都市論の脱構築

はじめに

 都市政策を検討し追求しようとする場合、その大前提となるのは「都市的(urban)」とは何かということを明確にすることである(アトキンソン、一九九四)と言われる。しかし、その「都市的」なるものは時代潮流によって変化する。それゆえ、都市政策を策定するに当たってまず考えなければならないのは、時代潮流の変化であり、その潮流の中で変容する「都市的」なるものの容態である。このような文脈でいえば、都市政策が踏まえるべき都市論は、新千年紀と新世紀に同時に突入するという時代の大きな転換点に立って眺めた場合、その構造を抜本的に改革しなければならないのではなかろうか。したがって、都市論の目指すべき都市像も大きく変容することが予想される。本書はこのような前提のもとに既成の都市論を解体し、新しい時代にふさわしい都市論を構築しようと試みたものである。
 本書の書名を『都市論の脱構築』としたのは、既成の都市論を枠づけてきたパラダイムを解体せねばならないという姿勢こそが、来るべき時代の新しい都市論を構築することを可能ならしめる姿勢であるという観点からである。新しい都市論の構築という一義的でストレートな表現ではなく、屈曲した印象を与えるかも知れないが、都市論の脱構築としたわけである。そしてそこには近代の生産主義的思考様式である思想の生産中心主義や経済の生産力主義、すなわち構築主義あるいは男性原理から、思想の生活中心主義、経済の生活質主義、すなわち脱構築主義あるいは女性原理への転換をはかるという意味をも込めて、「脱構築」という用語を用いることとした。
 ちなみに脱構築という用語は、フランスのポスト構造主義の哲学者ジャック・デリダの『エクリチュールと差異』に淵源すると言われ、「思考の体系と歴史そのもの――つまり西洋形而上学の総体――を、ある特異な仕方で(一挙に、だが少しずつ)転覆させることを企てること」であり、「この特異な企てこそが脱構築と呼ばれるものである」(守中高明、一九九九)と言われている。しかし、ここではそのような壮大な哲学的野望をもって使用しているのではなく、既成の都市論の解体と新しい都市論の構築とを共通の原理によって同時に行なう必要があること、つまり解体工法と構築工法とはベクトルの方向は逆であるが、その絶対値(ノルム)は同じであるという、その同一性を表現するというニュアンスをもこの脱構築という語に背負わせたかったからである。
 ところで都市論の脱構築を迫った画時代的な時代潮流変化の機動力とも言うべき現象のうち、特筆すべき現象は一九六八年のパリ五月革命(世界革命)であったことは、本書の各所で強調しているが、一九九五年の阪神淡路大震災も身近に起こった大事件であった。それは、国家とは何か、政府とは何か、都市とは、文明とはといった普段は意識の中に眠っている市民にとっての基本的な問題を考えさせる大きなインパクトを与えるということを通じて、都市論の脱構築を迫る大きな事件であった。
 こうした画時代的な起爆力によって惹起された都市論の脱構築の方向は、次の如くである。都市計画のアクターとしての官僚やプロフェショナルによるエリート主義的方式から市民や住民をアクターとする参加方式へのシフト、都市づくりの基軸思想としての生産中心主義から生活中心主義へのシフト、都市の存立基盤は人工であるという誤った認識から自然こそが都市存立の実質的で現実的な基盤であるというリアルな認識へのシフト、都市の概念形成における客観的な方法から客観と主観を統合した全体論的(ホリスチック)な方法へのシフト、都市と農村との支配と従属という対立的関係(都鄙二元論)から循環共生の関係(都鄙連続論)へのシフト、都市化のベクトル変化による都市政策の遠心力型から求心力型へのシフト、および都市への機械論的アプローチから生命論的アプローチへのシフトなどである。
 「都市計画は望ましい未来の現在化である」と定義できるが、その意味では、プランナーは未来を把握するために「時代の変化」、「時代の潮流」に強い関心を示すことは当然のことである。したがって、本書ではこのようなベクトル変化について考察しようとしたが、都市論はこうした変化によって方向づけられるといういわば動的な側面だけではなく、時代潮流の変化に関わりなく都市論の中核に据えるべき不動の核心を持つべきであるという静的な側面をも持っているといってよいであろう。ここで核心に据えるべきものと言ったのは「平和・人権・民主主義」であると断言してよいのではないか。平和・人権・民主主義は教育の中心に据えるべきものと言われ、一九九五年のユネスコ総会で採択された平和・人権・民主主義の教育に関する総合的行動要綱に表現されている(堀尾輝久、一九九七)が、教育であれ、社会的な諸制度であれ、人間社会のほとんどあらゆる分野において中核に据えられるべき基本理念ではないかと考えられる。
