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マスタープランと地区環境整備


はじめに



序―本書の意図と構成

 '92年6月に都市計画法・建築基準法が改正され、住機能の保護を主目的として用途地域が従来の8種から12種へと細分化されたことと並んで、都市計画マスタープラン(法では「市町村の都市計画に関する基本的な方針」という)の策定が、都市計画区域をもつ1952の市町村('94年3月現在)の責務とされた。
 都市計画マスタープランは、都市計画法('68年に全面改正)に基づく「整備、開発又は保全の方針」(以下、整開保の方針と略記する)、地方自治法('69年に一部改正)に基づく「市町村の建設に関する基本構想」(以下、単に基本構想と記す)、国土利用計画法('74年制定)に基づく「市町村土地利用計画」の、それぞれに「即す」ことを要件としながら、次のような特徴をもつものと捉えられる。
1)整開保の方針が都道府県決定であるのに対して、都市計画マスタープランは市町村が決定する都市計画である。
 このように、決定主体を異にするふたつのマスタープラン('80年以降、整開保の方針にはマスタープラン的機能が期待されていた)と、その達成手法である用途地域等(法律上、原則としては市町村決定であるが、大都市地域等では都道府県の意向が入る)と地区計画等(市町村決定)との関係は、「2層2段」の関係として説明されており、整開保の方針は法定計画であるのに対して、都市計画マスタープランは法に拠る計画ではあるが、手続きとして都市計画決定を要さないこと、さらに、計画期間は前者が10年、後者が20年とされている等の相違点をもつ。
2)都市計画マスタープランでは、市町村全域を対象とした「全体構想」と合わせて、「地域別構想」の策定が重視されている。両者は当然のことながら、フィード・バックを繰り返しながら最終の形に至るものとされており、地域別構想は、「既成市街地の住宅地にあっては、一ないし数個の小学校区程度の広がりを目安とする」等、適切なまとまりで策定されるべきものと解説されている(鍵括弧内は、'93年6月25日付建設省都市局長通達、「市町村の都市計画に関する基本的な方針について」による。以下同じ)。
3)都市計画マスタープランの立案に際しては、「公聴会、説明会の開催、広報紙やパンフレットの活用、アンケートの実施等を適宜行うもの」とされ、さまざまな住民参加が図られるものとされる一方、決定に際しては「市町村審議会の議を経る」こと、成果の公表については「庁舎への図書の備付け及び閲覧、積極的な広報の実施、概要パンフレットの作成・配布」等により遅滞なく行われるよう指示されている。
4)さらに上記通達では、「都市の物的な側面のみを静的に捉えるべきものではなく、生活像、産業構造、自然的環境等について、現状及び動向を勘案して目標とすべき将来ビジョンを明確化すること」や、「美しい街並みの形成、環境負荷の小さな都市形成、まちづくりにおける高齢者・弱者等への配慮、都心周辺部における居住空間の確保等……今後経済社会の変化に応じ新たに取り組むことが必要となる都市計画課題についても積極的に取り組む」等、一昔前の都市計画図書には見掛けなかった言葉も登場する高度な内容の指示がなされている。
 これら指示に応えることは、必ずしも容易なことではない。確かに数少ない先進自治体の経験をつなぎ合わせれば、通達に近い内容の都市計画マスタープランをイメージすることはできる。しかし、この場合の先進自治体は、大都市地域に偏在して、地方の中心都市、中小都市には例を捜すことが難しい。つまり、市町村のマスタープラン策定に向けての蓄積、スタッフの計画能力、住民の参加能力には、都市間で大きな開きがある。たとえば東京都区部、政令指定都市、その周辺のある程度人口集積のある都市は、生活環境を把握するための図集やカルテの作成、部門別マスタープランの策定、総合計画や都市整備方針の中での地区別計画の立案等、すでにかなりの蓄積を有しているが、地方都市では県庁所在都市クラスでさえも、都市計画の事業能力はともかくとして計画能力となるとやや不足している都市も多く、中小都市に至っては都市計画基礎調査(いわゆる6条調査)による実態把握さえ的確になされていない都市が多い。これらの都市の都市計画マスタープランづくりは、実態把握とその分析から始めなければならない。


