『身体運動の基礎』 はしがき



はしがき

 体育の先生や体育の先生になろうとされる人々、スポーツの指導者、肢体不自由者に対するリハビリテーションに当られる人々、看護の仕事をされている人々が、身体の運動器官についての基本的な知識をより確実なものにされる為に、また、人間工学等身体の動作に関連した研究をされている方で医学の専門家でない方々に役立ててもらえることを念じて、この小書を送る。
 私は、大学に保健体育という教科がはじめて正課としてとりあげられたときに、体育の授業を全く受けなかったにもかかわらず、その仕事にあたることになり、かなり苦労した経験をもっている。新任の若い先生方の学生時代のノートを借りて勉強したり、医学部の学生の中に入って講義を聞いたり、解剖をさせてもらったりしたものである。そのうちに、人間の健康を目指すこの仕事の尊さがわかり、以来25年非常な喜びをもってこの仕事を続けてきた。特に実際の運動・スポーツの指導に、直接的な関連のある身体運動学(キネシオロジー)に大きい興味をもつようになった。
 身体運動学は、理論と実技の結びつきである。体育運動やスポーツの指導は、合理的な身体活動を通じてはじめて本当の成果をあげ得るものであり、それに当たる人々は身体運動学的な知識を明確にもっていなければならない。
 身体運動学は、身体の構造としての解剖学・身体の機能としての生理学・身体という物体の動きの理論としての物理学、特に動きの原因である力との関連を考える力学などの基礎知識に、心理学的な事項も考慮して組み立てられた学である。体育専攻の人やスポーツのコーチには欠くことのできないもので、アメリカではかなり以前から体育の学生の必修科目となっており、今日ではわが国の多くの大学でも開講されている。
 最近の体育では、体育の哲学ともいうべき体育原理とか体育社会学・体育心理学など、多くの分野の研究が進み、それらを学ぶ人々も増えてきた。しかし、あくまでも体育は、実際に身体運動を行い、行わせることによる教育であり、身体そのものについての基礎知識を先ず明確にもたなければならない。
 わが国でも昔の体育専攻の人々に対するカリキュラムには解剖や生理というものがもっと重視されていたようで、老先生から若い頃にそうしたものの勉強に苦労したという話をよくうかがう。そして、確かに老先生方がこれらの基本的な知識をしっかりおもちになっていることを知った。
 最近の人々では運動生理学はある程度関心をもってやっておられるようであるが、解剖については自分の体育にはさほど関係がないとさえ考えている人があるのに驚く。
 身体運動をするのであるから、特に身体の運動器官である骨格や筋の構造や機能についての詳しい知識をもってほしいものである。
 わが国の多くの教育大学の体育専攻生のカリキュラムには解剖学があるにはあるが、必修科目になっていない場合が多く、授業も非常勤の講師にまかせられているようで、どうも私には理解できない。体育指導法や教育法などの講義や研究は重視されているのであるから、その最も基礎となる解剖生理にももっと力を入れるべきだと思う。
 医学生と同じように体育の学生にも実際の解剖をやらせるのは理想であるが、人体解剖はそう手がるにできるものではない。したがって、解剖学書の図によって骨や筋肉のことを学ぶことになるが、多くの筋が複雑に重なりあっている人体を、図によって正しく理解することはなかなか難しい。それが敬遠されるひとつの原因であると考えられる。そこで随分以前から、私は私なりに筋の機能を図によって示す場合の最も理解しやすい方法を工夫してきた。
 一般の解剖書は人体解剖の方法にしたがって先ず皮膚を切り離し、現れた表在筋からだんだんと内部の筋、さらに深筋についての説明がなされる。しかし、私は全くこれを逆にし、先ず骨格に最深部の筋が着いているところから図示することにした。骨にその筋の起始と付着の様子がわかるようにかき、その筋のみが収縮し働いた場合に骨がどのように動くかを示すことによって、その筋の身体運動に対する機能が明確になる。
 深部の筋から順次その上にある浅部の筋に移り、最終的に表在筋の説明を図解していった。個々の筋が総合的にどのように運動に関係するかを、最も理解しやすいと考えたからである。
 骨の部分や神経の部分は筋機能の理解に必要な程度に略したが、動作や運動に関する諸筋の実際の様子は、図を見るだけでかなり理解してもらえると思う。完全なものとは言えないかも知れないが、実際に活用してもらえれば幸いである。
 東京大学名誉教授福田邦三先生の強いお薦めがあって、出版を決意したのであったが、その福田先生がから推薦のことばまでいただいた。
 ここに記して、厚くお礼を申し述べる次第である。

   昭和50年2月

高 木 公 三 郎   



増刷に際して
 この書物が、芸術関係の仕事をなさっている人々の間にかなり役立っていることを知ったのは望外の喜びであった。私も画が好きで京大を停年退官してから余暇に筆をとって油絵を楽しんでいる。洋画・日本画や彫刻家を志望されている方々や服飾デザインを学ぶ人まで、本書を大いに利用・活用して下さっているのは本当に嬉しいことである。
   昭和60年3月

著 者     



学芸出版社

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