第1回 歴史・文化のまちづくりセミナー
上三角
目次へ 三角印次へ


米国における
近代建築の保存と再生
(要約)

金出ミチル


1 米国の保存の歩み

   アメリカでの保存の今までと、 どのように変化してきているかと、 これからどうなるかを、 色々と建物を見ながらお話ししたいと思います。

画像os101  

   皆様は、 アメリカでの保存というとどのようなことをお考えになるでしょうか。

よく「アメリカは国が新しいから保存するものは無いのでないか」と言われます。

私は意地を張って「そうじゃない」「こういうものがある」とお話しするのです。

例えば皆さんご存じの自由の女神です(写真1)。

これも近年修復されてやっと手先の松明の所まで人が上れるようになりました。

まさに化粧直しが体全体になされたのです。

 

   一番最初の保存はフィラデルフィアの昔の州庁舎です。

塔が大風で倒れた1800年代のはじめに、 昔の様式を模して塔が建て直されています。

今は独立記念館になっています。

 

   このように、 はじめは建国にかかわった建物、 あるいは有名人に関係のある建物、 いわゆる権威の象徴が保存の対象となりました。

 

   フィラデルフィアには、 ウィリアム・ぺンの像が上に乗っている市庁舎もあります。

ペンはペンシルベニア州の創建にかかわった人物で、 この都市では、 長年紳士協定により、 この像より高い建物は建てらませんでした。

 

   ボストンの州庁舎は、 前にボストン・コモンという大きな公園があって、 背後は歴史地区で古い建物がいっぱい並んでいます。

内部は、 見事な鉄で出来た階段が昔のままあります。

 

   ワシントンの国会議事堂は、 よくテレビに出てきますが、 1800年代から増築を繰り返しながら修理されて今でも使われています。

画像os102  

   ニューヨークを見てみましょう。

写真2は昔の税関です。

この場所はワシントンが初代大統領に就任した建物があったところで、 ワシントンの像が建物の前に設けられています。

 

   ウォール街には古い建物がいっぱい並んでいて歴史地区にこそ指定されていませんが、 普段は観光客が集まる場所になってます。

なぜジョージ・ワシントンに注目するかといいますと彼は小学生でも知っている1番の有名人ではないかと思うからです。

 

   このワシントンが将軍として最後の数日間を送った建物は、 既に1907年には復元されました。

古い建物が残っていたわけではなく、 これは当時、 18世紀の建物を想像して造ったのです。

廻りの建物は非常に高く、 それに対してこの建物のある街区だけが低いのは、 この建物が焦点となって、 フランシス・ターヴァン歴史地区に指定されているからです。

 

   ワシントンが年がら年中旅行していたようにも聞こえるのですが、 アメリカ全国には、 ワシントンが宿を取ったといわれる建物が行く所々にあります。

このように、 有名人と関連付けて「はく」をつけるというような保存が初期の段階に多かったわけです。

 

   今、 歴史地区の話がちょっと出てきましたけれども、 チャールストンでは1931年にアメリカ初の歴史地区が指定され、 都市計画上、 歴史的な建物を保っていこうとする条例が出来ました。

はじめは、 市の南部の水際にある裕福な階層の建物群が対象になったのですが、 次第に、 商店街とか政府の建物が建ち並ぶ所まで指定範囲が広がり、 今や、 古い市街地の全域が歴史地区となっています。

画像os103  

   歴史地区といえば思い浮かぶのがボストンのビーコン・ヒル写真3で、 18世紀から19世紀にかけての建物が並び、 かなりきれいに整備されています。

 

   そういうものに対して新しい歴史地区も少しずつ現れています。

 

   例えばシカゴにあるフランク・ロイド・ライトの建物がいっぱい並ぶオークパークという所です。

ここには、 ライトが建築家としての生活を始めてからヨーロッパに逃亡するまで住み、 多くの住宅を造っていました。

さながら自然にできた野外博物館のようです。

ライトのスタジオと家はナショナルトラストにより運営され公開されています。

画像os104  

   写真4は、 有名なユニティ教会です。

こちらもやはり公開されていて見事な内装が保たれています。

 

   また、 もっと新しい考え方の歴史地区として、 世界大戦の前後に建てられた計画的な住宅群、 いわゆる団地があげられます。

まさにクッキーをカッターで切ったように、 同じ様な建物が立ち並ぶ郊外地も、 今では歴史地区に指定されています。

中には当初の姿を土台に、 趣味によってドアが換えられたり、 下屋をかけられたり、 日本式庭園がつけられたりしたというように、 変えられた形のものもありますが、 これらも保存の対象、 研究の対象となっています。


