その46
《営業マンの力仕事》
随分前のことになるが、 藤川が書店の営業について、 その意味を教えられた出来事があった。 それは藤川が、 ある日ある書店を訪問した時のことである。
その書店の人間でない男が、 棚の前に本を山積みにして、 腕組みをして考え込んでいた。 棚から抜き出した大量の本を前に、 どうしてその本を棚に戻そうかと考えているように藤川には見えた。
そこは、 開店間もない書店で、 専門書を扱うのが初めてだった。 藤川は、その書店から「何もわからないのでいろいろと教えて欲しい。」 という連絡があって出掛けていったのである。
藤川は、 その男が誰で何をしているのかと思い近づいた。 するとその男は、学生出版社とは出版物においてライバル出版社であるA社の営業マンS氏だったのだ。
「ご無沙汰してます。 ところで何をしているですか。」
「ああ、藤川さん、お久しぶりです。 ちょっと書店さんに頼まれて、 棚の分類を直しているうちにこんなことに。」と、 Yシャツ一枚で腕まくりをした彼は言った。 いっしょになって作業していたその書店の担当者は、
「ちょっとお願いしたら、 こんな大変なことになっちゃったんですよ。 開店した時、なにがなんだか分からなくて、 適当に陳列してたんですけど、 Sさんがこの棚を見て、 これじゃあ売れないっておっしゃるもので、 それで陳列を変えていたらこういう状況になってしまったんですよ。 棚に入れなきゃいけない本とかそういうのがなくて、売れない本がたくさんあるってSさんは言うんですけど。」 とすまなさそうに頭をかいていた。 しかしすでに作業はかなり進んでおり、 手伝うとよけいややこしくなるなと思った藤川は、 棚の管理についてすこしだけアドバイスをして、すべてを彼に任せてその書店を出た。
1点でも平積みを増やしたい、 自社の売上が上がれば他社はどうでもいい、 と目の色を変えて書店を回っている営業マンがいる。 書店の平台や商品の構成なんかおかまいなしに自社の商品だけを展示させているところがある。 こういうのを出版営業では 「突っ込み」 というのだが、 とりあえず商品を書店に入れてしまうやり方である。 と思えば、 彼のように、 少しでも書店の棚がお客に買いやすくなるように、 自ら汗して本と格闘している営業マンもいる。 時として、自社の利益だけを考えがちになるが、 長い目で見れば、 書店が伸びれば出版社の売上も伸びるという極めて当たり前であるが、 実行できない地味な作業を彼はしていたのだ。
その後、 彼はその出版社の社長に抜擢されたのだが、書店への訪問は止めていないようだ。 藤川は、書店は学校だと思っている。 売れる本、 売れない本、 どんな企画が売れるのか、 どんな本を読者が求めているのか、 そんなことを教えてくれる学校であると思っている。 だからこそ、 出版社と書店はその販売において協同作業をしなければならないと思っている。 出版社のエゴは良い結果を生まないと信じている。
藤川はこのときの書店のシーンの中から、 多くのことを学んだと思っている。
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