 都市の持続的発展にとって絶対に必要なのは平和ということであり、基本的人権の確立も平和あってこそ可能である。また、誰にとっての都市かという都市論の基礎的な問いに対しても、言うまでもなく主権者としての市民のための都市であるという答が自明のものとして対応する。民主主義はこの自明の理を持続的に守り育むための思想的制度的基盤である。
 ここで、「平和・人権・民主主義」というのは、平和と人権と民主主義の三者が相互に支え合う作用を作動させながら結びついた三位一体のトライアングルを意味している。「都市計画は人権の空間的表現である」という意味では都市と人権は不可分の関係にあるが、その人権は平和あってこその人権であって、戦争が起きればひとたまりもない。平和のない人権はひとかけらの幻想に過ぎない。それゆえ「都市計画は平和・人権の空間的表現である」と再定義すべきであろう。さらに、「平和・人権」が守られるためには、民主主義という政治体制、社会制度が不可欠である。民主主義は平和・人権の成立と維持にとって必須の要件であると言ってよい。したがって、この平和・人権・民主主義の相互に支持する力関係で、結ばれた構造体としてのトライアングルを、都市の中核に捉えるべきであると考える。
 しかし、これで一丁上がりということにはならない。何故なら民主主義は「未完のプロジェクトである」(ハバーマス)故に、議会制民主主義の手続きを経てナチスが台頭したという史実が示すように、民主主義は常に守り育てていく人々の絶えることのない決意と努力を必要とするからである。
 民主主義は、自由主義と平等思想との立体的な関係との動的均衡のもとで健全に機能するであろう。都市社会のありようにおいても、人間と自然との関係においても、最も警戒しなければならないのは民主主義精神の稀薄化、換言すれば支配と従属の関係の増長である。都市における支配と従属の関係は差別を助長し、排除社会(exclusive society)を恒常化させ、官僚的管理主導主義を日常化させる。そして市民主体のまちづくりが拒否され、ひいては人権そのものを形骸化させることは明らかである。
 人間と自然との関係における支配と従属の関係が、自然破壊の根本原因であったことは明白である。人間が自然から独立し自然を対象化して、科学技術を駆使することで自然を搾取すること、征服することを許容してきた西欧近代合理主義に基づく近代化過程が何よりもはっきりとそのことを示している。要するに支配と従属の関係は、都市にあっては人権否定を、自然にあっては自然権(ナッシュ、一九九三)の蹂躙をもたらした。それゆえ、支配と従属の対極にある平等な関係、権力支配からの自由な関係こそが都市論の中核に据えられるべき関係であり、民主主義はその関係を保障する思想でありシステムであると言うことができる。近年、平和についての雲行きがとみにあやしくなってきたが、こんな時であればこそ、一段と声を張り上げて平和を唱えなければならない。
 ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカル・サイエンスの最高責任者であるアンソニー・ギデンズは、その著『第三の道』の中で、第一次世界大戦、第二次世界大戦、および冷戦時代にそれぞれ一千万人、五千万人、五千万人の人間が殺されたと述べている。近代化の総仕上げとしての二十世紀は、合計一億一千数百万人という史上最大の殺戮が行われた「ホロコースト、破滅の世紀」であったということを深く反省して、二一世紀こそは「平和の世紀」にしなければならない。都市計画は「平和・人権・民主主義」をその基軸思想として堅持し、都市をミサイル攻撃のターゲットに絶対にしてはならないと心の中で叫び続けなければならない。二一世紀の新しい都市計画は、そういう意味で「平和の世紀」の先導的モデルを示すべきである。平和・人権・民主主義はいかなる都市論も普遍的に堅持すべき基軸思想でなければならないと考える。