 このような状況を踏まえて、本書はふたつのねらいを有している。
 ひとつは、'60年代以降の都市計画マスタープランへ向けた展開の全過程を語ることである。都市計画マスタープランに関しては、従来その法的位置づけの曖昧さもあって、いままでマスタープランの断片を扱う文献はあっても、その展開過程全体を伝える通史的な文献は存在しなかった。本書は、わが国の都市化(市街地の拡大と生活形態の都市的変容)が顕著なものとなった'60年代以降、やがて「都市化社会」から「都市型社会」への移行が定説化され、都市計画の課題も、市街地の拡大の整序から、経済・社会状況の大きな変化と同時進行する市街地の内部変容への計画的対応が主題となった'80年頃を経て現在に至るまでの、都市計画マスタープランを志向したさまざまな計画の立案・検討の系譜を明らかにすることである。ここでいう都市計画マスタープランとは、都市の全体像の問題と合わせて、地区環境整備の問題も重要な対象として扱っていることを付記しておきたい。
 もうひとつは、'92年法に基づく都市計画マスタープランの策定作業に、できるならば、示唆を与えることである。同法による都市計画マスタープラン策定の市町村への義務づけは、それまでにマスタープランへ向けた積み重ねのあった自治体にはとりまとめの契機を、蓄積のない自治体に対しても立案の歩みを加速させるものと思える。
 前述したように、通達で示された内容は、多くの自治体にとってはかなり高度な要求ではあるが、大都市地域を中心に先進例を捜すことはさほど困難ではない。本書では、'92年の法改正に至るまでの、マスタープランを志向した先進的試みを紹介するが、これは、これら試みの単なる模倣を期待しているからではない。これから始める都市計画マスタープランの策定作業を、過去のプランの延長上に位置づける考え方は、ある意味では容易である。能力等の、現時点の策定上の問題点は、時間が解決してくれるかも知れない。
 一方では、地方分権の潮流がある。21世紀へ向けた都市計画法の大改定も、その議論が始まっていると聞く。このような状況の中で、これから策定されるプランを、過去のプランの単なる延長上に位置づけるか、むしろある部分で断絶したものと捉えるか、極めて重要な岐路であるように思う。数少ない自治体で動き始めている、独自の「まちづくり条例」に基づくマスタープランは、後者の立場である。いずれにしても、今後の状況把握と、市町村の独自の地域性に立脚した、「新しい型の都市計画マスタープラン」が、さまざまに模索されることが重要であろう。