2 再生の歩み

   今までは保存という言葉で括っていたわけですが、 今度は「再生」ということに目を向けたいと思います。

ここでは、 使いやすいように建物に手を加えていくことを再生と呼ぶことにします。

 

   まず建物そのものというよりも、 雰囲気や環境を再生しようという例をご紹介します。

画像os105  

   写真5に示す1800年代のエジプト復興様式の火災保険会社の場合は、 昔の建物の壁面が一枚衝立のように新しい高層ビルの顔、 入口の所に立てられています。

このような形の再生がありました。

これはフィラデルフィア独立記念館の向かいに立っています。

 

   ニューヨークのヴィラード・ハウシスという一大企業家が、 いくつかの住宅を連ねて中庭を中心とした配置の住宅群をつくったのですが、 今はこの中庭をその後ろにあるパラス・ホテルの導入部として使っています。

 

   スキッドモア・オーイングス・アンド・メリルという、 アメリカを代表するモダニズムの設計事務所がつくった1960年代の旧ペプシコーラビルの場合は、 前面の建物の空中権を増築部分に利用して建てております。

正面の建物がカーテンウォールで非常に軽いものであるのに対して、 後ろのは石を張って窓の奥行きを出したり、 そうしながらもその左の所はすらりとしたものを持ってきて、 質感とプロポーションを考えて構想を立てているわけです。

これは今までお話ししたものとは少し趣向が違うものです。

ジェームス・スチュアート・ポルシェックというニューヨークを拠点として活動する建築家が1986年につくりました。

 

   全く違う手法ですが、 クリスチャンサイエンスという宗教団体の本部では、 19世紀末の教会の建物と20世紀初頭の2つの建物を中心として、 1960年代の終わりからIMペイとスコッティという2つの設計事務所が一つの構内で都市計画みたいな試みをしています。

構内の真ん中に池をつくって、 周囲には高層棟や円形の講堂もつくり、 コルビジェの輝ける都市を思わせる空間となっています。

ここは上手く計画されているので、 そこに立つと個々の建物から力を感じるわけです。

実際、 一部にはコルビジェ風の堂々とした建物も建っています。

 

   グリニッジビレッジというニューヨークにある歴史地区は、 昔から芸術家や詩人らが集まって、 非常に豊かな雰囲気が街に感じられます。

そこに、 1986年に建てられた、 実は新築でありながらも周りの環境を考えてデザインされた建物があります。

これもポルシェックの1986年の作品です。

建物の色彩とか大きさ、 出入り口などの部分の意匠や、 通りに面した1階部分に商店があるニューヨークの伝統的な形などに配慮しています。

その下には地下鉄が通っており、 人の行き来の多い所にありますので、 歴史地区の新しい名物ができたと私はこれを見て感じました。

 

   増築という形で新たなものを付け加えることによって、 今までにある建物と相互に力を反響しあいながら、 もっと良いものになるものがあり、 また、 グリニッジビレッジの建物のように、 新築をもって雰囲気や環境を保存することもできる例としてご紹介したつもりです。

 

   次に建物そのものを再生した例をご紹介します。

 

   その中でもウォーターフロント開発ですとか、 複合商業ビルのように昔の大きな建物を利用したものが、 1980年代に多く見られました。

画像os106  

   ワシントンD.C.にはジョージタウンという昔の倉庫が建ち並ぶところがあります。

ここは、 運河沿いにプロムナードが設けられ、 階高が高い倉庫群が、 インテリアのお店とかショールームとかに転用され、 若者達が集まるところとなっています(写真6)。

 

   同じような例はサバンナでも見られます。

ここは綿花取引所があったところですが、 表には赤煉瓦の建物があります。

裏の川沿いに面して倉庫群が立ち並び、 荷物を運ぶための線路がそのまま残されています。

数々の建物は今はレストランとかバーに使われ、 にぎやかな観光客が集まる街、 ファクターズウォークというところになっています。

ディテールの一つ一つを見ると非常に可愛らしく趣のある場所です。


3 新たな保存の対象

   近年になって近過去の保存ということがよく聴かれると思います。

1930年頃に、 クライスラービルとエンパイアステートビルというニューヨークを象徴するビルが高さを競い合って建てられました。

ロビーは見事なものですし、 景観はニューヨークの顔となっています。

また、 夜にはライトアップされ、 さらに素晴らしいものです。

エンパイアステートビルはクリスマスには赤と緑で、 アメリカが221歳になる数日後の7月4日の独立記念日には赤と青と白に彩られるでしょう。

そのように非常に可愛いこともされています。

画像os107  

   写真7はマクドナルドのハンバーガーのお店の初期のもので、 まだ客が座るところのなかった時のドライブ・スルー形式のものです。

ここのポイントとして壁が赤と白の縞であるということ。

これは戦後のある一時期に建てられたもので、 今は博物館となってシカゴ郊外にあります。

中ではお人形さん達がハンバーグを焼いているわけです。

 

