これからの高齢者住宅とグループホーム

はじめに

 “施設”から“住宅”へ、そして“終の棲み家”へ
 ヨーロッパ先進諸国では、老人ホームなどの高齢者の居住環境は、病院のような“施設”であるべきではなく、あくまでも“住宅”でなければならないという考え方がいきわたってきている。その背景には、自由を束縛された“施設”における惨めな生活に対する認識が高まってきたこと、そして、高齢化と核家族化によって、こうした“施設”への入居がかつてのように身寄りのない一部の貧しい老人に限られたものではなくなってきたことにある。そうした状況に加え、生活の質を重視する老人社会学的な見解が広く一般に共有されるにつれ、これまで“施設”として位置づけられてきた長期介護のためのナーシング・ホームなども(特別なタイプの)“住宅”としてつくられるべきだと考えられるようになっている。つまり、ヨーロッパ先進国では、われわれが高齢者施設と呼んでいる老人ホームなどの長期介護施設も、すべてが“住宅”になってきているのである。

 こうした“施設”から“住宅”へという流れは、北欧でもイギリスでも共通に見られる。そして、もう一つ、これらの国々で最近はっきりしてきた流れは、こうした高齢者のための(特別の)“住宅”を、身体が弱ってきても可能な限り長く住み続けられる“終の棲み家”として計画すべきだという考え方である。高齢者住宅を“終の棲み家”へという背景には、在宅介護システムの発展という背景も無視できない。高齢者住宅が単に小さな住宅というだけで、普通の住宅でも受けられる程度の介護ニーズにしか対応していないのであれば、その社会的ニーズは限られているからだ。例えば、イギリスでシェルタード・ハウジングと呼ばれている管理人付きの高齢者用の集合住宅では、居間と寝室を兼ねたワンルーム・タイプや立地条件が悪いもの、また浴室などの設備が共有になったものなどを中心に、近年では空き家が社会問題になってきている。その一方で、ベリー・シェルタード・ハウジングと呼ばれるケア付きの高齢者住宅への社会的ニーズは高まっている。高齢者のための(特別の)住宅であるからには、高い介護ニーズに対応した“終の棲み家”であることが求められるようになったわけである。

 さて、本書は、2001年8月末〜2002年4月はじめにかけての在外研究のあいだに妻・浩子とともに訪問した、さまざまな高齢者住宅(特に痴呆性高齢者のための長期居住施設)の実例を紹介し、それらを通じて私なりに考えてきた事柄や今後への提言をまとめたものである。本書の前半で扱った実例は、在外研究を始めるにあたって約1ヵ月間、フィンランド・スウェーデン・ノルウェーにおいて行った現地調査に基づいている。その後は、イギリスのケンブリッジ大学の客員研究員として当地に滞在し、自由な環境のもとで、これらの訪問調査をとりまとめつつ、北欧およびイギリスにおける高齢者住宅のあり方を調べたり、今後の日本への応用の可能性など、さまざまに考えをめぐらせてきた。本書では、実例の紹介に加えて、こうして私なりに調べ考察してきた結果をとりまとめ、今後の日本が緊急に必要とする「終の棲み家としての高齢者住宅とグループホーム」についての提言も行っている。

