はじめに

 

 

新しい地球環境時代の到来

 1997年12月に京都で開催された地球温暖化防止京都会議COP3(第3回気候変動枠組み条約締約国会議)は、温室効果ガスの削減率が国家ごとに合意されたことで画期的であった。地球環境を守ろうとする意志が、国益より上位に位置づけられたからである。そして、もう一つ、画期的であったのが、日本各地や世界から京都に集まった約5000人にものぼる環境NGOの活躍であった。世界の各地域で環境問題に取り組む市民、学者、専門家、ジャーナリスト、自治体職員などが、11日間の会議の間、集会を開催し、提言を行った。会議と同時進行で、場外から各国の政府案に対して具体的な代案を示し、政策提言をしたことで、環境運動の新しいあり方を強く印象づけた。
 環境問題において、従来の環境保護運動にみられる「保存か開発か」という二者択一による激しい対立の構図ではなく、両者を両立させようとする様々な考え方を取り入れ、妥協ではなく、二者になかった新しい解を得ようとする動きが生まれてきた。そこには、環境問題が、産業や経済活動の持続的発展ぬきには考えられなくなったという背景がある。エコロジカルな持続可能性の理念は、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)で注目を浴びた。地球サミットと平行して開催されたNGOのイベントには、世界の首脳を含む100カ国から3万5000人を越える人々が集まった。エコノミーとエコロジーを両立させることを求める、新しい環境の時代が到来した。

エコノミーとエコロジーの一体化

 大量生産、大量消費、大量破棄によって成り立ってきた20世紀の産業社会は、自然を徹底的に支配する論理によって支えられてきた。これが地球の限界をもたらし、その構造的欠陥を露呈した。この欠陥を克服するテーマこそ、持続可能な発展である。それには、全く新しい視点が求められる。エコロジーとエコノミーの1体化である。
 ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウンは、このままの人口増加と経済成長が続けば、人類の生存にとって、地球があと三つ必要だと警告している。この警告が正しければ、私たちは、人間活動の規模そのものを4分の1に縮少しなければならないことになる。しかし、現在の成長型経済では到底実現不可能だ。人類が地球外に移住することが不可能な限り、地球の容量に人間があわさなければならない。その解が、エコノミーとエコロジーの1体化であり、それを可能にするコンセプトが、ゼロエミッションに込められている。
 ゼロエミッションとは、人間が排出するすべてのものを、人間を含む自然界の物質循環システムのなかで、資源として活用し、廃棄物をゼロに近づけようとする方法である。
 江戸時代は、ゼロエミッション社会を実現したモデルとして引き合いに出される。実際、江戸時代には、資源は有効に使われ、廃棄物も徹底的に資源化され、廃棄物という概念がなく、動脈産業と静脈産業の区別すらなかった。日本列島内での完全循環型社会は、多様な職業を創出し豊かな文化を育んだのである。江戸時代に循環型社会を可能にした背景には、二つの要因が考えられる。一つは、鎖国によって、限定された資源状況を人為的に作ったことである。列強の植民地政策のなかで、資源を浪費する世界経済に巻き込まれなかったことは重要な要因である。もう一つは、農業が主産業であり、太陽エネルギーを中心に、水、植物による有機系の循環と人間活動の循環を1体化させることができたことである。しかし、現代社会は、この2つの状況が決定的に欠けている。経済はグローバル化し、化石燃料や金属など地下資源による工業製品が日常を埋め尽くしている。ダイオキシン、環境ホルモンなど有毒物質の自然界への循環が、最終的に人類を破滅に追いやりつつある。

自然界に学ぶ地域発ゼロエミッション

 「人間は考える葦である」と、フランスの哲学者パスカルはいった。しかし、現代ではこの人間の定義を変えなければならない。「人間はゴミを出す自然界の唯1の生物である」と。人間活動は排出される物質を、そのまま自然界に捨てたり埋めたりしている。同じ樹木でも、森林のなかの樹木の死体は、落葉や倒木といったゴミとなっても、それらは土壌中のバクテリアによって、養分となり、他の生物の生きる術(すべ)になる。この循環には、ゴミや廃棄物といった概念がない。しかし、都市の舗装された歩道に植栽された街路樹という樹木の落葉は、ゴミとして回収され、焼却される。それは分解されて資源化されるのではなく、燃焼によって、逆に炭酸ガスを放出し、地球温暖化の原因にもなる。
 人間活動が地球の許容範囲を越えているのは、人間が出すゴミや汚染物質が自然界で蓄積され、取り除かれないためだ。私たちが地球上で生き抜いていくには、自然界のゴミを出さないというシステムに学ばなければならない。そのとき初めて、人間は自然界、地球の生物の一員になる資格が与えられる。
 自然界のゴミを出さないシステムは、食物連鎖という植物生産を主とした地域のクローズドシステムによる物質循環が基礎になっている。今日の工業文明による、大量生産、大量消費、大量廃棄のシステムを、クローズドシステムに転換するのは、容易なことではない。しかし、長い通勤時間、狭くて高い住宅ローンの支払い、汚染され緑の少ない環境など、巨大都市の消費文明がもたらす楽しみに代え難い、健康や人間の尊厳にかかわる視点の欠如は、小さな単位の地域社会の重要性を再確認させることになろう。本書で多くとりあげた、小さな地域の環境への試みは、地域に活力をもたらし、地球の1員であるという自覚とプライドを植え付ける。そこには、集団のなかに埋没した個人ではなく、成熟した個人の、個性ある、多様な社会を作り上げていこうとする強い意志がみられる。その芽は小さいが、地域で行動し、地球のために生きる新しい思惟が読みとれる。ようやく現実のものとなった地域発ゼロエミッションの動きは、今後ますます加速し、新しい地球と共生する文明をつくりだすに違いない。
 

 


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