地域福祉と住まい・まちづくり


はじめに

 2000年4月から公的介護保険がスタートし、超高齢社会へ向けた準備がようやく本格化した。私は介護保険を第一歩として前向きに捉えているが、問題点も少なくない。もっとも大きな問題は施設の削減である。厚生省の計画どおりだと2010年には重度の要介護高齢者しか施設に入れなくなる。
 高齢者は施設よりも住まいに住み続けたい。しかし、高齢者を支えるべき家族や地域はこれからさらに衰退し、二極分化(階層分化)する時代である。単身の虚弱高齢者、軽度の要介護高齢者の住処がなくなりかねない。
 公的介護保険や、これからの社会保障をめぐるさまざまな議論は、超高齢社会の実相を本当に捉えているのだろうか。超高齢社会とはどんな社会なのだろうか?
 その解答を知りたければ、初めての高齢社会型災害であった阪神大震災とその復興過程での様々な出来事をつぶさに見ていただきたいと思う。
 仮設住宅や災害復興公営住宅には、日本がやがて体験する超高齢社会が10年、20年早く現れていた。緊急事態のなかで孤独死をはじめとするさまざまな問題に取り組んだ行政や住民、NPOの人々の努力のなかにこそ、超高齢社会へのさまざまな知恵があったと思う。
 被災地は他地域より5〜10年早く「福祉」「住まい」と「コミュニティ」「心」の課題に直面し、解答の方向をおぼろげながらもあぶり出してきているのである。
 そこで1章では、震災から今日までの状況を振り返ってみた。住民は避難所から郊外の仮設へ移ったが、その遠い仮設から8割以上の患者さんが1〜2時間かけて病院へ通ってきた。それは住み慣れた地域の風景を見たかったから、地元の人とうわさ話をして安心したかったからである。
 被災者を守る多様な取り組み、福祉施設の建設、高齢者住宅などなどは、こういった超高齢社会の現実に目を向けて、いずれも「まち」「コミュニティ」との関連で志向された。
 2章では日本の社会保障全体を見直してみた。日本の社会保障は中ぐらいの負担、中ぐらいの福祉を目指している。そこでは行政にすべてを頼ることは出来ない。震災は住民自らの「自立と支え合い」の大事さを教えてくれたし、行政セクター、企業セクターとは違う、中間セクター(NPO)の出番を教えてくれた。しかし日本のNPOはまだまだひよっ子である。そこで、ここでは世界にも目を向け社会保障とNPOのあるべき関係を探ってみた。
 3章では心の問題を取り上げる。
 震災直後1日目は外傷だったが、2日目から3カ月間は内科の病気が急増した。しかしずっと必要だったのは精神科だった。
 だが住民一人一人は必ずしも心の重荷を自覚していたとは限らない。また精神科を受診したわけでもない。普通の場所で住民は互いの愚痴の言い合い、ボランティアとの交流などで意識しないで負担を減らしていた。それが地域の役割だった。
 経済成長は一面では人に長寿とそこそこ快適な暮らしを保障したが、同時に人を孤立化させてきた。21世紀には、家族と地域の再構成が求められている。震災の経験からヒントを探ってみたい。
上田 耕蔵

学芸出版社
トップへ
学芸ホーム頁に戻る