本書の主題は、イギリスの都市計画マスタープランである。
イギリスはわが国の都市計画に対して、常に重要な考え方を提供し続けてきた。戦後だけを見ても、ニュータウン、グリーンベルト、開発許可、インナーシティ再生、開発利益の公共還元、そして規制緩和と枚挙に暇がない。しかし、本書の主題である都市計画マスタープランは、これらイギリス都市計画が生み出してきたキーワードとは少し性格を異にしている。それは、都市計画マスタープランは、これらのキーワードのうちの多くを実践に移すためのツールであったという点においてである。
グリーンベルトにしろ、開発許可にしろ、規制緩和にしろ、その考え方の前提となり、実践に移すための装置となっているのはイギリス都市計画の制度である。従って、イギリス都市計画の基本的制度とその運用を体系的に理解することなしに、これらの考え方がなぜ、そしてどのように実践されうるのかを正しく理解することは難しい。
イギリスの都市計画制度も他の都市計画先進国と同様に、非拘束的都市ビジョンであるマスタープランと、都市ビジョンの拘束的実現手法の2段階からなっている。前者は、デベロップメントプランと呼ばれ、後者はデベロップメント・コントロール(開発規制)と呼ばれている。
イギリスを初めて訪れた者の多くは、田園風景の美しさに感動し、ロンドンや地方都市の中心部に残る歴史的街並みを見て驚く。これらはいずれもイギリス都市計画の誇るべき成果である。一方で、インナーシティには産業衰退によって放棄された土地が散在し、郊外への大型ショッピングセンター進出によって空き店舗が目立つようになった中心商店街もある。これもまたイギリス都市計画の結果であり、またそこからの再生を目指しているのもイギリス都市計画である。これらイギリス都市の変化をもらさず管理しているのが都市計画であり、こういった都市と農村の風景を全て作り出した仕組みこそが、デベロップメントプランとデベロップメント・コントロールなのである。
本書はこのイギリス都市計画の基本的な仕組みを、体系的に紹介し、議論しようとする企画の前半として、都市計画マスタープランであるデベロップメントプランに焦点をあてて記述したものである。企画の後半にあたるデベロップメント・コントロールについては、およそ1年後の刊行を予定している。
さて、デベロップメントプランの中心は、図面でも数量化された基準でもなく、policyと呼ばれる政策方針である。環境、開発といった都市計画の各項目ごとに、個々には簡潔な文言で記述されたいくつものpolicyが束になり、デベロップメントプランができあがっている。これは、我々が都市計画のマスタープランというと想像しがちな、都市の将来の姿を図面や数値を中心に表現したプランとはずいぶん異なっていることに読者は気付くだろう。その背景にある考え方は、まさに政策方針という言葉が正しく示しているように、都市計画に関する基本的な意思決定は、科学の法則に則った客観的判断に基づく意思決定というよりは、社会的価値判断を伴った主体的意思決定であるという主張なのである。そして、社会的価値判断であるからこそ、それは社会的な合意を得たものであるという事実が不可欠になる。この意味で、イギリスのデベロップメントプランとは、社会的合意を得た価値判断に基づいて都市計画の政策方針を記述したものであり、それは一言で言うならば合意と政策の都市計画と呼ぶことができるだろう。
わが国でも1992年の都市計画法の改正を受けて、市町村レベルでの都市計画マスタープランを策定することになった。策定にあたっては市民参加と自治体の独自性が強調され、参加の方法、その成果であるマスタープランの内容など、多くの市町村で試行錯誤が現在進行形で続いている。イギリスの都市計画マスタープランがわが国の都市計画マスタープランに送る最大のメッセージ、それは「合意と政策の都市計画であること」と筆者らは考えている。本書がそのメッセージの理解を助け、様々な試行錯誤の際の参考となれば幸いである。