 私の在外研究の狙いは、高齢者住宅(とりわけ痴呆性高齢者のための居住環境)における先進地域であるヨーロッパ諸国の最新の現状や取り組みを把握することによって、これからの日本の建築計画のあり方を探り、特に社会的介護ニーズへの対応の観点から考えてみたいということにあった。その中でも、日本の現状に鑑み、とりわけ気になっていたのは、以下の諸点であった。
 @日本のグループホーム(規模5〜9人)は、スウェーデン(当初は6人規模で分散配置されていた)に倣って導入されたが、ほかの北ヨーロッパ諸国やオーストラリアなどの先進事例を見ると、単一ユニットの小規模施設はむしろ例外であったことである。痴呆性高齢者の長期居住施設の建築計画は本来どうあるべきかを考えるにあたり、その後のスウェーデン本国での展開をはじめ、ヨーロッパ諸国の近年の発展がどうなっているかを確認したかった。
 A日本のグループホームは、中程度の痴呆の人々を対象として、症状が重くなった場合には、ほかの施設(病院や特養ホームなど)への移転を前提として計画されている。こうした考え方は、当初のスウェーデンのやり方に倣ったものだが、福祉の先進地域である北欧諸国やイギリスにおける現実のあり方を確認したかった。
 B日本では介護保険の導入とともに、介護費用と居住費用を分けた痴呆性高齢者のためのグループホームが急ピッチで建設されてきている。痴呆は現在のところ不治の病であるが、将来的に画期的な薬や治療法が発見された場合に、多くの施設が無駄になってしまう恐れがないとは言い切れない。痴呆性高齢者の長期居住を目的に設計・建設された施設を転用し、虚弱な高齢者を対象とする一般の長期介護施設として適切に使用することが可能かを、ヨーロッパの事例に即して確認したかった。
 C痴呆性高齢者施設の居住環境は、何よりも「家らしさ」が重要とされているのだが、その一方で、「終の棲み家」として終末期の介護や看護に対応するという観点からは、ある程度の「病院的」な施設・設備環境も必要とされるはずである。「家らしさ」を先進的に導入してきた施設(例えばフィンランドのソピムスヴオリ財団のグループホームなど)を訪問することによって、最近の考え方や実情を確認したかった。
 Dイギリスの老人ホーム(ナーシング・ホームおよびレジデンシャル・ホーム)では、従来の自治体や慈善団体の経営に代わって、80年代以降、急速に民間業者の参入が高まってきている。日本の特養ホームでは、自治体もしくは社会福祉法人だけに設立や経営の認可を与えているが、こうした日本の参入規制の方式は、イギリスの経験に照らして、果たして適切だと言えるのかを考察の対象にしたいと考えた。また、イギリスでは民間経営がもたらす問題点に対応して、何か特別な手段を講じて(あるいは講じようとして)いるのかといった事柄も確認したかった。
 E日本の特養ホームは、土地を提供すれば75%の建設資金が国と都道府県から補助されるというシステムのもとで、しかも本来は都市計画法によって市街化が抑制されるべき市街化調整区域への立地が認められているために、市街地を外れた田んぼの真ん中や山奥、さらにはゴミ焼却場の隣地といった不適切な施設立地を見かけることが決してめずらしくない。高齢者住宅の適切な立地について、北ヨーロッパ諸国の実情を確認したかった。
 F日本では、長期介護施設の不足のために、一般の病院や老人病院へのいわゆる社会的入院が常態化している。しかし、こうした病院は居住環境としては劣悪であるにも関わらず、その社会的費用が著しく高い(したがって、出来高制の健康保険会計に多大の負担をもたらしている)という深刻な問題を抱えている。そこで、介護保険の導入とともに、在宅訪問介護の充実とそのための既存住宅の改造支援などの取り組みが進みつつある。介護や看護と居住環境(特に費用が高価であることが知られている痴呆性高齢者の場合を含めて)について、ヨーロッパおよびアメリカにおける社会的費用に関する既存研究があれば、これを確認したかった。
 Gその他、高齢者住宅一般(例えば、アメリカにおいて急速に普及しているアシステッド・リビングなどを含めて)について(特に近年、民営化が進んでいるイギリスの)動向を確認したかった。
 H高齢者住宅一般の質を高める手段や方策について、日本への適用可能性の観点から検討・確認したかった。

 本書の内容が、高齢者住宅の建築計画を念頭に置きながらも、かなり広範な視点に立ち、高齢者ケアのあり方はもとより、制度や社会システムといった側面にも敢えて踏み込んでいるのは、上記のような問題意識のなせる業であることをご理解いただきたい。
 ここで、本書の概要を示しておけば、次の通りである。
 1章では、優れたケアの実例として、フィンランド・タンペレ市におけるソピムスヴオリ財団が経営する痴呆性高齢者のグループホームを紹介する。ここでは、人間的なケアとはどのようなものかを具体的に見ていくとともに、この財団がつくってきたホームの規模や建築計画が“終の棲み家”として、どのように進化してきたかを明らかにする。
 2章は、スウェーデンである。“終の棲み家”へと対応した最近のグループホーム建築の事例を紹介するとともに、高齢者住宅の立地のあり方にも触れる。併せて、グループホームや高齢者住宅の整備における経済性の観点や、行政のあり方についても議論する。
 3章は、ノルウェーである。スウェーデンを追いかけているこの国の最近の痴呆ケアへの取り組みとともに、高齢者住宅と複合したケアセンターなどを含めた最新のさまざまな事例を紹介する。また、建築の計画的な水準を高めるために、ノルウェー政府住宅銀行が果たしている役割についても考察する。
 4章は、イギリスである。80年代に進んだレジデンシャル・ホームやナーシング・ホームへの民間参入、シェルタード・ハウジングの空家問題など、イギリスの高齢者住宅全体の動向を概観し、高齢者住宅の事例としては痴呆性高齢者のためのユニットケアを行っているレジデンシャル・ホームやナーシング・ホーム、またイギリスで最初にできた高齢者コミュニティなどを紹介する。施設ケア・在宅ケアについての新たな国家基準にも触れる。
 5章は、私の提言である。1〜4章において確認した北欧やイギリスについての事例や動向に基づいて、今後の日本の高齢者住宅やグループホームの整備について、どのようにすれば優れた“終の棲み家”の供給が促進され、老後の安心を高めつつ、社会的な費用負担を減らしていけるのかに提言の趣旨がある。