第1回 歴史・文化のまちづくりセミナー
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歴史的遺産の保存・活用と
まちづくり
(要約)

大河直躬


1 刊行に当たって

   最初に話の糸口として、 今度私たちが刊行しました『歴史的遺産の保存・活用とまちづくり』の意図について、 少しご説明したいと思います。

最近各地の市町村で、 広い意味のまちづくりの一部として、 歴史的な建物や町並みの修復と活用が多く行われるようになったことは、 新聞やテレビで皆さんもよくご存じだと思います。

 

   また、 そのような最近の試みのなかには、 活用の面でも、 あるいは再生のデザインや技術の面でも、 従来なかったような新しいものがかなりあります。

 

   しかし、 このような各地の新しい試みは、 建築の専門の雑誌であるとか、 あるいは地方新聞であるとか、 いろんなメディアにばらばらに発表されていますから、 その全貌を掴むということは、 なかなか難しいことです。

 

   それで私たちはそのような試みを一度整理して、 全体的に展望することが必要な時期に来ているのではないかと思い、 今度の本を作りました。

そうすれば、 現在そういう仕事をされている方、 あるいは学生さんや若い方でこれからそういう仕事に取り組みたいと考えておられる方の参考になるのではないかと思いました。

 

   もう一つの刊行の意図は、 この本を作っているうちに私の頭に浮かんできたことですけれども、 現在は修復とか再生とか活用ということが、 非常に多くの市民の方の支持と参加を得て行われる時代となっていて、 ごく少数の建築家や学者がする仕事ではなくなって来ているのです。

こういう時期になってきますと、 保存や再生などの仕事自身について、 一度広い視野で、 その持っている意味とか具体的な方法をどうしたらいいかということを、 やはりみんなで考えていかなければならない時期に来ているのではないかと思いました。

 

   日本ではそういうことを、 みんなで考える機会が、 もう少し丁寧にいいますと、 言葉でもってそういうことを丁寧に議論していくということが、 これまで非常に少なかったと思うんです。

やはり、 そういうことをこれからやってゆかなければならない。

そのひとつの手がかりとして、 私たちの本が役にたてばいいなというのが、 本をつくりながらの私の感想でした。

 

   次に、 まず最近の歴史的な建物と町並みの保存のいろんな新しい動きを紹介しまして、 それからさっき述べました保存とか再生について、 これからどうしたらいいかについての私の感想を申し上げたいと思います。


2 近年の保存の動向

   最近の保存の特色の第一は、 従来のように文化財に指定されるような立派な、 あるいは歴史的に由緒ある建物ではなくて、 私たちの身の回りにあるいろんなものが修復され保存されるようになったことです。

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   京都市の北にある美山町の茅葺きの集落で、 既に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されております字北地区(写真9)のほかに、 他の集落も含んで、 町が1993年から茅葺き屋根の保存のために補助金を出して、 町ぐるみで保存しようとしております。

 

   そのほか、 保存対象には、 町の中を流れる水路とかいろんなものがあります。

石垣とか屋敷林もありますし、 仮設的なものでは石川県の輪島市にあります、 冬の間の季節風除けの茅で編んだ垣で間垣と呼んでますが、 それなども保存会ができて将来にわたって保存していこうとしています。

 

   二番目の特色は、 近代に建てられた建築、 あるいは産業遺産とか土木遺産の保存が最近進んできたことです。

昨年度の文化財保護法の改正によって文化財登録制度ができました。

既に300に近いものが登録文化財になっております。

その中には、 第一回に登録された東大の安田講堂とか京都の南座のように皆さんがご存じの建物もありますが、 そうでない地方都市の有名でない建物とか、 工場や土木施設とかいろんなものが含まれております。

 

   米沢市の駅のすぐ近くの音羽屋本館は、 戦前に建った旅館で、 洋風と和風を混合した派手な装飾をもったものです。

こういったものが保存の対象となるとは、 つい最近まで私たちも予想していませんでした。

 

   このような建物も、 現在の町並みの中では、 景観に特色を与えているいわゆるランドマークとして貴重であるとして登録されています。

 

   地方の工場の中にありました建物も登録されています。

例えば長野県の岡谷市にあります製糸で有名だった片倉工業の工場の事務所があります。

明治43年に建ったものです。

 

   三番目の特色は、 従来の文化財保存は、 国の文化財保護法による指定とか、 それを下敷きにした県市町村の文化財保護条例による指定でしたが、 80年代から市町村が独自に景観条例とか美観条例を作りまして、 それで歴史的景観を保存するようになってきました。

