ウッドエンジニアリング入門


はじめに

 今,木造建築がブームである.
  先日,某巨大書店に立ち寄ったときのこと,理工学書の売り場に木造建築関連図書の専門コーナーが設置されていた.ちょっと驚いたことに,結構人だかりがしていたのである.知人の建築系雑誌編集者から「最近,木造の特集をすると,よく売れるんですよ」という話は聞かされていたが,ここまで注目されるようになっていたとは想像していなかった。
  木造建築が行政からも学会からも無視されていた暗黒時代(昭和30年頃から60年頃まで)を知る身としては,まさに隔世の感を禁じ得なかったが,もちろん関連出版業界だけが熱を帯びているわけではない。
  いくつかの県では,公共建築物は木造にするべしというお達しが出されている.また,小中学校の木造校舎化も文部科学省の後押しがあって日本全国に広がりつつある.さらに,国道沿いの郊外型チェーンストアなどはデザインの陳腐さや熱効率の悪さを嫌って,鉄骨造から中規模木造へと変わりつつある.
  小規模の木造住宅では,在来軸組構法の生産システムがプレカット技術の発達によって大きく様変わりしてきた.また,各種構法の良いとこ取りをした金物構法もシェアを広げつつある.かつてはまったく見捨てられたままであった伝統構法もエコロジーばやりの追い風を受けて,民家の再生や町屋の保存といった形で復活の兆しを見せている.
  筆者のような木材・木造の研究者にとって,このようないわば木造熱に浮かれたような状態はたいへん喜ばしいことではあるが,一つ気がかりなことがある.
  それは,木材・木造の取り扱い方があまりにも情緒的すぎることである.確かに木構造の暗黒時代には,「木の文化」とか「千年の歴史」とか,あげくには「木の霊」といったことまでを前面に押し出して,日本人の情感に訴えるしかPRの戦術はなかったかもしれない.しかし,このような「お涙頂戴作戦」はもはや過去のものとしなければならない.もっと胸を張って地球環境に対する木材利用の優位さを主張してもよいはずである.なぜなら地球温暖化の元凶である空気中の二酸化炭素を地上に固定できる建築材料は木質建材しかなく,炭素固定能力という物差しで建築材料を評価するならば,木質建材が断然トップになるからである.
  もちろん,筆者は文化論的に日本人と木の文化をとらえることを否定しているわけではない.というより,本当のところはその手の話が大好きである.しかし,インターネットで情報が世界中に配信される時代に,いつまでもカビの生えたようなお題目を唱えているだけでは,木造ブームが一過性のものになってしまう恐れがある.
  建築関係の雑誌や啓蒙書には,情緒性はたっぷりだが,非科学性もたっぷりという記事が載せられていることがよくある.また,業界人の中には,何十年も前の常識や奇妙奇天烈な珍情報に惑わされている人が多い.いわゆる「木の匠」の発言に対する業界人の思考停止ぶりは,傍目で見ていて滑稽でさえある.もちろん名人の意見には傾聴に値するものがあるが,かといって科学の目で疑問を呈することを恐れてはいけない.ちょっとした科学的知識があれば簡単に判断できることであるのに,心霊写真のような情報がまかり通り,それがさらに活字やインターネットによって拡大再生産されてしまっていることが多いのには,危惧の念を持たざるを得ない.
  逆に,現代の科学でも未解明なことが多いことは,きちんと認識しておかねばならない.ヒノキがスギよりも強度や耐久性が高いことは事実であるが,なぜヒノキがそのようなDNAを持っているのかはわからない.進化の過程の中でそうなったとしか説明のしようがないのである.また,原理はわかっているが複雑すぎて今のところモデル化ができていないこともある.五重の塔の高い耐震性はその典型例である.地震に強いことは歴史が証明しているし,そのメカニズムもおおまかには明らかになっているが,それが数式でなかなか定量化できないのである.さらに,データがないから何とも明言できない場合も多い.たとえば,構造用集成材が100年もつかどうかは,今のところ60年しか歴史がないので「100年もったという実績を示せ」といわれても,これまた証明のしようがないのである.
  いずれにしても,木材の強さを活かし,木構造物の安全性を保証するためには,科学技術的な立場から,木材の構造的な利用技術を包括的に学んでおかねばならない.実はこのような分野,つまり伐採された丸太が様々な加工を経て木造建築の構造体になるまでをカバーしている科学技術体系が「ウッドエンジニアリング」なのである.
  周辺の技術までを考えると「ウッドエンジニアリング」の守備範囲はかなり広いものになるが,本書では「木の強さを活かす」ことに焦点をしぼり,強度特性や構造特性に直接関係しないものについては,躊躇なく省略した.
  また,入門書という本書の性格を考慮し,数式に頼ることは避け,図と写真を多用して解説するよう努めた.さらに,本書はハンドブックやデータ集ではないので,表などはできるだけ無味乾燥なデータの羅列にならないよう注意した.
  なお,本書の読者層は主に木造建築に興味がある方と考えられるので,建築の基礎的な用語などは既知のこととして細かい説明を省いた.そのかわりに,木材や木質材料に関しては基礎的なところから解説しておいた.
  広くわが国の産業情勢を見てみると,その主役は第4次産業と呼ばれる情報産業から,知識産業へと移りつつある.さらにその先にあるのはデザインや文化といった人間の感性や情緒に直接働きかける手法を中心にした産業であろう.木材がそうしたものに最も適した材料であると筆者は信じているが,そこに至るまでには,他の工業材料がそうであったように,木材・木造もエンジニアリングの洗礼を受けておかねばならない.わが国では木造建築の暗黒時代が長すぎたため,木材・木造は本来受けなければならない洗礼を中途半端に経験しただけで現在に至ってしまったのである.
  いささか遅ればせではあるが,本書が「勘と経験と度胸だけが頼りの世界」から「ウッドエンジニアリング」の世界に脱出するための手がかりになることができれば幸いである.

2004年2月
林 知行