都市再生 交通学からの解答

プロローグ




◆都市問題と都市再生
 都市というものの一つの特徴は「集まって暮らす」点にある。一定程度以上(四〇人/ha)の人口密度をもった地域のことをDID(デンスリー・インハビティッド・ディストリクト)というが、わが国のDIDに暮らす人々の比率は一九五〇年には四〇%だったものが、一九九五年には六五%にまで上昇している。都市における経済活動を代表するのが、サービス産業を中心とする第三次産業である。この第三次産業人口の比率も、五〇年の三〇%から、九五年には六二%に上昇している。既にわが国は、大都市圏から地方都市圏まで含めて、大小の都市群によってできあがっているといっても言い過ぎではない。そして、人が集まって暮らすこうした都市では、人々の活発な交流に支えられて、生産〜流通〜消費といった経済活動や、教育・医療サービス、あるいは研究・芸術などの様々な創造的な活動が生み出されている。国家機能やビジネスの国際的な中枢機能も、もちろん都市が担っている。
 それでは、このようにわが国の国民生活の根幹をなす都市が、現在、魅力に溢れた素晴らしい状態にあるのかというと、残念ながら決してそんなことはなく、課題だらけというのが実情である。大都市では、あいかわらずの慢性的な交通渋滞、長距離通勤と通勤電車の混雑、実に狭くて貧弱な居住環境、地震や火災の危険性は誰しも承知していながら事実上放置されてきた木造密集市街地、無秩序で貧相な建築物と電柱の林立に象徴される、伝統性と文化性に欠けた決定的に美しくない町並みなど、枚挙にいとまがない。地方都市に行けば、衰亡してシャッター街と化している旧市街地、地域的個性のかけらもない貧相軽薄な店舗が雑然と立地する幹線道路沿道、トラックが走るなかを子供たちがヘルメットをかぶせられて通学する光景など、これまた問題が多い。マイカーなどから排出される二酸化窒素などの大気汚染物質の排出基準達成率はまだ六〇%程度に留まっているし、また二酸化炭素などの排出による地球温暖化やエネルギー消費という視点からみても課題が多い。安全性、快適性、効率性など、どの点からみても今後解決すべき課題は少なくない。
 現代の都市的経済活動には、高度な情報基盤や国際空港などへの便利なアクセス性などを備えていることが必須の条件である。資本や生産が国際的に流動化しているなか、こうした機能を十分に備えていないと、企業や労働力が流出し、国際競争力を失ってしまう。活力が弱まれば都市の魅力も低下する。施設の良し悪しばかりでなく、公共サービスを含めた高質のサービスが、税負担を含めて低廉に享受できるような、経済的に効率的な都市であることが必要である。隣国中国の上海などでは、こうした新しい都市基盤を備えた業務地区が極めて迅速に整備されているが、わが国の大都市の都市基盤はこの点でも大きな課題を抱えていると言わざるを得ない。これには、八〇年代から現在まで、人口と経済活動の集中を抑制するという視点から、大都市への工場や大学などの立地や新規投資が抑制されてきたことも少なからず寄与している。筆者の勤める大学の教養学部は若者が集まることで有名な東京渋谷の近所にあるが、都市の魅力について学生にアンケートしてみると、その渋谷でさえ「魅力に欠け、キタナく、好きではない」という意見が多いことがわかる。

 全体的にみて、わが国の都市は、高度成長期の経済を支えることに大きな貢献をしてきたことは明らかではあるものの、いまや極めて大きな転換期にさしかかっている。従来の都市政策や経済活動の有効性にも疑問が投げかけられ、今後のあり方が厳しく問われているといえよう。
 そもそも、都市というものには、地域の伝統と文化を継承し、長期的にじっくりといいものを創り上げられていくという側面、常に新しいものに挑戦して新陳代謝しながら変貌していくという側面、それに都市が抱える現実の問題を解決しなければならないという対症療法的な側面がある。@「伝統継承」、A「新陳代謝」、B「問題解決」という三つの視点である。前述のような現状を眺めると、どの視点からみてもわが国の都市には解決すべき問題が多い。そうした三つの意味からみて、わが国の都市には「再生」というアクションが必要なのである。