 本書は、次の6章から成っている。

 第1章「'68年法以前のマスタープランの模索」は、'50年代中頃から'68年法成立までを中心に扱っている。この時期には、一部の都市に再開発マスタープランの策定を促した耐火建築促進法('52)、全国いたるところで行われた町村合併に際しての条件をまとめた新市町村建設計画の策定を促すことになる新市町村建設促進法('57)、首都圏整備法('56)、池田内閣の下での国民所得倍増計画('60)とそれを空間的に展開した全国総合開発計画('62)、全国総合開発計画のkey概念である拠点開発を導くための新産業都市建設促進法('62)等が制定されている。
 '68年法制定以前の法的な裏付けをもつマスタープランと呼べるものは、首都圏基本計画や新産業都市建設基本計画など、大都市圏あるいは地方広域圏を対象としたスケールのものであった。マスタープランは、これら上位計画から固められてきたといえよう。市町村スケールでマスタープラン的なものを志向した試みは、制度体系に対してマスタープランの必要性を訴えることはあっても、そしてこの点は重要なことだと考えるが、その速効性・実効性という点では、ほとんど評価できないものであった。プランナーによる提案もアーキテクトによる提案も、この点ではほぼ同じであった。
 マスタープランと呼べる内容と法的裏づけをもったプランづくりが可能となるには、'92年の都市計画法改正までの長い時間を必要とした。
 第2章「'68年法とマスタープラン」では、整開保の方針の登場と、その後の内容の充実を軸に話が進む。'68年の都市計画法の改正は、すでに'50年代から用意されていた、耐火建築促進法('52)・土地区画整理事業法('54)に加えて、'60年代に制定された住宅地区改良法('60)・宅地造成等規制法('61)など個別に制定された事業法を体系化する役割をもつものであった。そして改正法により登場した整開保の方針もひとつの契機となって、地方自治法の一部改正('69)によって基本構想の議会による議決が制度化され、国土利用計画法の制定('74)も加わって、マスタープラン(的なもの)に係る計画制度のぼんやりとした体系が出揃ってくる。
 改正都市計画法による「整開保の方針」と、改正地方自治法による「基本構想」は、前者は物的側面から、後者はこれに経済社会的側面や行財政的側面を加えて、都市の将来像を描くものとされている。「整開保の方針」について言えば、'80年から将来の土地利用構想を示す附図を付けるよう指示され、これがマスタープランとして機能するよう位置づけられたが、同方針策定のエネルギーのほとんどは区域区分(線引き)関連の作業に費やされてしまって、多くの都市でつくられた附図は、法定都市計画図を若干模式化して、つまり、都市計画街路の中でも幹線的なもので道路網を組み、土地利用について言えば、住居系用途地域適用地区を住宅用地に、商業系用途地域適用地区を商業用地といった具合に読み替え、それにわずかな説明文を加えた程度のものが多く、残念ながらマスタープランには遠いものであった。最初の区域区分(線引き)は、担当する都道府県のスタッフにとっては大変な作業であったし、土地所有者である農業者にとっては、大きな決断を要するものであった。
 '70年度末までの最初の線引きが終えた直後に、「10年以内に優先的かつ計画的に市街化を図るべき」(法第7条)とする市街化区域の考え方を受けて、いくつかの先進自治体は、同区域の整備に関するスタディを始めた。これは、検討の対象が道路・公園等の公共施設中心ではあったが、第3章で扱うミクロな地区環境整備へ向けたアプローチの第一歩と言えるものであった。やがて、整開保の方針の不十分さを補う形で、また、都市計画区域内で行われる個別事業の計画性と異種事業との整合性を部門別に図ることを目的として、さまざまな部門別マスタープランが登場することとなる。みどりのマスタープラン('76)、市街地整備基本計画('77)、都市再開発方針('80)などである。10年程遅れて、住宅マスタープランもこの流れに加わることとなる。
 第3章「ミクロな地区環境整備への志向」では、'70〜'80年代の地区(居住)環境整備を見つめたアプローチが扱われる。
 '60年代は、開発志向の時期であった。開発に一定の秩序を与えるべく、やや遅きに失する感もあるが改正都市計画法が登場した。開発志向の潮流の中でも、それに棹さすいくつかの制度が生まれた。古都保存法('66)、首都圏近郊緑地保全法('66)、公害対策基本法('67)、騒音規制法・大気汚染防止法('68)、自然環境保全法('72)、都市緑地保全法('73)等である。しかし、高度成長の荒々しい進展の過程で、都市・地区(居住)環境はますます悪化し、それへの本格的な取り組みの必要性を多くの人びとに認識させるに至った。石油危機('73)の到来は、このような認識をさらに強固なものとし、危機による一時的な経済活動の縮小や、これを前後しての都市への人口流入の量とスピードの鈍化は、地区(居住)環境整備への取り組みの進展に加担するものであった。