変わる盛り場

おわりに



 盛り場は様々に語られる。盛り場という言葉の捉え方は、性や年齢によって違いがみられる。これは盛り場が時代とともに大きく変貌してきたことと無関係ではない。上の世代には身近に感じられる盛り場という言葉が、今の若い人たちにとっては聞きなれない言葉になっているようにも感じられる。昔ほどの存在感はないにしても、いつの時代も盛り場は人生を学ぶ学校としての役割を果たしてきたのではないだろうか。

 サントリー不易流行研究所は1989年の設立以来、21世紀の生活像を探るために研究を続けてきた。人々が集い、楽しみのひとときを過ごす盛り場は、魅力的な研究対象であり、設立以来大切にしてきたテーマの一つである。

 盛り場の変容を探るため大阪大学の鳴海邦碩先生に主査をお願いし、江戸時代から今に至るまで賑わいを維持している大阪ミナミの法善寺横丁界隈の調査を1993年に開始した。その成果をまとめた「店がつくる界隈 「「 法善寺横丁の研究 「「」(1995年)では、伝統を維持するだけではなく、新しい動きを敏感に受け止め、変化することで存続し続けている小さい盛り場の魅力が明らかになった。

 その後も盛り場の不易流行を探るため、神戸のベイエリアで開発されたハーバーランド・モザイクという商業施設、ターミナル盛り場として根強い人気を持つ大阪の阪急東通り商店街、地方都市である新潟の盛り場など、施設や店舗だけでなく、歴史や利用する人という側面からのアプローチを行ってきた。場所を特定した調査だけでなく、トレンドスポットの魅力や心地よさを切り口にした世代別の遊び場調査なども行い、現代人の盛り場に対する思いを分析してきた。この一連の調査では生活文化環境研究所の橋本敏子代表、小林竜子氏、鶴丸恵子氏並びに文化現場の小川弘幸氏にご協力いただき、多くの盛り場を読むキーワードを発見した。

 また、東京大学文学部助教授の佐藤健二氏、文筆家の森まゆみ氏、武庫川女子大学教授の角野幸博氏にご参加いただいた「盛り場研究会」では、大都市や地方都市の盛り場の現地調査を行った。軽井沢に季節限定であらわれる軽井沢銀座の大衆化の問題や、古都として人気の高い金沢が都市機能を維持するために拡大する様など、環境変化と盛り場の変容について多くの示唆を得ることができた。


 盛り場研究も十年を迎え、昨年秋から半年をかけて、これまでに調査した地点の再調査を行った。盛り場に現われた変化の波頭を確認し、結果を一堂に集めてみると、バラバラの動きと思っていたものが、共通の要素を有しており、大きなうねりになっていることが感じられた。

 長引く不況の影響もあって、元気のない盛り場も多いようだ。一方で、元気な盛り場が存在することも事実である。時代が大きく変わろうとする今、様々なものが行き詰まっている。盛り場も従来の発想だけではたちゆかない状況を迎えているのではないだろうか。集積型の大型盛り場の将来は必ずしも楽観できないかもしれないが、今、様々な形で町や郊外にあらわれ始めた「個盛り場」が、新しい盛り場を生み出す大きな波紋の最初の一滴であると信じたいと思う。小さくても魅力に満ちた盛り場はいくらでも存在する。そして、そこには魅力的な人たちがいる。盛り場はいつの時代も可能性に満ちている。調査を通じて我々が感じたのはそのことであった。


 「一滴の草露に天と地が映るように、今日という一日に昨日と明日が含まれている」とは開高健の言葉であるが、盛り場の今日には過去と未来が投影されている。ある時は街角に立ち、ある時は店の片隅で耳を傾け、時にはマスターや客と話をし、今日の盛り場の中に、我々は盛り場の変化の兆しを感じとった。専門家でない我々にできることは、盛り場の使い手たちの生の声や遊び方の変化を、まちづくりに携わる方や盛り場の担い手である方々にお届けすることである、との思いがこの本の出発点である。

 たくさんの方に盛り場や遊びに関する面倒な調査やインタビューをお願いした。そうした多くの方々との出会いと協力がなければこの本が出来上がることはなかった。心から感謝したい。研究の集大成と書きたいところであるが、日々変化する盛り場に研究の終わりはない。また新たな気持ちで調査を開始したいと思う。

 最後に、不易流行研究所の十年の歩みともいえる盛り場研究を本にしてくださった学芸出版社の前田裕資氏、越智和子氏に心からお礼を申しあげたい。

  1999年、盛り場の灯が恋しくなる秋の夕暮れに
サントリー不易流行研究所部長   
佐藤友美子

学芸出版社
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