◆都市再生と本書の視点
 二〇〇一年五月に政府に都市再生本部が創設されて以来、行政上の「都市再生」というキーワードが知られるようになった(巻末資料1参照)。そこでは、構造改革と経済活性化あるいは土地の流動化による不良債権処理などといった、経済問題解決の手段としての都市再生という、短期的な視点に重点が置かれる傾向がある。しかし、同時に「二〇世紀の負の遺産の解消」や「居住環境の改善」といった都市サービスの質の向上といった視点も取り入れられている。国と地方自治体の財政悪化のなかで、「公共でできないから民間で」という短絡的な側面も一部感じられないではないものの、従来の公共事業型の施設整備への依存体質から脱却し、資金的にも知恵のうえでも民間の力をフルに活用しようという姿勢が強く打ち出されている。環境負荷の少ない「コンパクトな都市構造」が重視されるなど、都市の抱える本質的な問題に迫ろうという態度もうかがえないでもない。また、既存の都市計画規制をひとまず棚上げにする「都市再生特別地区」の制度をはじめ、従来の行政には欠けていた「柔軟性」、「大胆さ」、「迅速性」を重視した施策が謳われている。一連の「都市再生」政策は、基本的には一定の評価ができる政策方向であると考えられる。
 しかし、前述の@「伝統継承」、A「新陳代謝」、B「問題解決」の三つの視点を念頭に置くと、やはり都市再生は、拙速と小手先の利益に拘泥することなく、一〇〇年の計を考えたうえで今やるべきことを決め、しかもそれを大胆、柔軟、迅速に、しかも強い実行意志をもって取り組むことが必要であると考える。政府の唱える「都市再生」は、あくまでその部分集合と考えるべきであろう。より本質的な都市再生に腰をすえて取り組むには、まず、都市というものの本質的なメカニズムを多面的に理解することが必要である。また、従来の政策や制度、あるいは技術的パラダイムや計画思想を批判的に吟味することも不可欠である。「公と私」などといった人々の基本的なものの考え方についての理解も必要である。
 本書は、こうした視点に立って、たった今の「都市再生」に関わる刹那的な新制度やプロジェクトを紹介するのではなく、真の都市再生を考えるうえで、より本質的と考えられることがらを論じることをねらいとして作られた。しかし、一口に都市再生といっても、本来考えるべき領域はあまりにも広い。水、エネルギー、ごみ、住宅、流通、生産…、列挙するのも困難なほどである。そこで本書では、人体に例えると循環器系に相当する「交通」に着目し、この交通という側面からみた都市の課題とあり方を論じていくことにした。交通をとりあげる理由は、都市の源泉が人々の活発な「交流」にあり、この「交流」を支えるものが交通であると考えるからである。こうした意味で、交通を考えることは、都市の本質を論じることにつながる。本書が提示する「都市再生への交通学からの解答」を要約すると、必要最小限の基本的な交通基盤の整備、交通基盤の上手なマネジメント、マイカーに過度に依存しない大人社会の行動様式、交通と都市開発の整合化、公共交通や徒歩・自転車に重点をおいた都市開発などとなる。

