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第12回「コロナ禍から回復が遅れるサンフランシスコ(3)――新たなハイテク産業の集積と再生」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
20世紀の代表的な都市学者であるL.マンフォード は、都市の輪廻転生を信じていたと思います。その著書『都市の文化』は、成長、発展した都市がやがて衰退し、荒廃し、ついには「ネクロポリス(死の都)」に至る、という史記ですが、しかし、荒廃した土地には、きっと新しい、小さな命が芽生えている、と書いています。マンフォードの都市思想の基礎には、都市は有機体である、という考えがあります。
サンフランシスコ(SF)は、コロナ禍からの回復でアメリカ都市の最後尾を彷徨っています。特に治安の悪化したダウンタウンの疲弊が深刻です。2月にも老舗百貨店だったメイシーズが閉店を発表しました。「SFは終わった(San Francisco is over!)」という悲観論があることについては、連載の前々回、前回で紹介しました。しかし、ここでは、都市は有機体説を踏まえて「明日のSF」を考えます。「いやぁ、SFは復活する。COVID-19以前に比べ、よりパワフルな先端都市に甦る」という楽観論です。
執着、あるいは四季【桃の節句】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
「日本は四季のある国である」。この言葉の本当の意味がわかったのは、花屋になってからずっとあとのことだった。この国にはたくさんの季節行事があり、その多くが何百年も昔から受け継がれてきたものである。もちろんほとんどの場合オリジナルと全く同じというわけにはいかず、時代に合わせて少しずつ姿を変えてきた。7月の祇園祭は良い例で、今では祭のハイライトともいえる山鉾巡行は当初存在せず、登場した後もしばらくは八坂神社で行われる神事のオマケのような存在だった。伝統行事がどのように変化していったかを辿るとその社会の変遷が見えてくる。行事というものが時代に合わせて姿を変えていったのではなく、時代に合わせて変化することができた行事だけが、現代に受け継がれているのかもしれない。その中でも、3月3日の桃の節句は興味深い。節句という風習が整ったのは江戸時代に入ってすぐで、雛人形と桃の花を飾る一連の祭りもその頃から大きくは変わっていない。しかしその頃と現代では決定的に違うことがある。それは暦と気候の問題だ。
第11回「コロナ禍から回復が遅れるサンフランシスコ(2)――落ちぶれた都市イメージの再生策」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
COVID-19の打撃から回復が遅れるサンフランシスコ(SF)ですが、そのSFをめぐる悲観論には、治安の悪化も影響しています。経済活動が停滞し、街に人影が少なくなっています。
在野の都市研究家で秀でたジャーナリストでもあったJ.ジェイコブズは、都市学のベストセラー『アメリカ大都市の生と死』を書き、街の優れた観察者でした。彼女は、街が元気であるためには、人々の活動が街に高密度に詰め込まれていることが大切である、と考え、そのために必要な街づくりの条件を明らかにしました。同書では、昼夜、街路を通行人が行き交うか、あるいは近隣の知り合いが立ち話をしている街(人の眼がある)は安全である、と書いていました。しかし、COVID-19以来、SFのダウンタウンでは、それと真逆のことが起きています。