建築の歴史を学ぶということは,われわれの先人たちが,それぞれの時代において,よりよい生活を営むために行ってきたさまざまな試行錯誤の跡を確認する作業であり,何に失敗し,それをどのように克服してきたかを検証することによって冷静な判断力を養う基本的な作業であると考える.それは一般的な知識として身につけるというより,現在という時代あるいは未来が必要としている建築行為を見定めるために不可欠な身の構えなのであり,過去に目を向ける態度こそが大切なのではないだろうか.
高等学校や専門学校,あるいは大学などで建築史教育に直面している者同士が集まって,そのようなことを議論しているうちに,本書の構想が立ち上がった.本書を草した目的は,建築家あるいは技術者をこころざしている学徒に対して,まず建築の歴史に興味をいだいて,目を向けてもらうこと.そして,先人たちが考え,成し遂げたことを冷静に見つめてもらおう,ということにある.
本書の特色は見開きの両ページでひとつの話題を完結し,建築の歴史を概観していることにある.図版に多くの紙面を割いたのは,建築遺構に触れることによって建築の歴史を実感してもらいたかったからである.掲載する建築の選択には当然執筆者の意図がはたらいているが,およそ各時代の代表的ものとして認められているものを選んだ.まずはページをめくって,図版だけを眺めながら建築史の全体を概観するのもよいだろう.特にイラストを多く掲載したのは,写真ではかえって建築の実態を伝えにくいものもあり,イラストの方がより印象深く読者に伝わるだろうとの判断からである.写真では伝えられないような建築空間の構成やディテールなどが臨場感をともなって伝えられれば,と期待している.限られたスペースでの解説の文章はかなり凝縮せざるを得ず,本文ではできるだけ簡潔に歴史を通観し,図版の説明や別枠に設けたコラムで遺構や関連事項の理解を深めた.各執筆者の努力によって,的確で簡明な解説を,という編集意図が叶ったように思う.
また建築の歴史が人間の営みの集積であることが実感できるように,歴史に関わった人物を積極的に取りあげるように努めた.各時代区分の末尾に「人物でよむ建築史」を挿入したのもそのためである.人物の選択は恣意的であるが,読み物として気楽に読んでいただき,建築の歴史をつくってきた人物の存在を垣間見ることによって,また新たな視点が生まれるのではないだろうか.
西洋と日本,それに近代の建築史を一冊におさめているのは,地域差によって,それぞれ別のものととらえがちな歴史を,より全体的に視野をもって通観できたら,との思いからである.時代の区分や叙述形式は先学が樹立した類書の範疇を越えるものではないが,項目ごとに,その特徴をとらえる見出しとリード文をそえているので,それを通読すれば,建築史の全体像が把握できるかもしれない.先述の建築史を学ぶことの意義を鑑み,戦後から現在を含む時代を論じるページを可能なかぎり充実させたのも本書の特色である.
本書は項目ごとに分担執筆している.叙述や構成についてはできるかぎり統一をはかったが,内容と表現に関しては執筆者の裁量によることにした.統一できていない部分は,執筆者が建築史を語る上での個性であるとしてご容赦願いたい.
建築をとりまく社会状況はめまぐるしく変化しており,習得すべき技術と情報が氾濫する教育の現場では,歴史に多くの時間を割くことが困難になってきている.一部の工業高校では建築史の授業そのものがなくなりつつあると漏れ聞く.そのような時代であるからこそ,これからの建築のあり方を冷静に判断するための視座として,まず建築の歴史的変遷の大きな流れを的確に把握してもらいたい,というのが執筆者たちの願いである.すでに建築界に身を置いている人にも,もう一度歴史を振り返ってもらうきっかけとなればと念ずる.
2003年11月吉日
矢ヶ崎善太郎
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