法律家である私、 都市計画家野口和雄、 そして建築家池上修一の3人がどうしてこのような条例の作成に関与するようになったのかを『美の条例----いきづく町をつくる----真鶴町・1万人の選択』(学芸出版社・1996年)としてまとめていたころ、 これと対照的な町づくり方法が論じられていた。
それは本誌第2号に掲載された建築家磯崎新と編集長平良敬一の「小さくてやわらかい都市づくりの手法へ」というものである。詳しくはこの対談を読んでもらう以外にないが、 私なりにまとめていうとこの二つには大きな共通点と相違点がある。
対談でイニシアチブをとっているのは磯崎である。磯崎は、 マスタープランをつくり、 ゾーニングをやり、 線引きをし、 というふうに(大から小に)ブレイクダウンしていく現在の都市計画法や建築基準法は根本的に日本の都市づくりの実態と合わず、 敷地の限りない細分化にみられるような危機に対処できないでいるとした。 これは私たちと同一認識である。 真鶴町ではバブル期に何十もの開発プロジェクトに襲われ、 それらの法律は全く何の役にも立たなかった。 それゆえ、 誰かが根本的に都市計画法や建築基準法を書き換えなければならない。
しかしここから論点が分かれてくる。 とりあえずそのような法律ができるまで私たちは条例をつくった。 磯崎のほうは、 首長を補佐するマスターアーキテクト(コミッショナー方式)として、 熊本「アートポリスの実験」を始めた。 条例の場合は真鶴町で行われるすべての建築について「美の原則」によって誘導していこうとするのに対し、 アートポリスはいい建築家による建築物を町のあちこちに、 碁でいう布石のように置いて、 そのネットワークによって都市を再生させようというのである。
そして磯崎は返す刀で私たちのようなやり方について、 「アーバン・デザインというものを、 美しい景観はこうだといって、 一つの理念を掲げてそれに突進する。 そのことは英雄的なのだけれども、 やっても空振りしてしまう」と予言した。 この違いは、 法律家と建築家の違いということもあるが、 もっと大きくは世界観の違いでもあるようである。
そこで一つ呼びかけたいことがある。 日本ももうすぐ「地方分権時代」に入る。 いってみれば従来の全国画一的な基準の世界から、 いろいろな世界観を自治体ごとに実現できる時代になるということであろう。
私たちは「美の条例」の世界つまりユートピアを夢みて「突進」する。 アートポリスだけでなく、 その他の方法を含めていずれが有効か、 確かめつつ競争しようということである。 (文中敬称略)