   ハンバーグの付き物としてペプシコーラがありますが、 このサインはマンハッタンからイーストリバーを挟んで対岸に見えます。

これが夜になると真っ赤に光り輝きます。

しばらく光がともらない時期がありました。

あるとき、 新聞を読んでいたら、 これは修復中であるという報道が載ってました。

タイムズスクエアでサインを作る会社では(タイムズスクエアは劇場街で、 光り輝くサインで有名です)、 このようなサインを20世紀の初頭から手がけています。

1930年代にこのペプシコーラのサインを作って、 いまだにちゃんと手入れしているので、 今や1つの都市景観になっています。

画像os108  

   1964年、 世界万国博覧会がクイーンズで行われたときにつくられたステンレススティール製の大きな地球儀(写真8)は、 数年前にニューヨークのランドマークとして指定されました。

その時の公聴会はこの敷地に近いところで行われており、 この記念碑に対する市民の思いを公聴会で語らせて、 故にこれはみんなの心に残るようなものであるから保存の対象としようということに決まったわけです。

しかし、 フィリップ・ジョンソンによる同じ博覧会の時のパビリオンの方は荒れ果てるままにされています。

 

   パークアベニューの場合、 例えば、 旧パンナム・ビルディングがあります。

今はメット・ライフという保険会社が所有権を持っていますが、 ある晩『ティファニーで朝食を』を見ていたら、 オードリー・ヘップバーンがシーグラムビルとリーバーハウスがあるこの一角に座っていました。

するとこれらの建物と通りをはさんだところにあるマッキム・ミード・アンド・ホワイトによるテニス&ラケット倶楽部会館をぐるりと見回すようにカメラが回りました。

私はそこですごく驚いたわけです。

1960年代始めに作られた映画で、 その当時はまだ新しい建物が建ち並ぶ景観として写されたものが今となっては歴史的空間となっているわけです。

テニス&ラケット倶楽部会館はもちろん、 先ほどの2つの超高層は戦後でありながらもニューヨークの指定物件になっています。

ニューヨーク市では、 30年以上建った建物を指定物件とする資格があると定めていますので、 比較的新しいものですけれども保存の対象となっています。


4 これからの保存と再生

   アメリカでの保存は最初は、 権力の象徴の保存から始まり、 次は大企業の栄光を保とうという視点だったのですが、 今保存が一巡して庶民の歴史を保存しようと変わってきているわけです。

 

   人が集まる場所、 例えば街の中にはバーや公衆浴場や映画館のようなささやかではありますが、 みんなの思い出がたくさんある場所があります。

そういう場所を大切にしようという動きがあります。

 

   例えば地下鉄です。

ニューヨーク市では1904年に地下鉄が開通しました。

その地下鉄への、 歩道からの入口をキオスクと呼びますが、 一時撤去されたものが、 当初の図面をもとに鋳鉄で復元され、 都市景観の一部となっている例もあります。

 

   また、 戦後のものですが、 例えばこのニューヘーヴェンにあるレコード店のように堂々とした看板やウィンドウを持つ店舗があり、 今でも街の中で多く見られるのです。

 

   さらには、 黒人とかヒスパニックの人、 その他少数派たちが、 今まで白人のエリートたちにより保存が進められてきたために、 見落とされてきた自分たちの文化もどうにか形に残したいということを主張し始めています。

そういう人たちが活発に市民活動をするようになった結果、 注目を浴び文化財指定を受ける建物も出てきています。

 

   人々が愛するものが街から消えるということは、 同時にその歴史も消えてしまうことになるのではないでしょうか。

様々な人々の集まりが、 それぞれの思惑で保存したいと思う気持ちを受け入れながらも、 さらに大きな目で全体を見る目が必要なのではないかと、 国の保存関連機関は打ち出してきています。

 

   これから様々な民族や集団の繋がりをどう位置づけていくか、 また個々の都市間の関係をどのような大きな視点で捉えていくか、 というようなことが問われるようになってきているのです。

上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見は前田裕資

(C) 歴史・文化のまちづくり研究会

歴史・文化のまちづくり研究会ホームページへ

学芸出版社ホームページへ