その41

《僕がかつて読んだ本》

 「新刊の洪水」 という言葉は、 よく使われる言葉である。 そして本当に洪水のごとく新刊は書店に押し寄せている。 新刊は、 限られた書店の棚で渦巻き消えて行く。 新刊が売れる、 新刊しか売れないという循環が、 やがてかつて多くの読者に支持された本までも消し去るようになっていく。

 猿山は、 犬猫堂の閉店後、 誰もいなくなった店の棚をしみじみとした気持ちでみつめていた。
 本が次々と発売される。 そしてそれらが売れて行く。 その利益で犬猫堂の我々はメシを食っている。 なにかの原因で新刊が全く発売されなくなったとしたら、 我々のような規模の書店はどうなるんだろう。
「僕が、 かつて読んだ本はどこにあるんだろう。 文庫になったのか、 いやいや絶版か。」
猿山は、 棚の前でひとりごとを言った。
「僕がかつて読んだ本は、 もう商品としての価値を失ってしまったのだろうか。 僕が言うところの売れる本と、 若い人達の言う売れる本というのは全く違っていて、 そしてそうした読者が年令を重ねて、 書店の売れ筋を左右するような存在になる。 その時、 彼らもまた、 かつて読んだ本がない、 と言うのだろうか。」

 猿山は少し頭が混乱していた。 本という商品を売り、 利益を上げるということが、 消費サイクルを早めることで、 さらに利益を増すことができるのかどうか、 猿山にはわからなくなっていた。 今売れているベストセラーが一年も経てば商品価値を一気に失う商品であることは最近の例を見れば明らかだ。 本が何年もの間、 刷りを重ねることによって生きのび、 刷りを重ねることによって出版社や書店が利益を得ることが出来る仕組みが変質しつつあることは、 かつて猿山が読んだ本が棚にないことを見れば明らかだ。
 短期間にマスで売れる商品に群がる読者がターゲットであり、 またテレビや他のメディアから流される情報によって作られた本が書店の主力商品であり、 新刊こそが売れる商品であり、 それらを売ることでしか書店という商売が成り立たないのであれば、 書店の棚は、 車窓の風景のように日々更新されるものにならざるを得ないだろう。
猿山は、 犬猫堂のお客さんにこっそりと伝えたと思う。
「またいずれ買おうなんて思うと本は手に入らなくなるよ。 欲しいと思ったら本はすぐに買わなければならない。 だって、 すぐに絶版になるから。」

 本に書かれていることの価値が、 消費されるものへと変貌しつつあること、 売れるということが最大の価値であり、 売れないものはすぐさま消去するという在り方、 そんなことが本という商品について起きているのだな、 と猿山は思う。
「それにしても、 僕が読んだ本、 ほんとうにどこへ行っちゃったんだろう。 」
 猿山は、 店の明かりをすべて落とし、 店のドア鍵を掛け店を出た。

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