 先述のように本書では、こうした静的な側面を扱うことができなかったが、読者は動的な側面の記述の背後にこの静的な側面をイメージしていただきたい。
 本書は、序章を含め第1章から終章までの7章構成となっている。序章はいわば本書の概観であり、都市論におけるパラダイム・シフトを強いた画時代的な出来事について述べている。
 第1章は筆者が危機の二〇年と仮定した一九六〇年代から七〇年代における危機的現象について触れ、それを境に産業革命以来発展してきた産業社会が終焉してポスト産業社会が開幕したことを概観し、ポスト産業社会における支配原理を踏まえた都市像へのアプローチを試みた。
 第2章では、阪神淡路大震災から啓示を得た都市存立の基盤としての自然のコンセプトと、それに適合的な都市像としての自然適合都市をはじめとする持続可能都市の要件について考え、大震災からの復興計画にも言及した。特に、震災当時の国の対応の徹底した無責任に関して、多くの識者の批判が集中したが、時間とともにこうした批判精神が風化してしまうことを危惧していくつかのメモをつくり、時宜を得て反芻するための糧とした。
 第3章と第4章ではこれからの都市政策において焦点を占めると予想される環境・健康・文化・学術研究、参加・世界化(多文化共生)などのうち、第3章では都市のアイデンティティと文化政策を、第4章では学術研究都市を扱った。文化政策については主としてヨーロッパの事例を扱ったが、一九八〇年代以降の文化政策への格段の力の入れようは、われわれも大いに学ぶべきであると考える。第4章は本来ならば、これからの都市活性化のための基軸政策と考えられる学術研究機能について、その機能強化のあるべき方向について一般論として検討すべきであったが、ここでは、米国その他各地で具体的に展開されてきたサイエンスパークやテクノポリスなどのプロジェクトの時代的変遷を追い、関西文化学術研究都市のテクノポリスとしての側面とニュータウンとしての側面について概観し、学術研究機能強化を阻む問題点と今後の方向について考察することとした。
 第5章では都市再生の望ましい方向について、英国や米国の先発的政策事例を紹介し、IT革命下における都心再生の方向を検討した。
 終章は本書の主張の総まとめであり、都市論の脱構築とそれを踏まえた都市論の新たなオリエンテーションについて考え、序章で概観した新しい都市論の枠組みを持続可能性、生命論、都鄙共生論、分化と統合の視点で補強した。
 各章で同一テーマを側面を変えて考察するというスタンスをとったため、その前提となる時代背景についての記述に重複が見られることをお詫びしなければならない。現在は「時代の大転換」の只中にあり、都市政策についても、かつての政策目標は時代に合わなくなった。いわば現代は目標喪失の時代である。このような時代に必要なのは、技術的な方法ではなく、新しい目標を提示するための新たなる思想・哲学・倫理であり、これらを踏まえた新しい都市の枠組みをつくることである。
 本書は著者の自主的な意図というよりも、本書の出版を企画して再三会合を持ち、かなり長い間の編集作業をこなしてこられた友人諸兄の努力の賜物である。友人諸兄というのは、著者と三十数年来の友人であり、関西文化学術研究都市の計画に何らかの形で関係してきたという経験を共有してきた仲間であり、この学研都市構想の生みの親である元京都大学総長奥田東氏のファンでもある。
 ローマクラブの『成長の限界』(一九七二)が学研都市構想の策定に決定的な契機を与えてくれたとかつて奥田先生が話されていたが、『成長の限界』が出版されたのと同じ年にストックホルムで開催された第一回国連人間環境会議から二〇年を経た九二年のブラジルのリオ・デ・ジャネイロでの「地球サミット」(環境と開発に関する国連会議)以降、地球資源の枯渇や生態系の破壊に対して真正面から挑戦する姿勢を堅持するサステイナブル・シティが、その内実はともあれ万国共通の都市像として掲げられるようになったことは、まことに感慨深いと言わねばならない。本書はそうした都市像に関心を抱く人びとに対して少しでも示唆するところがあれば幸甚である。
 最後になったが――last but not least――本書の出版を企画された地域計画研究所金繁千代美・市浦都市開発建築コンサルタンツ佐藤健正・元大阪科学技術センター伊藤健一・南大阪大学寺本光雄・日建設計浅野誠の諸氏の変わらぬ温かい友情に対し心から感謝の意を表したいと思う。