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は し が き

     

秋本福雄

   日本では、明治時代から戦後の高度経済成長の時代まで、都市計画は政府の業務であった。都市開発においても政府と民間が連携したり、開発計画の策定に市民が関与する事例は少なかった。しかし、1980年代の半ばから、都市開発の分野でも、事業コンペや第三セクターといった、民間の資金力とノウハウを生かしたプロジェクトが各地で行われるようになった。公共はより起業家的に、民間と近い距離で仕事をするようになったのである。更に、最近では、紛争防止のために、計画段階から市民の参加を求める都市開発や道路計画が登場するようになっている。しかし、この状況に対応して、どのように制度や人材や体制を用意すべきなのか。どのように、公共と民間は協議をし、パートナーシップを形成すべきなのか。市民はどのようにその過程に参加したらよいのかについて、日本での研究の蓄積は乏しいのが実情である。

   これに対し、アメリカでは、既に1970年代の後半から公共と民間のパートナーシップによる都市開発が登場し、1980年代に入って全国的に隆盛した。大学の研究者も、実務的関心が強く、早くからこの新しい現象に着目し、多くの論文や著作を発表してきた。大学の都市計画学部においても、プロジェクト・プランニング、不動産開発の知識、そして市民参加の手法や交渉技術までをも教えるようになった。州や地方自治体もパートナーシップや協議、市民参加のための制度を整備した。そのために必要なコンサルタントも登場している。つまり、アメリカは、パートナーシップについて、既に豊富な経験と多くの実務的知識と理論を蓄積し、制度と体制を整備しているのである。

   この本では、1970年代後半のアメリカに登場した公共と民間のパートナーシップによる都市開発、地方自治体と民間デベロッパー、そして市民が参加する協議による都市開発を対象に据え、その背景、開発のプロセス、問題点と対応を解析する。同時に、これまであまり紹介されることのなかったアメリカ都市計画の制度、手続き、市民参加の手法、民間コンサルタントや民間デベロッパーの役割、アーバンデザインの概念、アメリカ都市計画の伝統的特徴についても言及している。

   第1〜3章では、公共と民間のパートナーシップによる都市開発の多様な実態を概説し、その代表である地方自治体と民間デベロッパーのパートナーシップによる都市開発の登場の背景、特徴、代表的な事例を紹介し、その問題点と、代表的な紛争事例たるニューヨーク市のコロンバス・センター・プロジェクトの経緯を解析している。

   第4〜5章では、地方自治体と民間デベロッパーの二者協議による都市開発、市民が参加する多者協議による都市開発の登場の背景、開発プロセスの特徴、問題点と対応を解析し、カリフォルニア州における多者協議の制度的枠組み、代表的な事例、そこに見られる市民参加の制度と手法、デベロッパー、コンサルタントの役割の特徴を紹介している。

   第6章では、1960年代における市民が主体のコミュニティ開発の登場、1960年代から1980年代の連邦政府や地方自治体の市民参加政策やコミュニティ開発をめぐる公共と民間のパートナーシップの形態を解析し、現代のコミュニティ開発が直面する問題に言及している。

   第7章では、このようなアメリカ都市計画の転換を根底で支えている伝統的要素を日本との対比において明らかにしている。

   私たち日本人が、アメリカの都市開発を研究する意義は、どこにあるのか。第一は、都市開発の現象的な先行性である。これまでのところ、都市開発の分野では、アメリカで起こった現象がしばらくして日本に波及するケースが多い。ウォーターフロント開発、オフィス・パーク、歴史的な建造物の修復、高齢者のための住宅、非営利団体の活動、ショッピング・センター開発等。この傾向がしばらく続くと考えれば、アメリカで起こっている現象の解明は、日本の今後の変化を予測する1つの材料となるはずである。

   第二は、都市開発における諸契機の顕在性である。日本では、都市開発をめぐる様々な契機は、元来、潜在化する傾向にある。都市開発をめぐる情報を整理して、公開する制度も確立していない。都市開発に関する制度も複雑で、一般の市民にはわかりにくい。このため、外部の人間が都市開発プロジェクトの全貌を伺い知ることは事実上、不可能である。内部のスタッフも定期的に異動し、プロジェクトの始めから終わりまで関与するわけではないから、プロジェクトの全貌は、実は誰にもよくわからないというのが日本の実情である。