現在では全市町村の約30%が歴史的遺産の保存を含む条例をつくっております。


3 歴史的景観保存の事例

   市町村による歴史的景観の保存の中でも、 最も進んでいるのは栃木県の栃木市です。

1990年から歴史的町並み修景事業を始めました。

これまで関東特有の土蔵造りの修復を多く進めています。

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   現在観光協会が使っている建物は一番立派で、 通りを行く人がみんな上を見上げていることからも分かるように、 大変力強い建物です(写真10)。

内部もケヤキ造りの美しさを生かしながら土地の物産を売っております。

 

   市内には旧市役所や旧中学校など、 木造洋風の建物も数多く残っております。

大正4年に建った私立の栃木病院は、 市が補助金を出して屋根と外壁の修理をいたしております。

土蔵造りの町家と洋風建築の両方があるところに栃木独特の魅力があります。

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   長野市の東にあります須坂市では、 1993年から今年まで70棟近い建物や塀を修復しています。

補助金は、 栃木市の場合は三分の二、 須坂市の場合は60%です。

写真11は、 明治の終わり頃に建った須坂の町家ですが、 なかなか堂々とした美しいものです。

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   写真12は一万石ちょっとの大名であった須坂藩主の一族の屋敷の長屋門を、 酒屋さんがお使いになっているもので、 これも修復されました。

 

   千葉県の利根川のほとりにある佐原市は、 1994年から修景の事業を始め、 1996年には国の重要伝統的建造物群保存地区となっております。

 

   現在、 古い建物に新しく付けられた醜いものを外して元の形に直すとか、 復元するということが進んでおります。

下に車を入れるために1階のファサードを変えるなど、 そういうような修景もしています。

 

   私共が行った時に泊まります大正頃に建った宿屋では、 腰にタイルを張ったり、 2階に宿屋さんの名前が浮き出した銅板が付いていたりします。

もともとはなかなかいい建物です。

 

   明治26年に建った福新という呉服屋さんは、 県指定文化財の建物で、 県の補助金を得て、 修復しました。

小掘屋さんというお蕎麦屋さんは、 明治33年の建築で、 これも県指定になっています。

そばに昭和戦前に建った千葉銀行の支店があり、 現在は第百生命の建物となっています。

ここは、 建て替えたいと会社が言っておられたんですが、 住民の方の要望が実って元の形に修復されました。

入口に元はガラスブロックの小さな突出部があったのですが、 そういうものは取って元の形に戻しました。

 

   同じく千葉県の佐倉市で武家屋敷が並んでいた鏑木小路というところでも、 市の建設部局が土手を修理しています。

建物の方は県指定の旧河原家で、 これは文化財として修理をしました。

18世紀の後期に建てられた武士住宅で、 規模も小さいので武家の生活の有様を見せるハウス・ミュージアムとして使っています。

 

   旧河原家の隣りにあります但馬家は、 文化・文政の頃に建った建物です。

これは、 規模が大きいし、 時代も新しいので、 使い易いということで、 市民の方や他から来られた方に床上に上がって使っていただくことにしました。

元の居間ではお茶も飲めるようになっております。

 

   このように、 活用の姿として、 一方の建物はハウス・ミュージアム、 一方の建物は見学や集会などに使うこともできるようになっていて、 二つの家を使い分けております。


4 歴史的資産の活用の事例

画像os113    近代の建築の活用が、 現在一番進んでいるのは、 群馬県の桐生市だろうと思います。

桐生市は1992年に市議会で近代化遺産拠点都市宣言をし、 かつて日本一の絹織物都市として栄えた桐生の歴史的な建物を保存し、 活用していこうということを始めました。

その桐生市にある有鄰館は、 もとはお酒とか醤油を作っていたお宅の土蔵群で、 9棟ございます。

それを市に寄付されました。

写真13は大正7年に建った煉瓦造の蔵ですが、 市の建設部の方が再生設計され、 鉄骨で内部を補強して、 多目的ホールとして使えるようにしました。

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   写真14は室内楽をやっておられるところです。

私が見学に行ったとき、 市の担当の伊藤さんから、 面白いお話を聞きました。

修復するときこの町に住んでおられた彫刻家の掛井五郎さんが、 いろいろ助言をされたんですけれど、 床をモルタルを塗って仕上げるときに、 市の方は目地を切ろうとしたんですね。

