はじめに

 

 

 東京都知事であった美濃部亮吉氏は道路計画(池袋周辺の放射道路)について、「一人の住民が反対してもこの道路を通すことはできない」と述べた。私が住民参加を意識したのはこの時だった。従来まで、道路をはじめとする様々な公共施設の計画は、行政が考え、それを実施することが常識で、その長である都知事が道路整備を推進するために住民を説得することはあっても、住民の意思をここまで尊重することはなかった。
 当時、昭和40年代から50年代にかけて、高度成長経済のもとで様々な形で産業社会のほころびが顕在化し、道路にあっても自動車の急速な増加により、公害・交通事故・慢性的な渋滞など問題が噴出していた。道路計画についても反対運動が各地で起こり、そのため道路建設が遅れるという状況にあった。そのため、幹線道路を通すために住民をいかに説得するかが課題だったのである。
 当時の住民運動は、日照権を守るためのマンション建設反対運動や、ゴミ処理場や幹線道路など迷惑施設への反対運動など、環境の質の低下を恐れての住民運動が多かった。したがって、つくるか否かだけが問題にされがちだった。また建設側においても、質の高い道路をつくるために住民の意見を聞くといった方法はなかった。当時の都市計画でも、ある期間、計画を住民に公表(縦覧)して意見を取り入れるという手順はとっていたが、住民の意見を計画に生かすにはほど遠い形式的なものに留まっていた。
 そういう時代における美濃部亮吉氏の先ほどの発言だったのである。
 その後、都市計画においても、都市計画マスタープラン作成時における住民意見の反映が強調され、曲がりなりにも住民参加の工夫がなされるようになり、より質を高めるための住民参加が徐々に定着し始めてきている。特に公園づくりや身近な施設づくりにおいては、住民参加が交通計画やみちづくりより一歩進んで行われてきた。
 またアメリカの交通における住民参加の状況を見ても、例えばポートランドでは都市環境をよくするためにLRTを導入すべきかどうかで市民の投票が行われた。またボルダーやロサンジェルスなど全米各地では地域活性化(リバブル・コミュニティ、いきいきさせる地域づくり)にあたって、地域づくりとともに交通広場づくり、駅の建て替え、地域にあったバスの戦略的な運行の確保、交通静穏化などが住民参加で進められ、一定の効果を上げている。
 このように欧米や日本の状況を見渡すと、おそらく21世紀のまちづくりは住民参加なしに進むとは考えられない。
 では、本書のテーマであり、これからのわが国のみちづくりの主要な課題の一つである生活道路の環境改善についてはどうだろうか。
 確かに、道路行政において注目されているアメリカのパブリック・インボルブメント(PI)は、規模の大きい基盤整備における住民参加を指しており、生活道路とは別物である。しかし、都市の基盤整備は、その規模の大小にかかわらず、住民に対して計画や事業内容の説明を行い、住民の疑問に答え、計画や事業計画を修正するプロセスについては、ほとんど変わらない。まして住民にもっとも身近な道路である。このような場面でこそ、住民参加の持つ意味は大きいのではないだろうか。
 そこで筆者達は、地区内の道路で、住民の意向をできる限り反映させた質の高い歩行空間整備を実現したいと考え、今回対象とした藤沢市湘南台で3年にわたり取り組んできた。本書はその成果を踏まえ、身近な生活道路を対象とした住民参加の取組みの一部始終を読者に提供し、住民参加によるみちづくりの進め方を学んでいただくために書いたものである。
 行政やコンサルタントの方がいきなり住民参加方式を取り入れても、基本を押さえない限り、途中で頓挫したり、誤った方針で進めたり、あるいは役所が単年度の予算を見通しなくとってしまったために参加に無理が生ずるなど、様々な問題が発生する可能性がある。
 経験から言えば、特に行政の方には半年から1年程度の住民参加の「準備期間」をとることをお勧めしたい。その場合、机上で考えるだけでなく、実際に住民参加による会合を5、6回試行的に開催して当日の住民参加に必要な企画と道具を準備すること、司会役のファシリテーターを経験し運営のノウハウを蓄積すること、参加していない住民に対する広報を発行することなどを、経験から学ぶことである。
 本書はこのような実際的なノウハウを、これから住民参加による取組みを始める学生・行政・コンサルタント・住民の方々向けに書いた住民参加の参考書である。具体的な事例を中心にどのように進めればよいかを経験的に示し、住民参加の運営上の基本を説いた「みちづくり」では初めての入門書と言える。
 本書の構成は以下の通りである。
 序章では、みちづくりのはじまりから現在までの歴史、交通事故と安全対策とみちづくりの計画、バリアフリーデザインや住民参加の考え方を示した。
 1章は、湘南台でまちづくりが歩んだ道のりと、まちを変えるきっかけとなったバリアフリーへの取組みについて示した。
 2章では、「住民参加の実践から成果」までを取り扱っている。特に住民参加への取組みが市職員の勉強から始まったこと。そして交通安全総点検により住民参加の実践(ワークショップ)を通して約1年で参加の一連の流れを学んだことを紹介した。総点検では子供・障害者・高齢者の視点で点検を行ったが、このワークショップで行政の担当者が成長し、運営のノウハウが蓄積できたことがポイントであった。
 3章では、1年間の練習を終えた後に取り組んだ、湘南台二丁目を対象としたワークショップの実際について、ワークショップのはじまりから、住民による主体的活動、専門的な技術支援までを取り扱った。
 4章は、ワークショップによって何ができたか、また湘南台の歩行空間がどのように変わったか、を示したものである。
 なお、ワークショップを進める場合、上手くいくことはむしろ少なく、運営方法をはじめとする様々な問題に振り回されることが多い。そこで、5章は、住民参加で直面するこういった住民・行政・専門家の各々の悩みや戸惑いを中心に書き綴った。
 また本書は2000年夏ごろ、ワークショップがまだ行われている時点で書き始めたものである。そのため、ワークショップ終盤で最大の課題となった計画をいつどこで決めるかについて、5章までに触れることができなかったので、6章で計画決定の過程を最初に紹介することにした。ここでは計画決定に向けて再び議論を盛り上げてゆくために行った様々な工夫が重要である。とりわけ自由な時間に訪れ自由に意見が言えるオープンワークショップでは、今までのワークショップに参加できなかった人の参加も得られた。
 このような一連の湘南台での試みを踏まえ、最後に、これから住民参加方式で行っていくための提案をまとめ、また避けて通れない課題を示しておいた。
 住民参加による取組みを3年間も継続できたのは、様々な住民の参加者や行政の方々、コンサルタントをはじめとする外部の参加者との公私の交わりによるところが大きい。また、ワークショップの途中、1999年5月にはシンポジウム開催し、7月のNHKの金曜フォーラムで放送されるなど励みとなるイベントにも支えられた。
 なお、本書は藤沢市の担当者の方々、住民の方々、そして、ボランティアで住民参加を継続したコンサルタントの方々や大学の研究者・学生など、多くの方々の協力によってできたものである。紙面を借りてお礼を申し上げたい。
 

 


学芸出版社

 

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