檜皮葺と柿葺


はじめに


 国宝や重要文化財などの歴史的建造物の修理のサイクルは、台風や地震などの突発的な災害を除けば、普通は数十年でやってくる。この修理は屋根の葺き替えが主で、木部の部分修理や塗装替えをともなうこともある。これが維持修理と呼ばれる最短のサイクルである。
 中長期的な修理は、根本修理と呼ばれ、百年単位のオーダーで巡ってくる。建物の状態によって、柱や梁など木部の軸組はそのままに、屋根組までを解体する「半解体修理」と、解剖手術のように建物をいったんバラバラにほどいて、患部を丹念に検査し、補修しつつ旧に復していく「解体修理」に分けることができる。
 私たち檜皮葺師、柿葺師は、これらすべてのレベルの修理に立ち会うことになる。屋根替えはもちろん、根本修理をする際も、屋根は一番に解体される運命にあるからだ。
 現在、国の重要文化財に指定されている建造物(国宝も含む)は約三、六〇〇棟。日本全国で年間約一二〇棟の文化財修理が行なわれている。建物を保存するうえでは、必ず修理が発生するから、伝統的な修理技術を持った職人を育成しておかないと、建物の保存はおぼつかない。
 また、逆に建物がなくなってしまえば、技術を生かす場がないのだから、歴史的建造物と職人は永遠に切りはなすことのできない一対のものである。
 檜皮葺とは檜の樹皮を立木から剥ぎ取り、用途におうじて切り揃えたものを、竹製の釘で留めつつ葺き上げていく工法であり、柿葺は素性のよい椹や杉、栗などの原木を三〇p程度に輪切りにし、それを包丁を使って割ったものを、葺材として使用する。
 耐久性に優る檜皮葺は、重厚で曲線の多い社殿、仏堂など神仏の館に、柿葺は開放的な軽快さを持ち、修理も簡便なことから書院、客殿、茶室など人の出入りのある建物に多く用いられてきた。
 これらのわが国固有の屋根葺工法は、主として社寺建築に用いられて、やわらかな曲線を作り出し、歴史的建造物の美しさを形成する重要な役割を果たしてきた。その技法と材質は、他の国に例を見ない温暖多湿な日本の気候風土によく調和しているだけでなく、植物性材料であるが故に寿命が短いことも、材料の美しさを喜び、けがれのない清浄さを尊ぶ民族性の中で受け入れられてきた。
 永年の葺師の知恵が結集したこれらの工法は、技術的水準からも修正の余地はほとんどない。葺師の世界では、修復のため歴史的建造物を解体した後は、基本に忠実にひたすら復元することに専念するのみで、自分勝手な解釈や創作的なアイデアは厳禁である。また時として、後世に付加されたものを、注意深く分離除去することさえ求められる。  ところで現在、全国には百名あまりの檜皮葺師、柿葺師がいるが、その年代別構成比をみると、二〇、三〇歳代の若手と、六〇、七〇歳代のベテランに職人が集中しており、本来働き盛りであるはずの四〇、五〇歳代が手薄で歪な構造になっている。
 関連職種の原皮師(檜皮採取者)の場合はもっと深刻で、高齢者を中心に全国で二〇名程が従事しているにすぎない。檜皮葺、柿葺ともに必ず使用する竹製の釘の製作者は、全国でたった一軒という有様である。
 この陣容で、全国の国宝、重要文化財三、六〇〇棟のうち、檜皮、柿で葺かれた約一、三〇〇棟の屋根の保存修理をしているのである(他に文化財に指定されていない檜皮葺、柿葺建造物が、一、五〇〇棟はあるといわれている)。
 一二〇〇年といわれる檜皮葺、柿葺の歴史の中で、収斂されてきた技術は、それ自体が芸術といっていいような高度な精神性を備えたものである。職人は寡黙であり、その伝承は言葉や数式に頼らず、自分の体を使って染み込ませた記憶や感を頼りに、伝統を受け継いできた。
 しかし、その伝統も職人の高齢化や、わずかに葺師の元に残る古文書などの散逸によって、技術伝承の危機に瀕している。
 本書ではこのような状況の中で、ベテラン葺師からの聞き取りなども含め、檜皮葺、柿葺の伝統技法を少しでも具体化し、あわせて現代の職人の置かれた立場、気質、本音などにも触れてみたつもりである。
 古建築や檜皮葺、柿葺に興味のある方は、この本で気に入った建物があれば出掛けていただきたい。鎌倉、室町、桃山と、それぞれの時代の文化の香り高い建造物が近くにもあるはずであり、その大きさや肌触り、光や風の方向なども、その場に行ってみなければわからないからだ。
 力量不足は百も承知しているが、今後の歴史的建造物屋根工事への理解と、体系化に資することができれば、檜皮葺師、柿葺師、原皮師を兼ねる一職人として、望外の幸せである。

原田 多加司


学芸出版社
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