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は じ め に

   

 今日ほど日本のシステムが問われている時代はないであろう。都市計画も例外ではない。わが国の都市計画は、数多くの先進的な都市計画手法を主に欧米諸国から導入し、改善を重ねてきた。しかし、国家による土地所有権の制限、国家による都市計画の命令と執行というシステムは、基本的に変更されることなく今日に至った。1992年の都市計画法「大幅改正」でもこの点は手つかずにおかれた。本書は、この日本の都市計画システムの現状を相対化するための一つの作業として、アメリカの土地利用計画・規制制度のシステムを、できるかぎりその基本構造にさかのぼって明らかにしようとするものである。

 アメリカを取り上げる理由は、何よりも1980年代の都市問題に対し、ゾーニングなど、わが国と類似する(と思われた)土地利用規制手法を有するアメリカが、わが国よりもはるかにダイナミックで効果的な対応を示したからである。この間の経過を簡単に振り返ってみよう。

 1980年代前半、1970年代からの長引く不況と財政制約、そして貿易黒字という内外の問題を抱えたわが国において、起死回生の手段として着目されたのが都市開発やリゾート開発であった。中曽根首相の唱える「アーバンルネサンス」や、社会資本づくりに民間のエネルギーを活用するという「民間版ニューディール」といったスローガンが新聞紙上を賑わすようになった。再開発の具体的なモデルとなったのが、アメリカのウォーターフロントやダウンタウンの再開発、あるいは次々と新しいビルが建設されていたニューヨークなど大都市の摩天楼である。このような開発は、規制を緩和し民間の活力を活用することで成功したと説明され、同様の措置がわが国でも求められた。土地利用や建築規制の緩和とともに、アメリカの、民間が参加する再開発や開発権(空中権)移転制度(TDR)などが、新しい開発の手法として注目された。

 1983年2月の中曽根首相による建設事務次官への指示をきっかけに、土地利用規制についての一連の規制緩和措置が開始した。都心部の開発については、市街地住宅総合設計制度、特定街区、総合的設計、総合設計制度など、考えうるあらゆる制度が動員され、容積率割り増しを中心とした規制の緩和が図られた。郊外の都市開発に関しては、自治体の要綱による土地利用規制に制限を加えるとともに、市街化調整区域における開発許可の規模要件の引き下げを始め、開発許可事務の合理化などの宅地開発を促進するための多くの措置がとられた。公的事業分野へ民間が参入するための措置や、資金調達の方法も整備された。

 こうして1980年代半ばから、一気に都市開発がブームとなる。1985年4月の国土庁によるオフィス需要予測が進軍ラッパとなった。地価が天井知らずの上昇を続け、都心部の住環境やコミュニティの破壊が急速に進行した。地方では、ゴルフ場開発やリゾート開発が目白押しとなり、乱開発が大きな社会問題となった。そしてまさにそのとき、われわれがある種の驚きを持って知らされたことは、ほかならぬわが国の都市開発のモデルとされたアメリカの大都市で、成長管理の都市政策がとられていたということであった。サンフランシスコのダウンタウンプランが1985年、ボストンの成長管理計画が1987年、シアトルのCAPが1989年である。「ダウンゾーニング」、「リンケージ」、「建設戸数や床面積の総量規制」、「モラトリアム」などの手法が新鮮な響きを持って伝えられた。アメリカは、1980年代を通して規制緩和と成長管理という一見正反対の姿を見せたことになる。

 一方、わが国において、開発が過熱した1980年代の後半にとられた都市計画上の対応は、優良な開発であることを前提に、つまり地区計画を定めることを条件に容積率等のボーナスを認めるというものであった。緩和型地区計画とも呼ばれるこれら措置は、規制緩和のためのいわば応急的措置が一段落した後、やや体系化された一連の制度として登場した。そして現在に至るまで、その延長上での制度拡充が続けられている。これら制度は、おそらく、アメリカのボーナス制度を一つのモデルにしたものであろう。しかし、明らかに緩和を許容するための条件づくりという側面が勝っている。良好な開発を誘導するのならば、厳しい一般規制を前提にした緩和こそ有効なはずである。しかし、とられた措置は、緩められた一般規制をさらに緩めるものであった。これらは、「ダウンゾーニング」等はもちろん、アメリカのインセンティブゾーニングとも一線を画するものであったと見るべきだ。

