日本の都市環境デザイン
阪神・淡路大震災と都市環境デザイン
4・1 震災によって見えてきたもの
4・1・1 富島:わすれるな! 淡路島〜路地のまち〈柴田祐〉
- 富島市街地 海岸線をはしる幹線道路から山にむかって多くの路地が広がる。
- ○震災後も変わらない海と富島港
- ○地震の傷跡の残る神社の境内
- ○更地の中に路地の痕跡
- ○震災直後の崩壊したまちとは対照的にいつも通り田植えされた棚田が広がる高台
- かつてのまちの雰囲気を残すには…
4・1・2 新開地:痕跡からの再生〈大槻洋二〉
- ○歓楽街時代の新開地
- ○大規模な興業施設類と小規模商店が共存する新開地
- ○湊川公園に立つ神戸タワー
- ○新開地の坂 かなり急な坂になっている。 この坂の上がかつての湊川で、 両岸は松林であった。
- ○空き地に残る細街路 このような細街路が、 不整形な新開地の土地の隅々までに血を通わせていた。
- ○現在の湊川公園 公園の部分は土手が完全に残っており、 かなり高い台地になっている。
4・1・3 湊川:生き続ける下町らしさ〈沈載明〉
- ○建て混んだ湊川の町(震災前)
- ○下町情緒を残しながら眠り続けていた町(震災前)
- ○震災は多くのものを奪った。 だんだん更地が広がっていく
- ○新しく生まれ変わる所とまだまだ下町のスタイルを保つ所の間に、 今も市場はコミュニティの場として活気にあふれる町のオアシスであり続ける
- ○路地に面して建つ住宅は、 震災後も下町のスタイルを保つ
4・1・4 南京町:賑わいはまちの生命力〈橋本英樹〉
- ○ストリートのにぎわい〜屋台を囲んで(震災前)
- ○にぎやかな店先空間の演出(震災前)
- ○子役・のパフォーマンス(震災前)
- ○春節祭〜南京町広場のにぎわい(震災後)
- ○春節祭〜路上の屋台(震災後)
4・1・5 北野町:「まち」の再活性化の課題〈野田寛志〉
- ○期待感を起こさせない坂道(旧サッスーン邸前)
- ○北野らしい情緒のある坂道(ホワイトハウス横)
- ○北野通(震災前)
- ○北野通(震災後)
- ○若松邸前
- ○北野坂ファミリア前ゴミ置き場(?)
4・1・6 都賀川:刻み始めた生活の時間〈高岡伸一〉
- ○山と海をつなぐ都賀川
- ○テント村の居間
- ○放置されたままのマンションが残る
- ○遊びの水が震災後の生活を支えた
- ○公園のパーゴラを利用した住いからあふれでた生活用品
- ○対岸のスーパーは元どおりの日常
4・1・7 御影・本山:風景から消えたまちで続く生活〈東坂有吾〉
- ○御影公会堂(現状)
- ○石屋川沿い緑地のテント村(現状)
- ○国道2号線・本山附近(現状)
- ○森南・赤鳥居附近(現状)
- ○本山センター街(直後)
- ○本山センター街(現状)
4・1・8 芦屋:お店の再建からはじまる暮らし〈藤本千絵〉
- ○芦屋にはおしゃれなお店が多い
- ○95.9.9に行われた復興ふれあい祭り
- ○三八商店街にも仮設店舗が増えてきた
- ○三八商店街組合長の息子さんが各仮設店舗に飾る風見を創作中
- ○たこやき屋の風見たこ
- ○食事処かっぱの風見かっぱ
- ○魔女(?)の宅急便を扱っている金物屋の風見魔女(ちゃんとほうきに乗っている)
4・1・9 西宮北口:緊急時の助け合い〈益岡了〉
- ○8月現在の北口商店街 仮設店舗や露店が並び賑わいが戻りつつある。
- ○高木小学校区内の民家の井戸 このような個人の所有する井戸が、 震災直後大いに役立った。
- ○解体される駅前の商店 被害の大きかった商店は解体せざるを得なかった。
- ○高木小学校区内の河川 井戸と比較すると、 住民が利用したという報告は少なかった。
- ○駅前に立った仮設店舗 解体・整地後、 多くの商店が仮設店舗での営業を再開した。
4・3 「震災復興市民まちづくり」で見えてきたこと〈小林郁雄〉
- 図1 鷹取商店街のイメージスケッチ
- 図2 戦前長屋街区改善構想
- 図3 80年の戦前長屋率
- 図4 阪神大震災による街区別被災現況図
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