◆本書の構成と内容
 本書の構成を簡単に説明する。まず本書は、第T部「都市と交通を読み解く」と第U部「都市と交通を再生する」の二部から成る。
 第T部「都市と交通を読み解く」は、都市と交通の本質的な理解を目指して、都市というものを種々の切り口から論じる。第1章「都市と交通のダイナミズム」(家田)では、都市と交通の経済的・政策的メカニズムと相互関係を論じ、第2章「都市論の系譜と都市・交通政策」(古池)は、近代都市を作ってきた人々の思想を追う。第3章「都市の空間計画制度」(林)は、都市の形成と変容の骨格をなす空間計画制度の考え方を国際的に比較検討し、第4章「都市と交通の社会学:郊外と公共領域」(北村)は、特に都市の郊外化に着目してそこに暮らす人々の生活スタイルやものの考え方に視点をあてる。
 第U部「都市と交通を再生する」は、特に交通という視点からみて重要と考えられる都市再生の手段を海外事例の紹介も含めて論じる。まず第5章「交通負荷からみた開発の制御:TIAを中心に」(久保田)は、交通負荷を考慮した都市開発手法として交通インパクトアセスメント制度を解説し、第6章「都市の容量にあわせた交通負荷の制御(TDM)」(久保田)では、反対に都市の容量に配慮して道路交通負荷を制御するTDM手法について述べる。第7章「公共交通と歩行者・自転車交通の改善方策」(中村・林)で、それらの計画と整備のあり方を論じ、第8章「公共交通指向型の都市開発(TOD)」(家田・中村)は、鉄道やバスなどの公共交通を中心においた地球環境時代の都市開発手法を解説する。最後に第9章「都市と交通:改善に向けた諸論点」(オムニバス)では、改善方策の社会的ファンダメンタルズや発展途上国の都市・交通問題などを論じる。なお、環状道路の整備や通勤鉄道の混雑緩和など、基本的な交通基盤の整備については、重要な事項ではあるが紙面の都合から割愛した。
 本書の最後は、岡並木による「エピローグ」である。都市交通問題に対する岡の長年の思いが述べられている。筆者を含めて本書の執筆者の多くは、若い頃に岡の著作『都市と交通』(岩波新書、一九八一年)を読んだ世代である。そして、そこに述べられた問題意識に少なからず触発され、その後、都市や交通の専門家になった。本書出版の準備段階で、その著者、岡としばしば楽しく議論する機会を得、またともに本書の刊行まで漕ぎつけたことは全執筆者の喜びである。同時に、『都市と交通』から二〇年が経過した今日、本書が『都市と交通』をどれだけ乗り越えたものとなっているか問われるところでもある。それは本書の執筆者の力量のみならず、この二〇年間のわが国の都市と交通施策そのものが問われているわけである。読者諸氏からのご批判を仰ぐこととしたい。

 ところで、時間的制約と紙面的制約から、重要とは思いつつも本書で十分に取り上げることができなかった事項も少なくない。環状道路整備などの基幹的交通基盤整備の計画論や事業論、あるいは民間資金をベースに置いたプロジェクトのファイナンス論(PFI)、地方自治体の都市経営論などはその例である。これらについてはまた別の機会に譲ることとしたい。

 本書の編集には主として家田があたった。各部の重複や記述の矛盾のないように極力努力したが、各章とも独立して読めるように作ることとしたため、文脈上必要不可欠な説明は若干の繰り返しになっている個所もないではない。読者は少々冗長な印象を受けられるかもしれないがご容赦願いたい。また、各部の内容には執筆者の意見に相当することがらも多く含まれている。執筆の準備段階で何回ものミーティングを重ねているので、各部とも概ね矛盾のない方向性を指向した議論とはなっていると思う。しかし、基本的には、各執筆分担者個人の責任において記述していることは言うまでもない。

◆本書刊行にあたっての謝辞
 本書執筆の準備段階では、資料やデータの収集、あるいは現地調査が必要となったが、これらの多くは、財団法人国際交通安全学会からプロジェクト研究として支援していただいて実施したものである。また、同財団には本書の刊行にあたっても数々のご支援をいただいた。特に直接本プロジェクトを担当された同財団の小宮孝司氏(現在、本田技研)と奈良坂伸氏には、ついつい脱稿が遅れがちな執筆者一同、終始励まされ、また支援していただいた。また、資料編作成にあたっては、警視庁交通部の秋山尚夫氏(退職)、竹内秀城氏に多大なる御協力をいただいた。併せて本書の準備段階での討議にも参加していただいた。また、学芸出版社編集部の村田譲氏には、その献身的な編集作業と忍耐力で最後まで執筆者一同を引っ張っていただいた。ここにあわせて深く謝意を表したい。

家田 仁(編集)


学芸出版社
『都市再生 交通学からの解答』トップページへ

学芸ホーム頁に戻る