 結局のところ、わが国では、都市開発ブームの1980年代後半には、アメリカの成長管理に比肩できるような措置はとられなかった。しかし少し考えてみれば、アメリカの成長管理でとられた手法のいくつかは、わが国の土地利用規制においても少なくとも文面上は備わっているものであった。ダウンゾーニングは用途規制を変更することで可能であるし、モラトリアムは線引きを操作することで可能なはずである。しかし当然のように、そのような措置はとられなかった。仮に自治体がその意志を持ったとしても、都道府県知事への機関委任事務である都市計画を機動的に変えることが困難なことは明らかであった。意欲的な自治体は、独自の土地利用規制を条例で実現しようとしたが、法律を超える規制内容にならないよう、核心部分は抽象的な表現に止められた。リンケージは、切羽詰まった都心の基礎自治体により住宅付置義務として実行されたが、それらは自治体の指導要綱、つまり条例によらない行政指導にとどまらざるをえなかった。わが国では、土地利用規制の基本手法は、ついに実効性のある手段として使われなかったのである。そしてその他の有効な手法があっても、自治体がそれを正式にルール化することには多大な困難が伴ったのである。

 バブルに対する都市計画上の対応は、国による都市計画法の改正を待たねばならなかった。その改正は、1)都市ビジョンの明確化、2)適正な地価水準の実現への寄与、3)適正な土地利用規制、4)計画にもとづく土地の有効・高度利用の実現、5)バランスのとれた都市の形成、6)魅力ある都市環境の形成、の6項目をめざし、バブルがとっくにはじけた1992年6月にようやく決定された。改正の主な内容は、「用途地域の細分化」「市町村マスタープラン」「誘導容積制など地区計画制度の充実」「都市計画区域外等での建築制限」などである。しかし、これら新しい制度がどこまで的確にその狙いを達成できるかは疑問と言わざるをえない。全国一律のメニューによる用途地域の細分化が、果たして地域の実情に合わせたまちづくりを支え、「魅力ある都市空間を創造する」ことになるのか。都市計画権限を国に留保したままのマスタープラン制度は、すでにある公式・非公式の各種マスタープランに屋上屋を重ねるものではないのか。答申段階でダウンゾーニングに比肩すると期待された誘導容積制は、インフラストラクチャー整備の遅れた地区の整備を促進する限定された制度にとどまったのではないか。疑問は尽きない。このままでは、将来新たな都市問題が発生しても、自治体は、都市計画については今までどおり手をこまねいて見ているか、法的に不完全な対策に頼らざるをえないであろう。そして、基本的にはやはり国が新たな手法を追加するのを待つしかないであろう。

 私を含む「都市政策を考える会」(代表・大谷幸夫東京大学名誉教授)は、都市計画法改正の決議に先立つ都市計画審議会の中間報告(1991年8月)の段階で、「都市計画の今後のあり方について」という声明を発表している(1991年10月)。そこで私たちは、「1. 都市計画のシステムそのものが問われている」という項目から書き起こした。中間報告が都市計画法改正が必要になった背景をもっぱら都市計画外の状況の変化に求めていることに対し、都市計画のシステムそのものが状況の変化の原因の一つを構成していることを認識すべきことを指摘、次のように論じた。

 わが国の都市計画のシステムに内在する問題点とは、土地利用計画・規制の内容が諸外国特に欧米に比べ、「あいまい・緩やか」な点である。このことが1980年代後半の地価高騰の一つの大きな要因となったことは今や定説であろう。昭和50年代後半からさかんにとられた一連の規制緩和措置はさらに火に油を注ぐような作用を果たした。これら措置は、1968年の都市計画法改正以降、曲がりなりにも「詳細・厳格」の方向をめざして努力を積み重ねてきた制度をいわば御破算にし、再び「あいまい・緩やか」な方向へと時計の針を逆転してしまったのである。

