私の官民協働まちづくり


はじめに

 私は工学博士と技術士の資格を持つ建築家である。2000年6月、港区長に就任し、日本初の建築家区長となった。
  私は区長就任までの20年間、3人の港区長のブレーンを務めた。病気で引退表明した前の区長から後継指名を受け区長選挙に出馬、当選し、2000年6月から2004年6月まで1期4年間区長を務めた。
  大きな成果は行財政改革である。就任時借金550億円、貯金435億円だった区の金庫を、退任時借金400億円、貯金800億円とした。地方自治体の財政の健全度を示す経常収支比率(*1)は1996年度23区で最下位だったが、2002年度決算で23区で1位とした。おそらく実質日本で1位であろう。これは元区長の意志を継いで、行財政改革を推進した成果である。たとえば、外部監査制度の採用、全事務事業の評価の採用、職員定員の削減、投資的経費の抑制、基金から公債の着実な返済、税金滞納者へ徴税活動(*2)の推進など、さまざまな施策を推し進めた。また、後述する人口対策、住宅対策に伴う人口増に基づく住民税の自然増がある。大規模開発に伴う定住基金の増加があった。土地交換に伴う不動産評価差金41億円の臨時収入もあった(ただし固定資産税は東京都に入るので区の増収にはつながらない)。
  行財政改革に加え、介護保険白書を日本で初めて発行し、治安担当の警察官を区役所幹部職員として東京都内で初めて採用した。また、生活安全条例を都内で初めて施行するなど、ユニークな施策を積極的に推進した。
  港区は大都市東京の都心に位置し、面積20平方キロメートル、夜間人口約20万人(内外国人1割)、昼間人口90万人の自治体である。キャッチフレーズ風に表現すると、「港区は港である。陸・海・空・情報の港である」陸の港は新幹線品川駅があり(品川駅は港区にある)、西日本に対する陸の港である。海の港は埠頭があり、文字通り海の港である。そもそも港区は港があるということで1947年に命名された。空の港は成田、羽田国際空港へのターミナルがある。情報の港は東京タワーがあり、民間テレビ局のすべてが港区にある。NHKはもともと港区にあった。港区は国際都市である。大使館が66ある。国際金融センターがある。歴史と現代がミックスした都市である。寺社は260あり、歴史事物が多くある。トレンディな文化の発祥地でもある。
  このような港区固有の資源を活用する機会を求め、港区で事業をする人や企業は多い。港区はブランド性が高く、様々な企業が本社、支店、店舗を立地させている。開発意欲が旺盛で、多くの開発事業が展開されている。好むと好まざるとにかかわらず、世界の都心として街を整備する必要がある。
  一方、長く港区に住む人にとり、港区は住み続けることのできる街でなければならない。都心区港区ならではの定住対策、住環境保全、コミュニティ施策は大切である。
  本書では、港区長として自ら取り組んだ街づくりを中心に、区長就任前に元区長のブレーンとして街づくり政策を立案し、推進に協力した時代の体験も含め、官民協働で取り組んだ、住み続けられる街づくりのため、「サステイナブルな街づくり」の施策、世界都心として機能するため、「活力ある都心創造」の施策、冒頭にふれた「行財政改革」のための「新たな公共政策」の事例について述べ、最後に区長を務め感じた「建築家・コンサルタントは自らの地位の確立と業務発展のために政治活動をすべき」というメッセージを述べたい。
  本書はメガシティ東京の都心研究の参考書として役に立てばという思いと、気楽に読んでいただきたいという思いでエピソードも含め書いた。

注釈
*1 経常収支比率:財政の弾力性を示す総合的指標である。この値が低いほど弾力性があることになる。経常収支比率が100%を超えると、人件費の支払い含め、経常的な事業すら行えず、変化に即応した新たな事業を行うための財源確保ができない。一般的に70〜80%が優良な値と言われる。1996年の経常収支比率は96・6%と23区最下位で危機的な数値だった。2002年は73・4%と23区で一番となった。
*2 港区役所税務課の徴税活動の熱心さについて、エッセイスト中村うさぎ氏が2000年から2001年にかけて週刊文春に滞納整理対象者の立場から、港区役所税務課との攻防戦の様子を時折寄稿した。