成熟のための都市再生


はしがき

 20世紀最後の30年、技術革新、情報と経済のグローバリゼーション、世界的な政治構造の変化などによって、地域計画や都市計画の背後にある社会経済的な状況、政治行政的な状況が急激に変わった。
21世紀に入って、2001年9月11日以降、さらに新しい激変の波が押し寄せてきている。
 地域計画や都市計画に携わる私たちが専門職として社会的な評価の中で仕事を続けていくためには、このような変動の波を直視し、理解し、その将来の動向を見つめながら、私たちの技芸を見直し、作り直していかなければならない。
 私は、日本で都市計画を学んだ後、アメリカ、ヴェネズエラなどでの知見を得た上で、専門的な都市プランナーという意識の下に、25年にわたり、旧建設省、茨城県などで都市計画や住宅行政の政策立案とその実施という行政経験を持たせてもらった。今から18年前に、行政官としての立場を離れただけでなく、技術官僚OB集団の一員としての立場からも自由にさせてもらって、一専門家として仕事を続け、次代の人々にも私の知見と経験を伝える努力をそれなりに重ねて来た。私は自らの知見や経験を、新しい時代の変動の中に曝して、これを改善し、変革してきた積りだ。その軌跡の一端は前著「街づくりの変革」に留めておいた。
 その後の世界の変化も激しく、文明史的な巨大なうねりの中で都市や地域の状況も大きく変わりつつある。
 アメリカ合衆国のように広大な余裕空間を持ち、移民の受け入れを積極的に行っている若い国は、大胆な技術革新と経済のグローバリゼーションを利して、自由な市場経済を旗印にこの波を乗り切ろうとしている。浪費が可能な、有り余る空間資源と、常に鮮度を失うことが無い市民民主主義的、地域自治的な伝統を持つアメリカは、このような大きなうねりの中でも住み良い都市や地域の生活環境を創り出し、維持していく過程を見失うことが無い。
 他方、ヨーロッパは、土地や水などの環境資源に強い制約を持つ上に、つとに人口の停滞、減少期を経験しながらも、都市の長い歴史を背景に、自国あるいは自らの地域文化の継承の上に都市の未来を築いてきた。世界を支配してきた工業力の凋落を経ながらも、新しい技術革新や社会変動のうねりに対応しつつ、都市のルネッサンスを通じて、都市や地域の生活環境や風景の維持、再生に取り組み、地域経済の活性化にも成功するという成熟した道筋を歩んでいる。今、ロンドン、ベルリン、ロッテルダム、ヘーグ、ビルバオなどを訪れると、その歴史的な資産の蓄積と再生の努力に感動すると共に、そのスカイラインの変化に目を見張る。過去の資産の上に優れたデザインの都市資産が蓄積されつつある。また、都市あるいは都市圏の質を高めることが、市民生活の豊かさを増進させるだけでなく、経済の活性化にも繋がるというバランスの取れた戦略の下に、高い質の都市再生事業、自然環境、田園環境の復元事業が進められている。
 一方中国をはじめ、従来開発途上国として後進的なイメージで捉えられていた国々が、近代化あるいは現代化の純粋培養を受け、目の回るような速さで、西欧諸国の近代化の成果を追いかけ、突き抜けて来ている。巨大な人口規模、未曾有な経済成長、異なった社会関係の中で、今までの建築や街づくりの常識が通用しない場が成立しつつある。
 日本では、1億総不動産屋に化したバブル期の跡、長期な経済停滞に見舞われ、そこから抜け出す道筋がまだ見えていない。しかもいよいよ人口の減少時代、高齢化の深刻化の時代を迎える。
 日本でも、都市再生政策が一つの切り札として積極的に取り組まれだしているが、その中身は、およそ、近視眼的でバランスを欠いている。また、極度に東京中心の政策になっているので、長期的な経済停滞への対策、人口減少、高齢化対策という深刻な課題への全面的な対応策にならず、何時ものように使い捨て型の政策目標になってしまう恐れも強い。
 成熟する日本社会では、ヨーロッパが狙っているような都市の再生、都市の高質化政策こそ、21世紀日本が追求するべき戦略的な政策だと考える。だが、この政策を実現させるためには、一国の経済社会の成熟時代に即応した長期的な観点からの取り組みが不可欠であり、高い文化的な志と包括的な政策体系が必要である。規制緩和による、市場の手に拠る活性化などという単細胞的な発想ではとても成就できない政策である。構造改革の断行、速やかな地方分権への移行など現在とられている政策の遂行は必至だが、街づくり、地域づくりを巡る新しい理念、新しい政策構造の確立が不可欠である。
 何より問題なのは、土建事業中心の都市政策が街づくりのパラダイムに対する社会的な信頼性を大きく損なってきたことに対する認識の欠如である。高度経済成長期にはこれが成長経済の陰に隠されてきた。街づくりの政策を福祉の裏付けを持った人間的な政策に転化すると同時に、文化の香りがする政策に転換させなければ、街づくりに対する市民の信頼を取り戻すことはできない。さらに地球環境問題にも対応しながら、持続性保証の問題に取り組むことが口先だけの対応の段階を終わった。必ずしも先が見えないこの問題にも真剣に取り組まざるを得なくなっている。成熟時代に即応する都市再生政策の課題は大きく深い。
 このような問題意識を持ちながら、前著の後に書き記してきた幾つかの文章、あるいは講演会の記録を纏めたものが本書である。
 時に応じ、要請に応じて書いた文章を編集したものであるから、必ずしも体系的ではない。しかし問題意識は一貫していると思うので、今回の加筆補正によって、成熟時代への都市再生戦略への流れは大掴みにできると思う。
 このような問題に直接関係する私の政策提案に関する文章が一続きのものとして第1部に纏められている。第2部は第1部を補完する意味で、私の主張の背後にある個人的な思想と具体的なテーマに沿っての展開の諸相が断片的に盛り合わせ編集されている。
 最初から順を追って読んでもらってもよいが、あとがきで、全体の解説をしているから、全体の構成を見た上で、関心が強いところから読むことをお勧めする。
 フリーの専門家になった私を支援してくださった方々、私に貴重な紙面を割いてくださった様々な組織の方々に感謝の念を伝えたい。特に森記念財団における勉強会は具体的な知見の源泉であり、僕の発想の鍛錬の場であった。記して、森ビルの森稔社長と財団の伊藤滋会長に感謝したい。また、水戸を離れ、地方都市の実情に疎くなりがちな僕に勉強の機会を与えてくれている新潟県及び富山市の関係者にも感謝の念を伝えておきたい。新潟や富山の仕事に一緒に取り組みながら僕に知的な刺激を与え続け、僕の考え方の展開に肉付けをしてくれている都市計画設計研究所の河合良樹氏に特に感謝の念を捧げる。
 何時もながら、暖かく見守り、叱咤激励して、本として読める形に仕上げてくれている編集者の前田裕資氏にも感謝の念を表しておく。

蓑原 敬
2003年5月8日