 わが国の都市計画はまた、事前確定的な「硬い」システムである。いったん決められた都市計画はめったなことでは変えられることはなく、予想できない変化に機動的に対応することが困難であった。手法上も、一本の線で開発可能地と開発禁止地を分ける区域区分制度(線引き)や用途とワンセットの形態をリンクした用途地域制に「硬さ」が見られた。「硬い」ということと「あいまい・緩やか」ということとはおそらく表裏の関係であり、「硬い」がゆえに「あいまい・緩やか」なものにならざるをえず、「あいまい・緩やか」なゆえに「硬く」て済んできたのである。

 ところが実際にとられた対策は、緩い一般規制をそのままに地区計画等を条件に容積率の上乗せする「あいまい・緩やか・柔軟」なシステムへの変更であった。しかし、これでは、制度の実効性が疑われるばかりか、都市の過密を一層促進するおそれが大きい。都市計画が問題の一因となっており、都市計画システムそのものが問われていることをふまえた結論となっていない。

 では都市計画のあるべき姿とは何か。たとえば、西ドイツで行われているような「詳細・厳格・硬い」都市計画は、わが国の風土になじみにくい。わが国の絶対的土地所有観のもとでは、建築不自由にもとづく計画システムはとりがたいし、都市の変化が激しく、事前確定的な計画体系がとりにくいからである。そこで考えられるのは、一般規制を現在より詳細・厳格にしつつ、それを超える開発に対しては柔軟な姿勢で臨むというシステムである。

 もしそのようなシステムを想定するなら、柔軟性に公正さを保障する手続きが決定的に重要となる。たとえば、一般規制を超える開発を認める場合には、その開発の是非を民主的な手続きにのっとり議論を尽くし、公正に決めていく必要がある。このように考えれば、都市計画における決定手続き論が重要性を帯びてくるはずだが、中間報告はこれらの点について十分に触れていなかった。そこで声明は、次に「2. 都市計画とは合意形成のシステムである。それを整備することこそ今都市計画に求められている課題である」という項目を掲げ、中間報告の掲げる「都市ビジョンの明確化」など六つの課題(前掲)に関し、次のように主張した。

 いずれも都市計画が対応すべき重要な課題と言えよう。しかし、都市ビジョンの明確化と言ったとき、誰がそれを描き出すのであろうか。適正な土地利用規制と言ったとき、どのような土地利用規制を適正と言うのであろうか。計画にもとづく土地の有効・高度利用の実現と言ったとき、どのような利用が有効・高度利用と言えるのだろうか。いずれも一意的な解があるわけではない。さまざまな都市ビジョンが描かれうるし、さまざまな土地利用の規制案がありうる。どのような利用が土地の有効・高度利用にあたるのかは、立場によって大いに意見が異なるであろう。これらは、何らかの手続きによって社会的な合意として、決定されていかなければならない。

 そのような合意形成・決定を行うための制度的枠組を提供することが、都市計画制度の一つの重要な柱である。このような意味で、都市計画制度とは、都市のビジョンから身近な環境、個々の開発に至るまでの社会的な合意を形作っていくための制度体系であると言ってもよい。

 しかし、中間報告は、合意形成・決定手続きの抜本的な改善・整備にはほとんど触れていなかった。唯一の積極的な方策が、市民の合意形成を一つの目的としたマスタープランの充実であった。これは市町村が定めるものとされたが、都市計画の決定権限は都道府県知事にとどめられたままであるから、その法的効果はきわめてあいまいであった。

 都市計画審議会は、同年12月、中間報告とあまり変わらない内容の答申を行い、それにもとづいた都市計画法改正案が翌年の3月国会へ提出された。

 この国会審議においては、政府の改正案に対し、社会党を中心とする野党側からも改正案が提出された。上記「都市計画の今後のあり方について」の問題意識を受け継ぎ、五十嵐敬喜氏を中心とした専門家グループが国会議員とともに作成したもので、政府案とはまったく異なる発想に立ったものである。すなわち、問題への対応をもっぱら手法の追加によってなそうとしている政府案に対し、市町村を中心とした都市計画権限を前提にした上で、現行都市計画のシステムそのものを変革しようとしたのである。採決の結果は、政府案可決、社会党案保留であった。しかし衆参両院において「引き続き、都市計画決定に係わる権限及び手続きについて検討を行うこと」という付帯決議がなされた。問題がシステムにあるということについて、一定の理解は示されたのだと言えよう。

