街が動いた


まえがき

 まちづくりという言葉はよくよく考えると不思議な言葉だ。今や「まちづくりの時代」といわれ、自治会や商店街といった身近なレベルから企業や官庁、議会などいろんなところで日常的に使われる。ぬくもりや手づくりを連想させる耳あたりのよさがここまで人口に▽膾炙▽(かいしゃ)させるのだろうが、正面きって「まちづくりは何をどうするのか」と問い掛けられると、考え込んでしまうのが正直なところではなかろうか。だれも疑問を差し挟まない代わりに、だれもすぐには答えを出せない。だから、それがたとえ「まち壊し」であっても、「まちづくり」として罷り通るのである。

 それでは何が猫も杓子(しゃくし)もまちづくり、ともいえる現象を生み出しているのか。ここまでの急速な広がりを見るととてもブームというような一過性の出来事だとは思えない。そこには二十一世紀に通じる何らかの今日的な意味があると考えた方がいいだろう。本書は、この疑問に応)こた)えるべく、日経流通新聞で連載した「まちをつくる人々」(一九九九年四月〜二〇〇〇年三月)を大幅に加筆・補正したものである。

 バブル経済の崩壊による深刻な不況がもたらす人々の価値観の変化、急激なグローバル経済や高齢化社会が引き起こす既存制度の行き詰まりなど社会を覆う閉塞感が、自分たちの手に街を取り戻すことを意味する「まちづくり」の追い風になっているのは間違いない。従って上梓に当たっては単なる現場報告にとどまらず、街のありようを変える自治・分権の芽生え、暮らしを支えるコミュニティ再生の取り組み、地域を養うローカル経済や新しい地域政策の模索など間口≠できるだけ広げることで、地域を超えて共通するまちづくりの課題に迫ることを心掛けた。

 もっとも重視したのは素直に現場と向き合うことだった。「べき論」「そもそも論」では正解がない、言い換えれば答えがいくつもあるまちづくりには肉薄できない。第一章で「元祖まちづくり」と題して四十年近くも前の名古屋・栄東の再開発運動を取り上げたのも、言葉のルーツを探り当てるほかに時代を超えて変わらない、まちづくりの本質を見つけることにあった。第二章以降の大阪・天神橋筋、高松・丸亀町、長野県飯田市、大阪府豊中市のまちづくりは、あるいは商店街の繁盛物語であったり、あるいは疲弊した旧市街地の再建物語であったりと一見、テーマが異なるように見えてその実、「住む」ことの追求で共通している。

 このほかにも行政のお声掛かりや大企業の手になる拠点開発型の大型事業ではない、身の丈レベルのまちづくりを対象にしたことで、いくつかの新しい発見があった。まちづくりの現場で繰り広げられる挫折や成功は人が織り成すドラマだという事実だ。人が動けば街が動くのである。カベの厚さに時にたじろぎながらも続けられる、人々の熱い思いとそれに裏付けられた実践は感動的ですらある。そして、人間ドラマの数々は立ちはだかる既存の制度や勢力との「闘争」によって感動をより大きくする。

 制度疲労という言葉があるように、従来の経済成長至上主義に偏した画一的な制度ではいったん衰微した街の再生は適わない。新地域主義ともいうべき、それぞれの地域に固有の手法の登場が待たれるが、そのためには既存の制度との闘争が避けて通れない。この闘いは全国的に見ると今は小さな流れかもしれない。しかし、長い堤がアリの一穴で崩れるようにいずれ奔流になるような予感がする。本書で取り上げた地域で、非常識とされたことが常識になりつつある現実がその証明だろう。

 そして、挑戦を意味するまちづくりの担い手たちがいずれも名もなき人々だという事実は、二十一世紀の地域社会のあり方を示唆する。どこにでもいそうな商店主、何かにこだわる地方行政マン、一風変わった企業人……。社会変革などと大仰な言葉を持ち出すことなく自然体で、その一翼を担おうとする人たちを総称してベンチャー市民≠ニ呼びたい。歴史に残る大事業はその多くが、無名な人たちによって成し遂げられたことを考えると決して褒め過ぎではないと確信している。

  二〇〇〇年七月

脇本 祐一

学芸出版社
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