変わる盛り場

盛り場の変貌「「はじめに



盛り場はいつも変化している

 盛り場の歴史は古い。都市計画家として名高い石川栄耀が昭和十九年に著わした『皇国都市の建設』によると「都心の中心部の一区域において市民が格別の目的なく集合し、その隣保的な生活を味はった、いわば盛り場に類する生活の歴史は古い。恐らくそれは歴史とともに初まって居ると云ってさへ好かろうと思はれる」とある。例としてギリシヤのアゴラ、ローマのフォーラムなどの市民広場があがっている。

 「盛り場」から夜の飲み屋街を連想するという人もあれば、デパートなどの大型商店や商店街のあるショッピングゾーンを思い浮かべる人もいるだろう。また盛り場とひとことで言っても、その歴史も大きさも様々である。日本を代表するような盛り場もあれば、その地方の人に愛されている小さな盛り場もある。古くからの盛り場もあれば、この十年くらいの間に人通りが増え、賑やかになったところもある。

 広辞苑によれば「人が多く集まってにぎやかな場所。繁華街」とある。盛り場という言葉には固定的な意味があるわけではないようだ。封建社会では日々の労働の憂さ晴らしの場として、寺社の門前や河原に見世物小屋や芝居小屋、遊里が生れ、人々を惹きつけた。明治以降は、銀座に代表されるようにハイカラ文化を受け入れる西欧への窓としての役割を果たしてきたのも盛り場である。盛り場は時代により、その役割を変えながら、今に至っているといっても良いだろう。

 服部けい注1二郎はその著書で「商店街と歓楽街、買い物と社交、盛り場には人を惹きつける基礎的構図がある。商店街と歓楽街との関係は古代の市では両者が同居していたようである。ところが江戸時代になると商業の場と歓楽の場とが別れるようになった。明治維新後は、買い物と娯楽の場が、再び同居するようになる。明治も中期を過ぎると、大都市ではもちろん地方都市でも、中心街付近は盛り場性を強める」と、盛り場の構成要素の変遷について言及している。

 最近の動きを見ても、盛り場の地殻変動ともいえる出来事がいくつもある。例えば、長い間買い物は人々の関心事であり、百貨店は盛り場の中核的な施設であった。百貨店の売上げ高が景気の判断の指標として意味を持っていたのもそのあらわれである。しかし、近年、消費全体に占める百貨店の売上げの比率は下がり、ホームセンターや通信販売などの新業態や、観光などのサービス業関連の販売額の伸びが著しい。そんな中、「百貨店の売上げ高はもはや消費を表す指標ではなくなった」との発言が行政サイドだけでなく、百貨店関係者からも出はじめている。

 また、店舗を一ヶ所に集め、その集積の効果で、拡大してきたショッピングモールにも変化の兆しが見える。長引く不況の影響もあるだろうが、モールの中のキーテナントであるスーパーやデパートの撤退が現実のこととして起っている。

 ショッピングモールの産みの親でもある米国でも新たな動きがみられる。最近注目を集めているのは、歩いて移動ができ、人と人とのコミュニケーションが可能なダウンタウンだという。

 時代とともに盛り場の主役は移り変わっている。盛り場の不易と言うべきものはもちろんあるだろうが、施設の役割は必ずしも一定ではない。社会環境や人々の関心を敏感に感じ取り、変化の波頭を捉えているのが盛り場といえるだろう。しかも、無秩序に変化しているのではなく、時代の大きな流れと同調して、一定の方向性を有しているのではないだろうか。


利用者の視点で盛り場を読む

 「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ」という言葉があるように、都市はずっと人を惹きつけてきた。人はなぜ都市に集まるのか、都市の中でも特に人の集まる盛り場の魅力を探ることは二十一世紀の生活文化のあり方を研究するサントリー不易流行研究所にとって、魅力的な命題の一つである。

 盛り場研究にいくつかの方法があることは、吉見俊哉の『東京の盛り場の社会史 都市のドラマトゥルギー』に詳しい。初期の盛り場論では施設の集合体のあり方によって盛り場の分類を行う方法が取られている。例えば、前出の石川栄耀は盛り場の形式を純粋娯楽場と市場ないし商店街とその両者の混成と規定し、綜合盛り場、純粋盛り場、商店街盛り場、都市美商店街、市場商店街の五つに分類している。

 一方、盛り場は施設や機能によって特徴づけられるだけでなく、そこを往来し、利用している人によって成立するという立場をとるのが都市社会学である。都市社会学の分野では盛り場を構成する業態構造だけでなく、流動人口の性格や特質も研究の対象である。吉見は従来の盛り場論の切り口を整理した後、自分自身の盛り場に対する問題意識を「つまり『盛り場』とは、もともとは流動的で一時的な『盛(サカリ)』を、他の場所よりも濃密に抱えた空間である」と表明している。

 都市は外見上は、建物や道などのハードによって出来上がっている。それを造り、動かしているのは行政や企業などである。しかし、それだけでは不十分で、利用者があって「場」ははじめて盛り場となる。盛り場の主人公は集う人々である。

 現代人にとって、盛り場にいるということがいかなる意味を持つのか。今人々は生活や遊びの舞台としてどのような気持ちで利用しているのか。盛り場の今後を明らかにするためには、生活者と同じ目線で街を歩き、店を使い、もう一度、盛り場の全貌を捉え直し、意味を探り直すことが必要である。

 生活が豊かになり、便利になり、情報化が進んだことは、盛り場で繰り広げられていた様々な行為にも強く影響を与えている。人は常に新しいモノやコトを求めるものだという仮説の延長線上に盛り場論を展開することすら、通用しない状況が起こっているのではないだろうか。

 また、この十年で急激に進んだ情報メディアの発達とも不可分である。ウインドショッピングが通販会社のカタログをみることで、またインターネットのホームページに接続することでできる時代である。買い物や飲食という盛り場の大きな要素が、場を媒介せずに成立するという大きな変化が起こりはじめている。店で行われていた飲みにケーションも一部では自宅でパソコン通信やインターネット越しに行われているという。

*

 生活の変化はこれまでになく大きく、従来の仮説を捨てることが、今回の研究のスタートである。変化していることを素直に認め、変化のベクトルを探る中から、新しい盛り場像が姿をあらわすのではないかという予感でこの研究は始まっている。

 舞台は偏らないよう、伝統的な盛り場、郊外住宅の発達の中から生まれたターミナル盛り場、中心から少し離れた場所に自然発生的に生まれた若者の町、都市計画で全てが計画通りにできあがった場所、都市の中に出来た異国の街など、できるだけ多様な場所を選び、街を歩き、歴史を調べ、人の流れを追い、人に会い、生の声を聞くことを心がけた。

 かつて盛り場の持っていただろう機能のうち、時代とともに必要のなくなったもの、新しく生れたもの、根強く支持されているものがあるだろう。盛り場は人の欲望のうごめくところだからこそ、場所が変わっただけでなく、時代の気分を色濃く映し出している。先に盛り場ありき、にならないように、生活全体の中での盛り場の位置づけにも気を配ったつもりである。

 新しい流れを予感させるキーワードを人々の動きと場の中から見つけだし、それを有機的につないで行く。そこから新しい盛り場の輪郭を明らかにしたいと思う。



(注1 金篇に圭)


学芸出版社
目次へ
学芸ホーム頁に戻る