建築が専門の方はよくご存じですけれど、 広い面積の壁を塗るときに目地を切らないと必ずひびが入る。

掛井五郎さんはひびが入ってもいいから是非目地を切らないで平らにしてくれとおっしゃった。

そして、 なめたような床ができました。

そこに細かいひびがたくさんあっても、 できてみると気にならないんですね。

ここに入ると「Shall we danse?」じゃないけど、 人間が踊りだしたくなる。

このような床は、 それだけで人に訴える魅力があるとわたしは感じました。

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   町の中にも郊外にも、 鋸屋根の織物工場がたくさんあります。

それらも芸術家のアトリエですとかいろんな活用がされております。

現在も活用の計画がいろいろありますけど、 写真15は、 飯塚機業という織物会社が元の自社工場をショールームに利用したものです。

壁の部分に大谷石を使って、 上の方は木造のトラスを使った鋸屋根です。

あまり手を掛けなくて、 そのままショールームに利用しております。

小屋組を鉄骨で補強をしまして、 下にちょっとネットを張っただけで、 しゃれたショールームと事務室に変貌しております。

 

   土蔵も全国で様々に使われております。

大分県日田市で、 地元で活動されている建築家の楢原浩郎さんが、 フランス料理のレストランに改装された土蔵は、 下から見上げると、 棟木に文政10年に建ったときの墨書があります。

外部は土蔵らしくはありません。

洋風に直してくれと言う所有者側の意向で変わっております。

中は土蔵の魅力をよく生かしており、 2階は梁が低く頭がつかえるものですから、 半分以上は床を外して、 吹き抜けにしまして、 一部をグループ席にしてうまく使っております。

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   今日の会場近くの東大工学部の一号館。

私もここで学びましたけれど、 1995年から96年にかけていわゆる再生工事をしました。

正面はほとんど元の姿を留めておりまして、 窓のサッシが変わった程度でございます。

裏側は少し増築いたしまして、 こちらの方は、 全く新しいカーテンウォールの建物となっております(写真16)。

両方の境の部分の外壁はそのまま残していますので、 ホールや図書室や、 廊下を歩きますと、 元のスクラッチタイルの外壁がいろいろ残っています。

中庭も製図室に使っております。

東大は最近のコンクリート造の建築の最も本格的な再生工事といっていいと思うんですが、 それ以外にもいろいろな例があります。

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   長野県の木曽の開田村では、 木曽で一番大きな本棟造りの民家を、 県指定文化財として修復しました。

この竣工式のお祝いを行うのに、 県の指定文化財だから中を使っちゃ悪いから、 公民館でしようかと言われていたときに、 活用の最初の模範例として是非中で修復のお祝いの宴会をやってくださいというお願いをしたところ実現し、 大変盛大でした。

写真17のようにいかにも昔の婚礼とか法事とかの宴会を再現したような感じでした。

手前の囲炉裏に紋付き袴でお座りの方が、 此の家の御当主です。

 

   現在、 修復・活用が非常に活発になっているのは、 各地における歌舞伎劇場です。

一番有名なのは、 香川県の琴平町の旧金比羅大芝居です。

これは日本に唯一残っている江戸時代に建った芝居小屋で、 天保6年の建築です。

最近では、 熊本県の山鹿市の八千代座、 これは明治43年に建ったもので、 現在重要文化財になって修復をしておりますけれど、 坂東玉三郎が公演をし、 有名になっております。

その他福岡県の飯塚市の嘉穂劇場とかいろいろあります。

 

   長野県の飯田市に歌舞伎舞台兼小学校という面白い建物があります。

歌舞伎劇場を建てようとしたところが、 明治5年に学制が発布になって小学校もつくらなきゃならないということでできました。

3階のようにみえる部分が小学校の教室です。

下の1階と2階の部分が歌舞伎劇場です。

今年の4月に桜の開花に合わせてこけら落としをやりました。


5 我国の保存の歩み

   こういうふうに全国各地で広がりと深みを持って、 歴史的建物と町並みの修復、 活用、 再生が進んで参りましたので、 これからそういうものをどのように考えていったらよいかについて、 私の考え方を少しお話ししたいと思います。

 

   先ず最初に、 日本における民家と町並みの保存の発展について簡単に見てみたいと思います。

1960年頃までは、 民家の保存は公の手ではほとんど行われませんでした。

1945年までは、 重要文化財に―当時は国宝と呼ばれましたが―指定されて保存されているのは、 大阪の吉村家という大きな住宅ひとつだけでした。

この吉村家は、 座敷の付け足しのような形で指定されたと承っております。

 

