったため、全国的に効率的な投資が行われ、都市施設は量的にも質的にも一定の水準に達したといわれているが、一方で日本の都市が画一的になり個性が失われたのは周知の通りである。
 さて今日、少子高齢化、知価社会、グローバル化、情報化、地方分権化などの変化を迎えて、都市はどの方向へ誘導されるべきだろうか。日本の人口がやがて徐々に減少する過程で、全ての都市の人口が一様に減少するわけではない。このまま推移すれば、多くの都市では行政サービスを維持できない水準にまで人口が減少するだろうし、一方、グローバルな都市間競争を勝ち抜き、人口が増加する少数の都市も存在するはずである。人口増加の潜在力のある都市については、今後も都市的環境を創造することが必要であり、また人口の大幅な減少が必然な都市は、むしろ美しく豊かな自然環境を再生し、メリハリのある国土構造に改革してはどうだろう。このまま放置して都市間競争市場の淘汰に委ねていては、長い歳月の間に日本全体が疲弊し、魅力ある国土は育たない。どのような条件を備えた都市がこの競争に勝ち抜けるのだろうか。
 都市は現在も未来も、第一にそこに住む市民にとって快適でなければならないし、第二に外部から都市を訪れる人々にとっても魅力ある空間でなければならない。世界中から訪れる観光客はもちろんのこと、留学生やビジネスマンが滞在し、多数のグローバルな企業が立地し、国際会議を誘致するためにも、世界的水準の魅力的な都市空間は必要なのである。国土の中に、世界中の人々を魅了する快適な都市空間を持たなければ、国際化時代の都市間競争の中で淘汰されていくことになるだろう。
 日本の戦後から今日までの経済成長の過程では、地域間の大量の人口移動が都市空間への需要を拡大し続けてきたが、そうした旺盛な社会移動の回復はもはや望めそうにない。一方でロンドン、パリなどのヨーロッパの魅力的な都市では、たとえ国内経済が衰退期にあっても、そうした世界都市を目指して海外からの投資が続き、世界中から人々が都市観光に訪れ、都市空間への需要が維持されてきた。たとえ高度情報化社会であっても、依然として価値を創造するためにはフェイス・トゥ・フェイスは重要であり、その機会を提供する知的空間としての都市は世界中から人と企業と投資とを引きつけるだけの魅力を持つことが必須条件であろう。人口減少を前提として自然を再生した都市も、あるいは人口増加を誘導する都市も、その目標は世界的水準の魅力ある空間である。本書では、それぞれの都市の個性を活かし、文化と歴史と自然をふまえた魅力ある都市の価値を都市アメニティという概念で提案したい。
 アメニティは決して新しい概念ではないが、後に述べるように、新しく客観的な都市アメニティを定義し、計量化を試みることによって、専門分野を異にする都市関係者の共通の言語にしたいのである。
 アメニティの計量化はわが国では1985年頃に一度盛んに試みられたことがある。当時は経済成長の結果としてある程度の豊かな生活が実感され、人々の関心が環境へと向き始めた時である。都市づくりの目的として、それまでの利便性、経済効率といった指標では計りきれないものに関心をはらう余裕が生まれていた。当時の計量化は、主に意識調査をもとに、人々の都市に関する満足感と都市の環境指標との間の統計的な関係を多変量解析手法によって分析したものである。さまざまな都市環境指標が市民の満足感という序数的指標をどのように構成するかが数量的に把握された。この結果、都市指標の相対的な重要性は客観化されたが、費用との関係は不明であり、投資計画に活かされるまでには至らなかった。しかし、都市の総合的評価を構成する指標が、経済的変数だけにとどまらないことに気づいたことは重要であった。
 今日では、都市計画、地域計画、行政評価あるいは環境計画などの分野において、国連、各国、地方自治体において、指標indicatorづくりが体系的に行われている。一方、自然環境の破壊に対する危機感を契機にして、こうした非市場財を貨幣価値に換算して、破壊による損失を明確にして自然環境保護の重要性を訴えようとする動きが強くなってきた。このような背景の中で、非市場財の貨幣価値を推定する理論が確立され、実証研究が積み重ねられつつある。
 都市アメニティとは何か、都市アメニティを構成する指標には何が含まれるべきか、そしてそれらの指標の市場価値はどうやって計量化すべきか、計量化の後に都市計画にどのような可能性があり得るか、こうした問題意識が本書の動機である。
 なお、本書は都市アメニティの提案と都市計画における応用に重点を置いており、価値計測の手法については、その基本的な理論の平易な解説にとどめ、詳細については専門書にゆずることにする。