本書のあとがきで著者が書いているように、前掲書『ゾーニングとマスタープラン』と本書は同一の企画から誕生したものである。『ゾーニングとマスタープラン』が制度(システム)の分析を主としているのに対し、本書は土地利用規制が形成されたプロセスを社会的な流れ(特に公民権運動や環境保護運動などの市民運動)との関係で明らかにしようとしている。
市民運動の成果がどのようにルール化されるかが重要であると著者は言う。環境問題と土地利用規制の改革(静かな革命と呼ばれる)や成長管理の分析を通じ、次のように結論づける。
「アメリカの都市計画は、市場経済システムのメリットを生かしながらも、単に経済成長だけでなく、環境保全と社会的公正という目標を同時に達成するために不可欠な社会的ルールを確立する方向へ、大きく前進してきた」
前掲書ではシステムといい本書では社会的ルールという。制度面を強調するにせよ、規範面を強調するにせよ、市民が主体的に参加できる開かれた関係が都市計画求められているのである。
(注:福川裕一著『ゾーニングとマスタープラン「「アメリカの土地利用計画・規制システム』は小社刊。新刊情報-1997年5月刊-をご覧ください)
60年代後半から80年代にかけて(著者は現在までの30年間をひと続きとして捉えているが)アメリカの都市計画に起こった「静かな革命」。そこで達成された成果を、経済的・社会的背景を交えて解説したのが本書である。
経済成長のために必要な開発と環境保全、マイノリティ(低所得者層)のための住宅供給と土地利用規制の強化、というそれぞれ相反する命題を同時に達成しようという葛藤の歴史がそこにはある。また、その成果は、国・州・地方自治体が対等な立場で、かつ役人だけでなく地域住民や開発業者までもが参加する都市づくりのシステムの確立に向けて行われたさまざまな試みの集積でもある。
振り返ってみるに、わが国ではどうだろうか。おりしも容積率の一部緩和などが行われようとしているが、それは前述の一方の命題のみに目が向けれたもので、都市の環境保全という視点からは、当然疑問符が打たれるものだ。
著者がいうように、現在のアメリカの都市計画が完全無欠というわけではない。また、両国の都市計画のありようを同列に比較すること、アメリカのシステムをそのままわが国に持ち込むことも無論できないが…。
アメリカの土地利用規制は市場経済のメリットを活かし環境保全と社会的公正をめざす民主主義の真摯な試みであるという視点から、六〇年代公民権運動、七〇年代環境保護運動を契機に前進した都市計画改革のプロセスを描く。
現代アメリカに、市場経済のメリットを生かした環境保全と社会的公正を目指した都市計画の例を見て、民主主義的なあり方の参考にしようという研究的紹介です。六〇年代に盛り上がった公民権運動は黒人居住地域の封じ込めを打破し、七〇年代の環境保護運動は、もっぱら商品として扱われてきた土地を資源としてみる新しい価値観をもたらしたことなど、静かな革命と呼ばれる内容を持っていました。こうしたなかでの都市計画のありかたの変化をみています。
米国の都市計画は市場至上主義で自由放任だと思われがちだが、実際は都市の成長管理政策など私権制限を含む都市計画が広く行われている。民主主義の枠組みの中で環境保全と社会的公正の実現を目指す試みだ。著者はこれを「土地利用規制の静かな革命」と呼んでいる。
町の将来を考える住民参加システムがどう機能しているかを、マスタープラン作りなどを接点に紹介している。日本でも規制緩和の一環として建物の容積率引き上げを実施しようとしているが、米国の事例から「開発の不自由」の意義を考える格好の書だ。
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大野輝之著『現代アメリカ都市計画』