   これに対してアメリカでは、都市開発に関する様々な契機や対立が、極端な程にドラスティックに顕在化する。情報はシステマティックに整理されており、情報のディスクロージャーにより、開発計画はもとより中間段階の資料や会議内容についても、開発情報の入手は、日本よりもはるかに容易である。都市開発の制度も、日本よりはわかりやすい。このことは、例えばカリフォルニア大学バークレー校の都市計画学部で参考書として使用していたノンフィクション『徹底的に(From the Ground Up)』1)を読めば、一目瞭然となる。それは、サンフランシスコのリンコン・センター(Rincon Center)の再開発の経緯を描いた本なのだが、そこにはプロジェクトに関与した建築家、再開発局の職員、民間デベロッパー、多数のコンサルタントの生態が、殆どプライバシーの侵害と思えるほど、克明に生々しく描写されていて、読み終えると読者は、一種の呆れ果てた思いや共感とともに、都市開発プロジェクトの全貌を俯瞰しうる仕組みになっている。アメリカは、皮肉なことに、日本人にとって日本よりも情報的にアクセスしやすく、都市開発の研究対象にふさわしい国なのである。

   第三は、都市開発の理論的な水準の高さである。アメリカの都市と日本の都市を比較すれば、鉄道や道路等のインフラの整備水準、貧困や犯罪において日本の方がよい状況にある。また地方自治体を比較すれば、財政状況において、今のところ、日本の方が恵まれているだろう。だが、都市計画の実務的知識と専門性と理論とを比較すると、今のところ、日本はアメリカと競争して勝つことはできないように思える。社会全体として見れば、アメリカの方が、都市計画の実務的知識が誰にでも提供しうる形で系統的に整理されている。公共部門にも民間部門にも、専門家のプランナーが多い。都市計画を専門的に教育する学科や学部のある大学も多く、系統的な教育がなされている。研究者の数も多く、発表される論文や著作も幅が広く、その理論的な水準も高い。しかもアメリカは、熾烈な思想闘争の国である。都市開発についても実に多くの立場から深刻な論争が行われ、論争を通じて、テーマの肯定的な部分と同時に否定的な部分にもバランスよく光が当たり、それを克服する方途についても制度的、理論的、実務的な方途が議論されるようになっている。

   だが、これまでアメリカの都市開発の全貌は日本に紹介されることはなかったのである。アメリカ都市計画の計画の体系、土地利用規制と公共事業の手法、アメリカ特有の再開発事業の仕組みは未だ体系的には紹介されてはいない。その膨大な計画理論の著作の数々も、豊富な都市開発の実務的知識もまだ充分には紹介されていないのである。日本におけるアメリカ都市計画に関する理論的な著作も、意外と少ない。1960年代のモデル都市事業を解析した西尾勝『権力と参加』2)と、戦後のアメリカ郊外の排斥的ゾーニングに焦点をあてた渡辺俊一『アメリカ都市計画とコミュニティ理念』3)の2冊を数える程度である。1980年代の後半、日本から数多くのミッションがアメリカへ視察に出掛けていき、最新のプロジェクトを見て回った。が、都市開発の仕組みは詳細に紹介されることはなかったのである。この本は、私にとってアメリカの新しい都市開発の現象を解析し、日本の都市開発に理論的、実務的に通底させようとする作業の第一歩である。

   本書の執筆にあたり、アメリカ、特にカリフォルニア州の、州、地方自治体、民間デベロッパー、コンサルタント、非営利団体の多くの方々に、インタビューや資料提供でご協力を戴いた。ここに、感謝の意を表したい。

   また、私に都市計画の仕事の機会とアメリカに行くチャンスを与えてくれた神奈川県、大学での研究と教育の機会を与えてくれた東海大学、調査を支援してくれた住宅・都市整備公団、原稿の発表の機会を与えてくれた日本地域開発センター、流通産業研究所、そして、今回、出版に際してお世話になった学芸出版社の前田裕資さん、永井美保さんに厚くお礼申し上げる。

   最後に、この研究に着手して間もなく、15歳でこの世を去った、私に対しては手厳しい批判者で、周囲にはやさしい恥ずかしがり屋であった娘・秋本志帆の想い出にこの本を捧げます。

  

文献
1)Franz, D. (1991). "From the Ground Up; The Business of Building in the Age of Money", Berkeley, CA, University of California Press.
2)西尾勝(1975)、『権力と参加:現代アメリカの都市行政』東京大学出版会
3)渡辺俊一(1977)、『アメリカ都市計画とコミュニティ理念』技報堂出版

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