里山長屋をたのしむ
エコロジカルにシェアする暮らし

あとがき


 この里山長屋のプロジェクトが竣工し、私たち住人の暮らしも約2年半が経ちました。私はこのプロジェクトの住人でもあり、設計者でもありますから、なかば客観的にこの数年のプロジェクトの経緯を眺めてきました。

 この里山長屋が目指してきたものは、テーマとしてはありきたりかもしれませんが、単純に言うと、住まいづくりをきっかけとした「環境」と「コミュニティ」の回復でした。それが現在の住環境を転換するストレートで直接的なとっかかりだと思うからです。

  今改めて振り返り、その先の目標としてこのプロジェクトが目指したものが何だったのかということをもう少し煎じ詰めてみると、「関係性」と「時間性」のデザインだったのではないかという気がします。

  住空間という建築をつくるのですから、そのハードのデザインをないがしろにしたわけではありませんが、ハコそのものが持つ表層的な価値よりも、大事にしたいもの、取り戻したいものがありました。

  現代は実に多くのことが商品というものに還元されてしまっています。そして、これまでの時代に積み上げてきたほとんどの構造が破壊されて、個人的なところにまで解体されたのが現代であると言えるでしょう。暴走気味の経済社会は、商品を売りつけるには好都合です。そして、グローバリズムの津波を前にして、マーケティングとやらに私たちは無意識のうちに右往左往させられているのです。

  そうした時代のなか、何か確実にこれだといった拠り所が必要だと思っています。解体された個人は、もはやかつてあった血縁や地縁といった関係性のなかに、その答えを見いだすのは難しいようです。ならば、あふれる無価値な情報と商品に刹那的にしがみついて溺れないようにするよりも、身近にあるさまざまな物事との関係性と時間性を、新たな視点でできるだけ紡ぎ、着実に積み上げていくこと。そこにしか手応えのある価値は生まれないように思います。

  住まいづくりで言えば、住まい手、つくり手、地域、環境、自然、素材などと多様な関係性を持つつながりを回復していくことが重層的な価値を生むのだと思っています。そして、それが時間性を獲得し、おそらく消費されない価値として、生命力のある住まいとなるのだろうと信じたいのです。

  木は伐採後も強度が増し、育った年月以上の期間にわたって強度を維持すると言います。いささか強引ですが、それに倣うならば、建物にもどれだけそこに時間と手間とさまざまな関係性を持ち込むかによって、その住まいの価値が決まるのではないでしょうか。

  そして、そこにどれだけ住まい手がそれに呼応するに足る手を積極的にかけるか、育てていけるか、がポイントです。それが住まい手の人間力の回復を促し、地域も環境も元気にしていく最良の手だてではないかと思います。

  このプロジェクトでは、「住まい手の責任」ということにもそれとなく言及しています。実は、これがこの里山長屋の裏テーマだと思っています。現代の商品経済の社会では、すべては商品の供給側に責任があるとされています。ですが、物事はすべて「総持ち」で起きているのではないでしょうか。

  住まいづくりには非常に多くのモノ、コト、ヒトが関わります。住まい手が自らの住まいを実現するためには、それらと多様な関係性を築く必要があることはすでに述べたとおりです。であるならば、その関係性を選択した住まい手自らが背負う責任もあるはずです。住まいづくりの「総持ち」の関係のなかに住まい手自らも身をおいて当事者として振る舞うことが、健全で健康的な住まいづくりの仕組みを取り戻すことにつながるはずです。

  住まい方の作法みたいなものもまた破壊されてしまいました。かつては地域のなかで住まいづくりのマナーというものが共有されていました。意識していたかどうかはともかく、住まい手1人1人がそうした仕組みへの参加者だったからです。

  そうしたものに代わる、新たな枠組みをどう再び構築していくのか。そして、そこに住まい手が再び当事者としてどう参加していくのか。自分で住まいに始末を付けるという覚悟。そうしたことがこの無責任社会に終止符を打つことにつながると考えています。

  実は、建物の上棟が終わった後、大工さんの造作工事が佳境に入り、竹小舞/土壁のワークショップを盛んに行っていた夏頃に、高橋信行棟梁が持病により突然お亡くなりになりました。関係者一同大変驚き、悲しみ、この里山長屋の物語にとって欠かせない主役級の登場人物がいなくなってしまったことへの戸惑いは筆舌に尽くし難いものでした。しばらくは工事も中断となり、その後の行く末をどうしたものかと思案に暮れました。幸い、棟梁の弟さんはじめ、それまで工事に参加してくれていた職人さんたちが引き続き協力していただけることになり、実に着工から1年半もの歳月をかけて、ようやく竣工に辿り着いたのでした。

  高橋棟梁にとっては、最後の仕事となり、無念の想いで旅立たれたことと思いますが、私たちがこのプロジェクトを末永く発展させ、住環境づくりの一つの未来像を描けるならば、それが棟梁への何よりの手向けだと思っています。改めてご冥福をお祈りします。

  また、この本をまとめるにあたり、執筆者として私が前線に立つこととなりましたが、このプロジェクトの当事者は当然私だけではありません。このプロジェクトを推進してきた4世帯の皆々がこのプロジェクトの主役です。皆さんの知恵と努力と粘り強い根気がなければ、このプロジェクトは成立しませんでした。小山さん、小林さん、池竹さんと私の妻。皆さんの熱意と挑戦魂に改めて敬意と謝意を表します。

  また、大変多くの方々にこのプロジェクトに興味を持っていただき、かつワークショップ等にも積極的に参加していただきました。こうした方々のご協力なしには成立しなかったことも事実です。私の事務所のスタッフたちも、こうした初めての試みによく頑張ってくれました。また、現在も継続的に里山長屋に計測に通っていらっしゃる工学院大学の中島裕輔先生はじめ研究室の皆さんにも、いろいろと多くのことを教えていただきました。

  ここに改めて皆さんに御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 また、この物語を拾いあげていただき、本にすることを薦めていただいた学芸出版社の宮本裕美さんには、本当に感謝しています。

  こうして見ると、このプロジェクトは実に数百人にも及ぶ人たちを巻き込んでの「出来事」でした。ある尊敬する建築関係の編集者の方が「建築はできごとである」と言われたことが妙に頭に残っています。ある関係性をもってすれば、建築とは人がよってたかって何となくできあがっていくことなのかもしれません。恣意的につくられた価値に翻弄されるより、状況がつくりだすものの方が力を持つことは大いにありうることです。このプロジェクトを通じてできた関係性は、言ってみればそれだけで一つの大きなコミュニティです。このコミュニティの背景をもってして、このプロジェクトが成立したというのもあながち大げさではないかもしれません。

  私たち住まい手としては、このプロジェクトを末永く続けていくことで、コミュニティの拠り所として深化していくことが、関わっていただいた方々へのお返しになると思っています。

  どうか今後も末永く、里山長屋のこの先を見守っていただければと思います。そして、このプロジェクトがこれからの住まいづくりの一つの灯台のようなものになれたらとても嬉しく思います。

2013年8月 里山長屋にて
山田貴宏