重森三玲 庭園の全貌


はじめに

 重森三玲(明治29年〜昭和50年、1896〜1975)は作庭の革命児といえる。夢窓疎石、古岳宗亘、雪舟等楊、上田宗箇、小堀遠州などと比較しても全く遜色ない作庭家である。彼はほとんど全ての古典庭園の実測を行い、文献も調査した。古典庭園についての時代背景と個々の庭園の特徴を、ほぼ完全に把握していたと考えられる。重森は日本庭園について、過去のどの作庭家よりも多くの情報を持っていたのである。
 彼は昭和11年からの3年間に全国の約300庭を実測し、同14年『日本庭園史図鑑』にまとめたが、そのうち243庭を同著で扱っている。重森は詳細な平面図、立面図を作成し、写真を撮影し、沿革を調べ上げてこれらを整理した。この地道な、しかも、膨大な時間と労力を費やした仕事が彼を大作庭家に育て上げたのだ。どれほどの才人であっても、いきなり東福寺本坊の庭を作ることは不可能である。しかし、現実に重森は作ってしまった。どうしてそんなことが可能だったのだろうか。

(中略)


5――本書の構成
 本書は、「第一部 重森庭園の軌跡」、「第二部 古典庭園と重森枯山水」からなっている。
 構成内容については目次に詳しいが、重森庭園については、その分布図と詳細インデックスを目次の次に掲載した。
 第一部では、重森が生涯作庭した約200庭の中から、筆者が取材・研究した「現状で掲載可能な」113庭を、初出の個人庭園を含め作庭順に紹介している。昨今、重森の少数の有名庭園が紹介される機会は多くなったが、大多数を占める個人庭園についてはほとんど紹介されていない。個人庭園には、既に解体されてしまったもの、所在不明のものもあるが、取材が可能であった庭については、持ち主の方々に本書で紹介することの意義を認めていただき掲載が可能となった。
 第二部では、重森が綿密に実測調査した古典庭園が持つ特徴を紹介し、それを重森がどう捉えたかを考察し、作庭にどのような影響を与えたかを示した。詳しく読んでいただくと、「重森枯山水」が生み出される「奥義」が読み取れると確信している。