   私は、 1952年(昭和27年)に大学を卒業しました。

それから10年近くの間は、 民家の調査をやっておりましたが、 その中で保存したいという家は随分ありました。

そのことを県とか国とか住民の方にお話したことはありますが、 実現はいたしませんでした。

今から考えると、 惜しい民家がたくさんございました。

1950年代の半ばに調査しました静岡県の大井川の上流の井川村の民家は、 よく元の姿を残しておりましたし、 生活様式もよく残っておりました。

子供さんが和服を着て、 近代的といってよいものが全くといっていいほど見当たりません。

 

   同じ頃に見た、 滋賀県の長浜の近くの北陸線のすぐ脇にあった民家は、 居間は、 土間に籾を敷いてその上に筵を敷いただけのものでした。

私がそこのおじいさんに「住み心地はいかがですか」と聞くと「これがいいよ。

板の間だったら頭にカンカンくるからこれがいいよ」とおっしゃったのを今でも覚えております。

このような家も全部なくなりました。

 

   沖縄返還前の沖永良部島のいわゆる分棟型、 台所と居住部分が棟分かれになった住宅も訪ねました。

今はこういうものもほとんどなくなりました。

沖永良部島や与論島に行っても、 石垣はなくなり、 屋敷の周囲の木もみんな切られております。

 

   長野県の北の秋山郷の民家は、 壁は茅葺きです。

雪が深いので、 土の代わりに茅で葺いております。

当時ただひとつ残っていた例でした。

 

   こういうような日本の本土、 沖縄の民家だけではなく、 北海道から千島にかけての土着の少数民族でありますアイヌの人々の民家も、 第二次大戦の終わりまでに、 日本政府の同化政策によって元の居住地を去らされたために、 全て失われました。

現在、 博物館や観光地に作られているのは、 伝承や経験に基づいて再建されたものです。

 

   1960年代に入りまして、 ようやく民家を移築するため民家博物館が大阪の服部緑地とか、 川崎市にできまして、 私もこういうところへの移築工事に従事しました。

川崎市の民家園にある重要文化財の佐々木家住宅は、 長野県から移したものですけれど、 現在はいろんな催しものに使われております。

 

   ようやく1966年から、 文化庁が一年に五つの県を選んで民家緊急調査を実施し、 それに基づいて国による民家の組織的な指定保存を始めました。

1975年に文化財保護法の改正によって、 伝統的建造物群保存地区の制度が設けられて、 群としての民家、 すなわち町並みの保存が始まります。


6 再生・活用の歩み

   やがて文化財として単に保存するだけではなくて、 もっと私たちが使えるようにしたい、 みんながもっと親しみたい、 中に入ってお茶を飲んだり、 いろんな会合をやりたいという新しい考えが生まれてきました。

東京の世田谷区の岡本民家園とか次大夫掘の民家園がそういうものの代表的な例だと思います。

 

   そういう体験的な活用と時を同じくして、 1980年代から民家の再生デザイン・再生工事が始まります。

長野県の松本の近くで活躍され、 再生のパイオニアであった降幡廣信さんの仕事は、 再生する前は真っ黒けであった建物が、 再生すると美しくなるということを実物で示されたということが、 大きなの功績だと思います。

 

   降幡さんは、 座敷のような表向きなところは、 そのままの形で残していこう、 しかし台所とか便所とか浴室とかそういうところは、 十分現代的な設備を入れて、 使い易くする。

ただし、 民家の美しさは、 できるだけ残していこうというお考えです。

こういう点に、 降幡さんの再生の大きな特色があると思うんです。


7 これからの保存・再生のあり方

   日本の保存の歴史を辿ってきましたけれども、 これだけ保存・再生が進んできた今日において、 さらに保存・再生を進めてゆくのにどうしたらよいか、 それらを正しく進めてゆくにはどうしたらいいかということが、 私たちのこれからの課題です。

それに関連して、 私が最近松本市と塩尻市で仕事をいたしました時の経験をお話ししたいと思います。

 

   一つは塩尻市で作りました市立の短歌館です。

塩尻市は昔から短歌の盛んなところで、 短歌館を建てたいという市民の希望がありました。

そうだったら本棟造りの民家を利用したらどうかということになって、 方々探しましたところ明治元年に建った非常にいい本棟造りの建物を無償で寄付していただくことができました。

