その3

《売れちゃったんですう》

 学生出版社の藤川は、 犬猫堂のヒナちゃんには、 ホトホト困っている。 ヒナちゃんは山田ヒナといって、 女子大を卒業して一流企業に就職しようとしたのだけど失敗して、 この町に戻って来た。 そのときアルバイト情報紙で犬猫堂の募集を知り採用されたのである。 犬田が彼女を採用した理由は、名前が気に入ったということだ。 それは、動物に関連する彼女の名前がなんとなくラッキーだと思ったからだ。 女子便所事件を起こした寅の採用を決めたのも同じ理由によるのである。 で、 そのヒナちゃんのことだが、

藤川が、 自社の出版物の売れ行きを尋ねると、
「売れちゃったんです。」 と言う。
「で補充は。」 と藤川が尋ねると
「追加しても売れ残ると困るから、 補充はしないんです。」 と言うのだ。

藤川はそのときこう思った。
 新刊が3冊入荷してそれが全部売れた。 それも委託期限が切れる直前に。 これはある意味でハッピーだ。 委託期限が来れば返品しなくてはならないのだけど、 その前に在庫がゼロになったわけだから返品率ゼロ、 完売。 ヒナちゃんはこれで満足しているようだけど、 もう1冊仕入れて4冊目を売るという発想はダメなんだろうか。 4冊目は注文品で、 売れ残ると返品できなくなるかもしれない。 でも4冊売れれば売上は上がるのだけどなぁと。
 出版社に勤める藤川から言えば、 3000部作った本が全部売れたとすると、 全部売れたからこれでいいや、 あと1000部作って、 もし残ったら損だし、 とは考えないのが普通の考え方だ。 1000部作った本が300部余ったとしても製本所も印刷所も引き取ってはくれない。 でも3000部が4000部になることを期待して、いや4000部になると自信をもって増刷するのである。 ものを売るということはそういうことである。 勿論限界点はある。 でも売れているものをリスクを優先して仕入れをストップするということは、 販売の幅を自ら小さくすることではないだろうかと思うのだ。

 でも、 ヒナちゃんはアルバイトだし、 そこまで要求するのは無理なんだろうな、 と藤川は諦めていた。

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