界隈が活きるニューヨークのまちづくり
歴史・生活環境の動態的保全


はじめに

 はじめに、この本の底を流れている、都市の有り様についての自分の考え方を、「界隈」と「多元都市」をキーワードに提示したいと思う。
 本書で「界隈」という語が意味しているものは、何らかの魅力的な雰囲気を持ち、活き活きと人々が生活している、まとまりのある場所である。まとまりをつくっているのは、固有の街並みや風景であり、地域の人々であり、それらの人々の毎日の営みであり、これまでの長い歴史の蓄積である。「界隈」は突然生まれるものではなく、昨日までの間に日々積み上げられてきた層によって出来ている。地域の人々が、これまでの一つ一つの層に心をかけながら、さらなる層を重ねていくことを「重層化」と呼ぶことにしたい。「重層化」とは、必然的に界隈の何かを継承、あるいは動態的に保全する性格を帯びた行為となる。界隈の「何か」とは、必ずしも視覚的に好ましいものだけではない。界隈を界隈たらしめている「何か」は各々の界隈によって異なる。
 「界隈」は固有名詞を持っている。こうした様々な「界隈」があちこちに散在すればこそ、都市は魅力的となろう。重層化した「界隈」の集合体としての都市を「多元都市」と呼ぶことにしたい。
 これまでの都市更新は、特に日本や日本が範としてきたアメリカ合衆国(以下、アメリカ)において、資本主義の原理を根底に据えながら新しいものを良いものとする、一律の捉え方のもとで進められてきたと考えられよう。
 その結果が、今、窓の外にある。時間的奥行きを失った単層的再開発や似た場所の集まりとしての一元都市への移行。果たして、このままで良いのか。
 界隈に取り組むのは、「重層化」という手法が、これまで切り捨てられてきた古くて良いものを残すだけに止まらず、守るべきものの発見の方法、守るべきものと壊して新たに創るべきものを決定していく民主的手続き、壊して創るときのデザイン論までをも射程にしていることを期待するからである。それが新たな都市更新のパラダイムの本流であると考えるからである。
 経済的な圧迫については東京と似た状況にあるニューヨーク市では、歴史的環境の保全について全く異なる認識が一般市民に根づいている。歴史的環境保全は公共の福祉であり、それを行うのは健康や安全を守るのと同様に行政の責務である、という認識である。こうした認識が、ニューヨーク市を、19世紀の歴史的建築物を基調としながら、ときには18世紀の、あるいは最新の建築物に触れることができる重層的な界隈の集合体としての多元都市にしている。
 ニューヨーク市では1963年に市のシンボルでもあったペン・セントラル駅が取り壊されたのを契機として草の根運動が集結し、歴史的環境保全条例が1965年に制定された。以来今日まで、強い法的規制力に基づいて多くの物件が保全されてきた。なかでも本書の主要テーマであるヒストリック・ディストリクト(Historic District)は、地区の「特別な性格」を守り育む漸進的環境更新を促しており、ニューヨークの界隈が活きる源である。保全の分野が、個別の歴史的建築物保存に加えて、広く、景観形成や都市環境の改変に関与しているのが、ニューヨーク市での保全をめぐる現況だ。
 以上の背景のもと、本書は、ニューヨーク市における都市更新の全貌を、どのように、何を、なぜ保全するのか、といった点から明らかにし、課題と展望を考察する。そこから、東京をはじめとする大都市部における都市更新のあり方への示唆を得たい。
 当然、システムや保全する対象、それらを支える社会など多くの違いがあるものの、ニューヨーク市で実践されている都市更新、すなわち魅力的な場所を保全しそのような魅力を高めていく方法については、まちづくりの普遍的なあり方の一つとして学ぶべきものが多いと考える。

 第1章では、まず、動態的保全手法の中核であるヒストリック・ディストリクトがアメリカで広く普及した背景となった論理的根拠を、主に法的側面から明らかにする。
 第2章から第4章では、ニューヨーク市の都市保全について述べる。
 まず第2章で、ニューヨーク市における歴史的環境保全の歩みと現状を明らかにする。多元都市ニューヨークのまちづくりについて、都市計画サイドからの論述はこれまでにもあるので、歴史的環境保全サイドから論じる。
 続く第3章では、ヒストリック・ディストリクトに焦点を絞る。特にこの制度が「地区の特別な性格」を保全するという目的を持って、次第に普遍的なまちづくり制度へと成長した過程を論じる。
 そして第4章で、グリニッジ・ビレッジのヒストリック・ディストリクトを取り上げ、保全しようとしている「特別な性格」とは何なのか、どのように保全してきたのか、規制の内容はどのように変化してきたのか等の点を具体的に分析、考察する。
 最後に結章として、第5章では、今後のあるべき都市更新の課題と展望を論じる。

 ニューヨーク市が2001年9月11日にテロリズムに襲われた。それ以降のアフガニスタンにおける空爆など、一連の悲惨な出来事の犠牲となった方々に哀悼の意を表したい。ワールド・トレード・センター一帯の今後のあり方については、建てるか、建てないか、建てるのならどのように何を建てるのか、ということについて、この事件をどう捉えるか、という点も含めて広く議論されている。このことは、ニューヨークのまちづくりが、本書で論じているように、1人1人の生活と、そして社会に結びついていることの証左だと思う。