その再生工事は降幡さんにお願いしました。

現在、 市で職員を何人かおかれて、 全国短歌フォーラム、 有名な歌人の方の連続講演や文化講演が催され、 普段はいろんな歌集を揃えた図書室、 短歌会の催し等に使っておられます。

こういうように市で運営され、 催しものもされて、 その一方で市民の方の自主的な短歌会とか、 いろんなサークルの会とかをやられるというのが、 コミュニティとしての歴史的遺産の標準的な使い方だろうと思うんです。

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   しかし、 それ以外にもいろんな可能性があります。

たとえば下諏訪町にありました座繰りの製糸工場は、 一昨年閉鎖するときに、 松本市の司法博物館の構内に移築しました。

私が下諏訪町の現地に行ったときにびっくりしたのは、 平均年齢が82歳という昭和の初めからずっと製糸女工をされた方が、 今でも糸を繰ってらっしゃるのですね。

それで、 はじめの計画では建物と機械を移設するだけだったんですけれど、 私はやっぱりこれは動かせるように移築して、 おばあさん方に是非そこで仕事をやっていただきたいと思いまして、 博物館にお願いし実現しました(写真18)。

先月に蚕糸祭りを2日間やりまして、 そのときは昔製糸工場で働いていたという方も何人か来られて、 是非やってみたいと言って昔を思い出しながらやられました。

若い方も写真のように実習されています。

このように年とった製糸女工の方に機械を操作していただくことは、 見る人にも大変大きな感銘を与えました。

単なる労働という言葉で表せないような何かが感じとれるように私は思いました。

 

   この蚕糸祭りの最後に対談をやりました。

そこにおばあさん達も参加されたのですが、 例えば、 司会した人がおばあさん達に「おばあさん達働いて苦しかった?楽しかった?」と聞くと、 おばあさん方はにこにこ笑いながら、 「楽しかったなんていうことなかんべ」というんですね。

だけど「苦しかった?」と聞くとにこにこ笑っているのですね。

 

   つまり人間が働くということは、 簡単に労働とか楽しいとか苦しいということで言い表せない、 なにかそういうものがある。

高崎から来られた経済の先生がおっしゃっていましたけれども、 高崎も製糸の盛んなところで、 経済史の勉強をしている女子学生がここへ来て体験した時にはショックを受けたというんですね。

大学で習った女工哀史とか、 資本主義の搾取とかなんていうこととは全く違う、 そういう言葉で捉えられないような何かがあるということをここで学んだとおっしゃってました。

 

   それからもう一つ、 松本市の県の森にある旧制松本高校は、 大正9年に建った建物です。

この間私は雨漏りのことで見に行ったんですけども、 左側の講堂で、 松本の素人劇団がこれから演劇週間というのを始めるというので準備をしておりました。

 

   中に入りますと、 大道具の人が演壇に鉄骨でいろんな設備の準備をしておりました。

大道具と言っても半分以上は若い女性です。

これを見まして、 再生といっても私たちはあんまり手を加えることはないんだと、 ある空間とか、 あるいはさっきの有鄰館のような良い床があれば、 後は皆さんが積極的に活用されるんだと、 私はそういうことをしみじみ感じました。

私がこのような経験で感じたことは、 建築家は建物をものとして残せばいいと考えるし、 経済的な効果を考える人は、 再生活用して観光とか、 町おこしに役立てばいいというようにお考えになりますけれども、 やっぱりそういうことだけではだめなんじゃないかと。

建物の保存というのは、 単にものを残したり、 それをいろんな便利な目的に使う、 経済的に効果あるように使うというだけではなくて、 もう一つ、 その建物に対する価値観といいますか、 そういうものもやはり伝えていかなくてはいけない。

単にきれいな再生をするとか、 ものを保存したとかではなくてですね。

そういうようなことによって始めて、 100年も 200年も、 私たちの貴重な歴史的遺産を将来に向かって保存していけるんだというように考えます。

 

   ですから、 これからはそういうような伝えるということ、 製糸女工さんたちが働くということに対してずっと持たれてきた価値観や、 古い家に住まわれた方々の住まいに持たれていた価値観とか、 そういうものを、 人から人へ伝えるということを保存の中で重要視して行かなくてはならないんではないか、 現在私が考えていることはそのことでございます。

 

   以上簡単ではございましたけれども、 私の話を終わらせていただきます。

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