まず、居住環境の検査・診断(生活環境図集やコミュニティ・カルテづくり)が多くの自治体で始められ、次いでモデル地区を対象としたスタディに続いて、居住環境問題の一番集積している低層木造密集市街地や住工混在市街地を具体的にとりあげ再整備の検討が行われ、それを支援するための事業が次々と創設された。過密住宅地区更新事業('76)、住環境整備モデル事業('78)など多くの例がある。やがてあらゆるタイプの市街地の地区環境整備問題に対応すべく、地域地区に拠る一般規制によって要求されるよりも高い質の環境を求める、市町村決定の地区計画制度('80)が発足する。この制度は、'80年代後半から'90年代に至って、用途別容積型地区計画('90)、誘導容積に関わる地区計画('92)、容積の適正配分に関わる地区計画('92)、市街化調整区域における地区計画('92)などさまざまなバリエーションを生み出すと同時に、制度発足当初は考えなかった規制緩和(たとえば住居系地域の商業系地域への見直し、同系で高容積地区への見直し、市街化区域への編入)を伴う計画事例を多発させることとなる。緩和を行い、緩和し過ぎに対して一定の枠を課すという考え方である。
 一方、地区計画制度が発足した'80年を前後する頃から、市町村の基本計画の中で、地区別計画が検討される例が見られるようになり、地区別計画の方針に従って地区計画を決定するという図式が模索され始める。
 第4章「都市構造の再編と住宅政策との連携―'80年代の都市計画」では、中曽根内閣('82〜'87)が成立し、建設省の「規制緩和等による都市開発の促進方策」('83)や、自治省の宅地開発指導要綱の行き過ぎに対する通達が出された頃から、バブル経済期を経て、バブル経済の崩壊('91)、都市計画法の改正('92)までの時期を扱う。
 中曽根内閣成立直前の'80年には、政令で定める都市に対する都市再開発方針の策定が制度化されたが、これはますます活性化すべき再開発に一定の秩序を与え、都市構造の再編に向けた方向付けを狙ったものであった。一方、既成市街地内には産業構造の再編の過程で空地化する工場用地、港湾施設用地、旧国鉄用地などの大規模跡地が続出することとなり、これら用地の開発には、マスタープランの不明確なままかけられた用途地域制の硬直性や、用途地域制との二重構造下にある地区計画の限界性が問題となり、開発を手掛ける民間企業と公的機関との協議を特徴的な柱とする、再開発地区計画制度('88)が成立することとなる。
 バブル経済期は、都市、なかでも大都市都心に集積する事務所機能が居住機能を駆遂し、極端な夜間人口の減少やそれによる既存コミュニティの崩壊が問題となり、「都心居住」論や「都市型住宅」論が大きく展開した時期でもある。都心部の人口減のスピードは、バブルの崩壊で弱められるが、その過程で大都市地域では、住宅マスタープランの策定が広まることとなる。
 第5章「都市計画マスタープランへ向けた先進自治体の試み」では、'92年の法改正に先立って展開された、いくつかの先進自治体のマスタープラン的なものへ向けた試みについて概観する。
 言うまでもなく、'92年の法改正による都市計画マスタープランの内容・形式は、突然登場した訳ではなく、先行する先進自治体のさまざまな試みの上に立つものであった。たとえば、市町村総合計画(基本計画)の中で当該都市の全体像や地区別計画を描くことで基本計画と都市計画との連携を図る努力、基本計画とは別に、都市整備方針あるいはそれと類似した名称のつけられたマスタープラン的なものを策定することで整開保の方針の不十分さを埋めようとする試み、さまざまな部門別マスタープランの立案、それらのベースとして必要な、都市環境の実態を把握し評価するための、生活環境図集・地区カルテ・地区白書の作成等である。
 また、都市計画法の枠組みとは離れて、独自のまちづくり条例を軸に、条例の中で都市計画マスタープランを位置づけようとする動きも始まっており、多くの関心を集めている昨今である。
 第6章「'92年法にみる都市計画マスタープラン」では、主として'68年法制定以降の都市計画システムの変遷の中での都市計画マスタープランの位置づけ、その内容・役割・充たすべき条件を確認したうえで、プランの策定状況を概観し、プラン策定の基本的捉え方や、関連計画との連携の捉え方、コンサルタントや研究者等プランづくりに係るものの心得等の、都市計画マスタープラン策定上の留意点の中間総括を行い、巻を閉じる。
 都市計画マスタープランの策定が市町村に義務づけられてから、早いもので既に5年以上が経過している。この間に、既にマスタープランを策定した市町村もあり、現在策定中の市町村、これから討論が開始される市町村等さまざまである。各々の市町村が行う、その地域特性や、重視すべき計画課題や、都市計画・基本計画のいままでの経緯を的確に踏まえたプランづくりに、本書が多少なりとも道しるべの役を果たせればと願っている次第である。

1998年3月

森村道美

学芸出版社/gakugei

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