 「システムの変更」のうち、都市計画の自治体権限については、現在(1997年4月)、地方分権推進法にもとづく地方分権推進委員会の検討に委ねられている。都市計画法の現行システムが、改革すべき日本のシステムの一環として捉えられるようになったことは、当然の成りゆきと言えよう。しかしながら、機関委任事務の廃止を最大目標として進められている現在の改革も、自治体が独自に都市計画の内容を決定できるよう個別法が改正されなければ、実質はほとんど変わらないことになる。今想定されているのは委任条例によって自治体の選択肢を多少広げるレベルであり、その程度の分権への抵抗も決して小さくはないというのが現状だ。

 さて、この間の経過からわれわれが学んだことは、以下のようにまとめられる。1)都市計画の手法が同じでも、それを実現するシステムが異なれば、効果はまったく異なってくる、2)わが国では、新しい都市問題に対処する場合(制度を時代に適応させていく場合)、自治体が、自分たち自身の発想と責任で自分たちのルールを変えるのではなく、国家が追加した手法に頼っていく。

 そして、3)導入される新しい手法の多くが海外より学んだものである、という点が挙げられる。ただし、当然ながらその背後にあるシステムは捨象されている。今回の例で言えば、インセンティブゾーニング、開発権の移転、マスタープランなどである。過去の例も枚挙にいとまがない。たとえば、1968年の都市計画法改正で導入され、都市計画の一つの柱となっている開発許可制度がその例だ。これは「あらゆる開発は、地方計画当局の事前の認可が必要である」というイギリスの計画許可制度が参考にされたと言われている。しかし以下の点で大きく異なっている。a)開発の定義(イギリスでは「地中、地表、地上または地下における建築、土木、鉱業その他の活動の実行、あるいは建物または土地の利用における重大な変化」で建物用途の変更も原則として対象、わが国では「土地の区画形質の変更」に限定)。b)許可権者(イギリスでは地方議会内の計画委員会が最終的な決定)、c)許可における裁量の幅(わが国では、詳細な許可基準が法律で定められ、「許可」も「確認」に近い)、d)アピールの場合の解決の仕組み(イギリスでは公開聴聞会public inquiryが開催される。第三者も出席して意見を述べることができ、アメニティの維持や向上をめざす市民活動の有力な手がかりとなってきた)。

 わが国の都市計画制度は、次々と新しい都市計画手法を導入してきた。それらが山をなし迷路を作っているというのが実状であると言わざるをえない。「アメリカの都市計画制度は、他の西欧諸国と異なり、法規が入り組んでいる上に州法や地方公共団体の法律・条例が各々自由な裁量の中で決定されているので、統一的な把握は難しい」とされる。しかし、アメリカの制度が「統一的な把握が難しく」見えるのは、土地利用計画・規制に多様な考え方や判断があることを認めているからである。法律の構造や構成そのものは、おそらくわが国の方がはるかに複雑であろう。

 海外の都市計画手法には学ぶべきことがたくさんある。しかし学ぶのならば、その背後にあるシステムも合わせて検討の対象にしなければならない。もとよりシステムをそのまま導入するためではない。その手法が機能することを支えているシステムを理解することが必要なのである。そうすることで、わが国のシステムを相対化し、その問題点を明らかにしていくことができるだろう。これが本書の基本的な狙いである。

 本書は、上述の活動に携わった、五十嵐敬喜、野口和雄の二氏と私の共同研究の成果『都市計画の日米比較「「成長管理政策」を中心に「』を発展させたものである。すでに述べた問題意識から、日本の都市計画法とアメリカのそれとの、体系全体についての比較を試みたいというのがこの共同研究の意図であった。作業を始めるにあたって、われわれは、都市計画の日米比較を通して明らかにしたいと考えたことをリストアップしてみた。日本の都市計画で問題点と考えたことが、アメリカではどうなっているのかという素朴な疑問を「問題集」としてまとめたものである。本書の最後の「第9章 結論」では、この「問題集」を取り上げ、本文から得た知見をもとに解答を組み立ててみたい。本書の問題意識の所在をさらに具体的にする上で、また読者が本文を読まれるにあたって、この「問題集」を念頭に置いていただくことが有用かもしれない。場合によっては、本文に進まれる前に、「結論」の問題部分だけでも目を通していただくのもよいと思う。

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